その暗い暗い煤にまみれた裏階段の、その中に一匹の野良猫。
拾い上げてはいないのですが、栄養を手渡して帰ろうとすると、階段を上る事の出来ないその猫が栄養に見向きせず、ただの黒い革靴についてゆこうと、上れもしない小さな身体で頑張るのです。
それではと拾い上げてしまったのですが、老いも若きもそれぞれが、悩みだの悔みだの嘆きつかれたそのカウンター、その止まり木に姿を下している目の前を、へなへなと、栄養をほかした猫が、歩いては転び、歩いては転び、というその様子に、悩みも笑みに、悔みも笑みに変えてしまったのです。そのほんのひと時だけが、言葉を飛び越えて、皆つながった様に思えたのです。
改めて、言葉の意味というものを、言葉の軽薄さ、同時に重要さを、そのひたむきな猫を通じて考えさせられたのです。という風に書くと少々大げさな様に思われるでしょうが、、。
とにかく引き取る事になり、それでいて私は猫を飼った経験がありませんので、初段階では戸惑うかと思いましたが、上に述べたように、私自身、気付かぬうちに、笑みを浮かべていたのでしょう。
その私にとっての大事件が、私にとっての何かの動きになれば、それはとても面白いのではないかと思いますが、そんなことは今は重要ではないのです。
黒い革靴にただただついていこうとしたあの暗闇にいた猫が、ただただ元気に育ってくれたらいいなと願うのです。
それでその子にきゅり君と名づけました。
終わり