本を読んでいて、本当の書き手の心みたいなものが「わかって」しまったならば、それはとても恐ろしい事になる。
「解らないけど、こういう事を言いたいのではないか」くらいになるから程よいわけで、例えば誰かと長く会話をしていてその人の本当の心が解ってしまったらその人はその人でいられなくなってしまうだろう。
ユングもフロイトもラカンも「本当の事は解らない」という事を「解って」いたはずで、そうでないと本を読むという行為がとんでもない事になるのではないか。
詩を書き歌う人も、言葉の変わりに形としての別の表現をする人も、何かを伝えようとするが、受け手が真意こそ解らないからそれらに没頭できる、没頭しようとするのではないか。
そう思うと言葉というのますますがわからなく、ますます深まるばかり。