この国に対する社会的感情あるいは職場、人間関係そこに感情が湧き上がるのは知っている。そういう事を言葉にしたり歌にしたり、生きている間に実績を残したい、そっちに向いてしまうのは解る。
一番簡単でやりやすい事だし、まるで蟻の様に動く動き、そんなものは100人いれば100人に当たり前にある。
そういう意見は国民として持ち合わせていないといけない事だし当然私にもあるが、それら外側の事をさらに外側へと放つエネルギー、場合によってはそれこそが国を変えるために個人が出来る事、生きている意味という人々、の、その足元に転がっている石ころの変化に気付くだろうか。誰かが起こした問題に対する一連の右らえの人々の連なる動き、は、その足元にある種の変化に気付くだろうか、目を向けるだろうか。
50年後100年後まだそこにあるものに。