ツアーも終わり、東京を後にする。4日間飲んだ量にしては、体調がいい。行った場所、飲んだ仲間達により、息抜きができたという事だろう。
昨夜の話の途中で眠ってしまったから、続きをここに書くことでひとまず終わりにする。
「売れる」「広げる」ために音楽をやることは、そこに向かうための音楽をやっていく事になるから、「売れる」ための図式ができあがる。それは会社のようなことで、開発した商品をいかに「売れる」「広げる」ための戦略をたてる様にしていくことで、やっている音楽が商品化されていく。
それで見事売れてまうと、今度はそれを継続するための条件をクリアするために大変になり、売れなくならないために大変になる。そこに懸命になる。そういうやり方をしてきていれば当然のことだろう。
聴くひとにとっては、当然その商品化された音楽の「あの人のこの曲」をききたいわけで、「売れる」「広げる」ためには、その期待にいかに答えるかというステージになり、期待どおり運べば、互いにいっそう共感しあい、「音楽は素晴らしい!」という事になり、一見、どこにも悪い点は見当たらないように思えるが、それでは人の奥に隠れている知らない感覚を揺らせない。想定していたステージを再確認するようなものだ。
松本人志が「視聴率が6%なら100%にするよりその6%の人達が100%と思えるような事をやりたい」というような事を言っていたが、そう思う。そこで「売れる」「広げる」ためには視聴率を上げようとするやり方になるために、94%の人達は掴めても6%の人達は離れていくだろう。
6%の人達が100%とはいわなくとも、満足できる様な事ができれば、やる側も今まで気付かなかったことを知らされる様になるだろう。
僕が客席には向かわないというのは、観衆がいてもいなくてもいいという事では全然なくて、100人いれば、96人を楽しませる事よりも,6人の知らない何か感覚的な部分に届くものがあれば幸いだというか、その事の方が難しく、面白いと思う。
だからといって「売れる」「広げる」をやろうとしている、やっている人達が駄目だとは思わないし、むしろそのやり方で頑張ってほしいとも思う。それはそれ、僕は僕なのだし。