幾つかの学を読んで、
勿論専門的ではなく、面白い言葉、発想を探す範囲の中で。
アプローチの違い、数学的でも、形而上学でも、幾何学でも、どの学も通る部分、学それらは変わらず進行形であり、掘ってゆく事、進行形でなきゃいけないわけであり、そんな面倒臭い事は良いじゃないか、と、言ってしまえばそれまでだけど、私の読みその思考は進行形であり、それは時として音にも生かされており、引用はせず、感じたもの、覚えた事を手がかりに、己の言葉を探し、書いては消して、ずっと奏でる、音も、芸術も合点する部分があり、イメージで言うと交差する部分、あのパスカルの神秘の六角形の様な、交点、そこから先でまた解らなくなり、探して、また見つけて、、そうしてやって行く、それが歩みというものではないか。
ところで猫のオオカミクンは、その後すぐに誰かに救われていったらしい。