翼くんと、佐山アキと仙台vorz Barでのライブ。なるほど、行こう行こう、としている感じであった。誰しもかどうか解らないけど、欲がもたらす飽きというものはある。何かしらの変化を見つけた時にまた次のライブにその変化を握っていくのだけど、「あーそういう事だったのか」という事を思う自身ではなくなっていて、なくなっている事じたいが変化でもある。
いいなと思える音をやる人を目指すのも飽きを通り抜ける一つの方法であるが、そこに辿り着けたとしても、とどのつまり欲を満たす、いや、欲に満たされているのであって、目指した人が優れた人であればもうとっくにそこにはいないはずで、何故いないのかという変化をとっくに身に付けているはずで、そこにたどり着こうとする事は、そこにはいない人が身に付けていく事柄を、人が持つ可能性の様なものを目指す側が知らずと回避していて、気付かぬまま進む事になる。
より良い方法というのがないために、こうだという事がない。
飽きながら、苦悩しながら、感覚を感じながら、音に向き合い、続けているだけで、もう充分ではないかとも思う。
僕はここ数年、自分の音に飽きるというのが実はないのだけど、それはステージに立って演奏しながら、次のステージへ向かいながら、音楽をやる自身に対して「僕はなにものなのか」問い続けるというのが深く関係していて、ライブの後にスポーツ選手の様に、自分なりの点数を付けることがもはや不可能である。
いつも0でありながら、又は100でありながら、無限の中にあるはずのない答えを探して迷い歩きまわっている様な、この部分はまだ上手い言葉がみつからないが。