少太 BLOG

考える日々

遅れた梅雨入り

2015-06-27 17:58:28 | 日記

紫陽花「無情」咲く道端を囲む水堀の水面を激しい雨が叩く。どなたかの車庫で雨宿りしている前方に移る水面の水が踊るように跳ねている。

跳ねた水を追うように飛び上がる魚たち。

「魚が水の上を跳ねると雨」という言い伝えを思い出したらしかったけど、雨が降り跳ね上がる水面の何らかに魚が反応しているのではないかと思ったらしい。

昨日とは違う水。
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時には根本側に

2015-06-24 22:31:11 | 日記
社会的地位と、一国民である事を基準と考える人達。

物事を職務として、職務の目線でとらえていて、それらの目でズバズバと意見を述べ、それこそが私の考えだという様に、組織の中で突き動かされ続けてきた人達がそこらじゅうに存在している。無知の知を恐れている。

地位が上がれば同じ様な教えを育てる仕組みがあり、一方では狭間で揺らぐ考えをまだもっていて、反感を知りながらそこに向かって人としての発言を重視し、将来を見据えて真っ正面から向かう、僕はそういう人の話に耳を傾けたい。

ここで言わんとするところは、社会的な問題についてではなくて、もっと根っこな部分、生きる考え。

この時代、問題の大多数の人が納得できる先のためではなく、時には逆、根本側に足を進める事も必要ではないのか。
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思わぬままやればいい

2015-06-19 19:37:53 | 日記

歌や楽器を連れて「こうやってやろうとすると失敗するだろうな」という事をやってみる、思わぬ感覚が生まれるかもしれない。

そこで想像した通りの失敗に終わった場合、失敗という結果より以前に、頭の中に描いた理想の自分に負けている。言い換えると理想という考えが表現の邪魔をしている。

結果は物事に当たり前についてまわるもの、思わぬままやればいい、それだけだ。
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2015-06-19 03:07:02

2015-06-19 03:07:02 | 日記
明らかに名誉に、その形式に犯されている人達になんといったらよいのか 、なんともいうべきでもなかろうか。

先人達もきっと思っただろうな、ブッダのように。

今まだ僕にはわからない。
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にょろにょろするやつ

2015-06-18 22:29:35 | 日記
南門から入ってすぐのところ、石垣の隙間に見なれない動きをする物体。近寄ってみる。蛇だ、にょろにょろするやつだ。アオダイショウ。1メートルは超えているであろうか。

よりリアルに感じられる距離まで近づくと、にょろにょろを止めてじっとこちらの動きを伺っている。攻撃してきても回避できるのは最低蛇の全長+ジャンプした場合の距離と・・でもアオダイショウは毒を持たないから大事にはいたらないかしら、とか思い。

この蛇も人々も自然がなくては生きてはいけない。自然によって生かされているとも言える。

井戸を掘るのはそこに帯水層があるからであり、穀物を獲られるのは植物が育つために必要な栄養素を含んだ土があるからで、そう思えば、皆同じ人が権力を掲げて人を支配するという行為が愚かな事とは思うだろうか、それとも思わぬだろうか。お金と人々。
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「どうでもいい」では越えられない事もある

2015-06-15 20:45:55 | 日記

それでアルペジオ一つにしても、親指がここからこの弦で、他の指はこことここと・・。という奏法ではどこまで行っても決められた指と弦の関係にもとずいての音しか生まれない。

では、そのもの事柄がつまらないと思いあえて不規則な、指と弦の教えの関係性にもとずかない奏法をやろうとしてやっていても、やはりそれは「不規則なギターを弾きましょう」というところに向かってやろうとしている行為でしかない。

何かに向かってやっていては対象からは逃れられない。

それをそうではない基礎的な事から練習によって生まれるテクニックを磨いていこうとする人達にどの様に伝えればよいか、言葉で説明するような事でもないし、伝える必要もないのかもしれないけれど、一緒に演奏する機会がある人に対しては、その場というか身をもって何かを感じてもらえはしないだろうか、という事を何処かで考えているのだけれど、その何かは解らない。

「そうではなくてこういう感覚で・・」とかいった様な説明では、その人自身の持っている根本的な部分まで無くしてしまうというか、自身と異なる考えに導いてしまう恐れもあり、それでは持ち味をこわしてしまう様で意味がない。

一人でやるステージと誰かとやるステージ、僕自身においてはどちらにしても、どちらにも向かわない事には変わりはないのだけれど・・。
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記憶の扉を削いで

2015-06-11 03:40:00 | 日記
言葉は忘れる。忘れたぶんまた覚える。

音は忘れない、一瞬にして音の記憶の扉がひらかれる。

自分がやる音として今やりたいのは、その記憶の扉の音の表面を削いで削いで内部にせまる事だ。大体の人が対面しないですむ部分。「そこ、必要ないんじゃない」という部分が僕の、私の大部分だ。
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逃げる猫、を追う猫

2015-06-06 18:15:12 | 日記


土手を散歩中、頭上できをつつくドラミング音がする。

「コンコン、コンコン、ココココココココココン」視線を向けると羽が灰色と白のまだら模様をしている野鳥が細かく枝を移動しながら嘴でつついている。

すかさず調べると「コゲラ」というキツツキ科の鳥。ドラミングが時にさぐるように、時に攻撃するようにテンポが変わるのが面白い。

こういう時のためにもらった双眼鏡は倍率が高く3D酔いの様に酔ってしまうために、倍率の低い単眼タイプのやつを買った。陰になっている枝とまだら模様が一体化して見える。

いつもの猫場に最近進出してきた鼻をズルズルさせているオス猫。忍び足になったかと思うと狙ったメスを必要以上に追いかけて後ろから首元を噛み覆いかぶさる、「ウーーーーーーー、、、ウギャオー」とメス猫が体を回転させて両足で猫キック!その隙に逃げるメス猫、「まだまだ」と言わんばかりに必要以上に追いかけるオス。そのようなやり取りを10回ほど繰り返し、たまらずこちらに助けを求める様に寄ってくる。こちらはそれをだまって見守る。

数日前のことだけど、あの時のオス猫のしつこさは凄かった。見習わない様にしようと思った。
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昨日の音ではない

2015-06-03 18:00:31 | 日記

進めていると思うのは昨日までではなく、今であれた事。

思うのは何も思わなくなった事。「今日はやる」「今日こそ理想とするそれをやる」とか、そういう物がどんどん無くなってくれている。「無」とはいわないまでも、ステージに立つ時に「あー立つんだ、座るんだ、そして歌うんだな」という事以外はなんにもない。だから自分の出す音に驚いたり、笑ってしまったり、とにかくそういうライブが面白い。ライブをやることよりも、今はその場で表れる事が解らない事にとにかく面白い。

それだけで、進む、続ける意味は充分だし、やめない意味も充分だ。

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