少太 BLOG

考える日々

猫屋敷の猫たち

2017-07-26 00:12:31 | 日記
猫屋敷の猫たちは日々元気な様子で。母猫が巡回中は子猫たちは寄ってこず、それにしても敷地に対する猫の密度が高い。
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寝ぼけた休日に、

2017-07-23 14:13:16 | 日記
寝ぼけた休日に、寝ぼけたというのは天候の比喩、バシュラール、詞のイマージュについてのそれを読みながら、そろそろ次のステップを探し始め、雨の休日をどうすごそうかと思いながら、口元を燻らせて、そういえばあの人は確かに死にたくなると言ったが、あの人の最良の根源の笑顔を僕は見た。
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想像力

2017-07-18 00:50:01 | 日記
ウィリアム・ブレイクの詩集と他何冊かを買う。想像という事に関しての、想像はイメージを膨らますというのではなく反対の、イメージ出来ない形式的にとらえられない想像という物を捕らえようとする、いや、捕らえるのではなく、想像する、という場所と遊んでいる日々。
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暑い日々が続いて

2017-07-14 18:11:31 | 日記


一斉に除草された公園の土手の斜面に彼岸花の仲間がツンツンと不吉な迷信のためかそれらだけ刈られずに誇らしげに立っていて、土手を下りた広場では幼稚園児が駆け回っており、広場に隣接した駐車場で幼稚園のバス3台がエンジンをかけたまま、そうか今の幼稚園の送迎バスは車内の温度を冷房で下げておくのか、それにしても僕は幼稚園に入園しなかったので、思い出がないのに、「今の幼稚園は」という発言はおかしいかなどと思ったものの、それらのバスのデザインが非常に面白く、一台がD51風でもう一台が新幹線つばさ風で、立ち止まって眺めていたら先生が下りて来たので、「面白いですね」と言ったら真夏日の気温の時に人が見せる苦い表情をしながら「どうもありがとうございます」と一礼し、子供たちの方へ歩いて行ってその小さな輪と交わった。
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は、は、は、

2017-07-06 04:02:04 | 日記



またしてもニーチェにやられた、「公教者は外部に立ち、内からではなく、外から見たり評価したり測定したり判断したりするということにあるのではなく、更に本質的な差別は、公教者が物事を下から見上げるのに秘教者は上から見下ろすという野老にあるのだ」という部分に。はっとなったり、ほっとしたりするのはやはりニーチェだったりする。私は私で、誰かで、主観でも客観でもなく、しかしどちらでもあり、あるという概念をどのようにして生きるか、高みにというのは、通俗の感性、感覚は無下にしては哲学も意味がなくなる。ひとの為にしなさいということさえ、絶対的主観に思えるし、また感じてもいる。おもいきり生を通じて、
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寝食い

2017-07-03 23:55:18 | 日記
今年はしっかりとした梅雨の天候の中で、気だるい空気がまとわりつくのは猫も同じなのか、手足とお腹をベッタリ地面につけて、出来る限りの最も多い体の面積を地に預けた状態の野良猫が、目の前の餌を首だけ延ばしやる気の無さそうにして食べている姿をよく見かけて「また寝食いだなぁ」と微笑しながら、去年は鴨の雛が8羽孵化したが、結局一羽も生き残れずに、今年は二羽今のところ元気に成長している姿を確認する。
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