少太 BLOG

考える日々

奏でることと書くこと

2021-02-24 22:13:33 | 日記
私の好きな小説家の人達の小説に向かうときの思考を読んでいると、だいたい同じ様な共通点がある。

だいたい話の筋道の事はあんまり考えてなくて、だいたい行き当たりばったりで、だいたい『音楽』を奏でるように言葉に向かうときに身体のリズムがあって、だいたいそれはまるで『音楽』で、だいたい書き終えた時に書き始めた時とは違う場所に居る自分に気付く、少なからず飛躍している自分がいるという様な事。

私はライブをやっている時に、或いは音を創作しているときに体感として同じ様な事を感じることがあるのだけど、小説家にとってのその音楽のあり方を、音楽家とは言えないにしても音楽をやっている私にとってのその文章に向かっている途中の揺らぎのリズムの様なものが感じられ、1つの物語がその手により掘り起こされ作り上げられたとしたら、また私の音楽に微塵にでも変化が生まれるのではないかという風に思っている。

日々何かしら思った事などを、とにかく文章に向かう事を続けているのだけど、、、。

カミュ著作の『ペスト』の中でグランという人物がひそかに執筆活動をしていて50ページ程の原稿のその部分

「美しく晴れた栗毛の牝馬に跨がり森の小道の花のなかを駆け巡っていた」

という部分を何度も言葉を変えては書き直して、「いや、やはり美しくというのはどこか良くない」と、長い間書いていたその原稿を医師であるリウーに消えかかった火の中に燃やしてほしいと頼む部分があって、そういえば私も何年も同じ様な事をしている様な気がしている。

別に何か目標があるわけでもなく、ただ文章を書いている事が楽しいのでそれでいいと思うけれど。
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