少太 BLOG

考える日々

どうというわけではなく

2015-02-26 19:53:45 | 日記
「歩いている」という事がすでに過去であるから、「歩こうとしている」事が次の一歩を決めようとしている現在という場合に、「考えている」というのも時空においては過去ということになるのだけど、

例えば5年後の自分の事を「考えていて」、5年後の自分が、考えの道の中で5年前の考えに出合う、重なるようなこともあるはずだから、(5年前の記憶にさかのぼるというより突然今現れる)その事からも「考えている」ということが、どうしても時空が物体と共にあると考えた場合に、過去になっていると言い切れない別の何かのように思える。浮遊しているような・・。

それでは、「演奏している」はどうなのかと思えば今言えるとすれば、「演奏しながら演奏しようとしている」とでもいえば良いだろうか。だからといって何だという事でもないのだけれど。

ライブです。

■3/7(土)仙台 VORZ BAR
Start 21:00 Charge ¥1500 act watanabeach!
仙台市青葉区国分町1-6-1 ルナパーク一番町ビル3F TEL 022-224-0312

この時点では紛れもなく「演奏しようとしている」と言えるが。

この文もどこかに分類されるような

2015-02-19 18:29:39 | 日記


良いか悪い・白か黒・とか、物事に対して一般的属性の範囲で自分の中でどちらかに分類せずにはいられない人が増えている。

この分類癖は個人の物であり、だ・い・た・いの人がこう思うであろうから正しいであろうとか、知らず知らず右ならえで足をひかれている怖さがある。

人間は考えたり記憶に残ったり、記憶が微妙に変化したり、この記憶は夢か現実の出来事だったのか解らなくなるような優れた能力があるのに、どっちなのか、何なのか、解りえない事を「こう」と分類し吸収するのではなくて、解らないことをあらゆる部分から考え続けるような、好みの糸と結びつけるのではなくて、一本から縫って編んでどこまでも繋げていく様な自由な感覚があると思うが。

白と黒にしても、推論を述べるのに今知っている言葉を全て使っても足りないくらいだ。

いやはや

2015-02-16 23:44:39 | 日記
久し振りのはっきりとした目的のない旅行。

まぶしい程の青空がうって変わって宿の最寄駅に着いた頃には吹雪。山鳴りするほどの強風。思わず笑ってしまうほどすごい体感、道があるというだけで安心するような。

強風は一昼夜部屋の窓をたたいていた。

あの吹雪と山鳴り、修学旅行の様な夜、どこかに残る。

やがて大雪に

2015-02-14 18:27:59 | 日記


目覚める窓の隙間から外を見る、チラチラ降る程度の雪、散歩に出かける。

北門の猫たちは今日は空腹の様子で餌にとびついてくる。コースをショートカットして外周を行かず公園内を縦断する。

また新たな野鳥を見つける。スズメより小さく群れをなして飛んでいて、小鳥の群れをしばらく眺めているとコマ送りの様にカクカクして観えてくるのはどういう現象なのか知らないけど、まばたきをせずじっと観ているとやっぱりコマ送りになっている。

桜の木ほどの高さと、ここからの距離をたもって飛んでいるので、細かい模様まではみえないけれど、全体に黄緑がかっている。その特徴などを調べてみると、多分「マヒワ」という鳥。

「ヤー!」「キエー!」と剣道の練習の声を聞きながら武道館を通り過ぎる頃には、チラチラだった雪が視界をさえぎるほど激しくなっていた。

誰も一人ではない

2015-02-13 18:21:51 | 日記
北斗星が廃止になる。

少し昔、僕はこのブルートレインで上野駅におりた。以来、故郷が海の向こうになった、故郷との距離を想うようになった。

人はバカンスではなく人に疲れたり、自分を見つめ直す場所として、北へ、北へゆきたくなるものなのだろうか。

人に傷ついた心を洗い流すのもまた人なのだよ。私は一人ぼっちだと思うのは、空間から自分を切り抜く様な考え方で、誰も一人ではない、生きてきて、また生きてゆくことで繋がっている。

そことは無縁

2015-02-10 23:28:30 | 日記


舞台に立つ事、そのものは一言なのだけど、自分の動きを動きと感じない動きそのものとしては感じられない部分、その間に視覚に映る物、視覚に映るものが自分の目線と錯覚してしまう事で想像される自分の演じる姿、もっと上の方から全体が見えていると想像した時の自分とその視覚に移る物たちとの響きや関係性、音波、では中心は一つというときに真ん中、中心から想像すると頭上で上で繰り広げられているという場合、空間的分裂錯覚(この場合は中心がいくつもある)場合、そして時間と遊ぶ自分の聴覚に思うこちらは聴覚から生まれる演じている最中の自分の姿。

このように舞台に立つ事で考えられる、何かをやりながら感じられる事が広くあり、「今日の舞台でこれをこれだけ出来ればいい」とは無縁の表現となる。


解明されない方がいい

2015-02-08 03:28:29 | 日記
羊水に包まれていることを覚えている幼児が、生まれた後に泡が浮いていてとか言葉にならない感じで発していて数年で記憶からきえてしまうのは、はたして覚えている段階が未発達な細胞のためなのか。子供が見えない何者かに話しかけているのが、数年で記憶からきえるのも、同じ様な事なのか、興味深く、科学的には考えたくない、という児とを猫に感じる。

ジョウビタキ

2015-02-06 20:52:06 | 日記
うっかり市役所の夜間窓口のイライラしているところで終わってしまっていた。あの夜は実際その気持ちのまま終わっていた。


誕生日というのはいくつになっても当たり前に誕生日で、今年はそれが平日だったために彼女が「次の休みにわたくしの生誕祝いをします!それまでは毎日誕生日です」と言い放ち、僕は2回失笑した。


1回目は「生誕って・・すでにこの世にいないではないか」で2回目は「家族での誕生祝までが誕生日」という発想に。


と同時に存在する事と、心に存在し続ける事を考えはじめていた。


翌日いつもの公園で、初めて目にする野鳥に出会う。調べてみると「ジョウビタキ」というスズメ程の大きさで背は黒っぽくて、おなかは鮮やかなオレンジ色をしていて、冬のはじめに越冬しに日本へ渡ってくる様子。

2015-02-04 05:30:59

2015-02-04 05:30:59 | 日記
月と呼ばれる星を見た。

おめでたい日に猫、車にひかれてしまった猫。

おめでたい日にえっちゃんととも。ともはおめでたくない様子。まぁまぁと思う。

帰り道、体温にしてあちら側に確実な猫を抱える、顔を見る。苦痛な安らかにみえる。「もうバカ」と言う。

相方が市役所のおっさんにイライラしている。僕もイライラしている。