少太 BLOG

考える日々

固執してはいなかった

2014-06-30 22:12:25 | インポート



文章を繋ぐ言葉に繋がれない言葉を調べ続けることにあまりにも没頭していたら、自分がどこに居るのか解らなくなり、しばらくの間、帰ってくる事が出来なかった。



本を閉じて夢を思い返すと、1つめ2つめ3つめ4つめの角を曲がった時に違和感を覚えてようやくこれは夢だと思ったということを誰が証明出来るのかと思った頃に、心がそこにあった。


まだ自身固執していたわけではなかった。


率ではなく律

2014-06-29 16:38:21 | インポート


久しぶりに一人ベンチに座り阿呆な目線で何かに目配せをしている。


予報はあくまで予報で今日は一時日が指すと確信していたので、日の下でぼんやり。


相変わらず雀は不規則な行動をとっていて、すずめの寿命が20年とかだったら自然界は大変だなと思う。


雨の痕跡の水溜まりだけが写し出す世界がふわふわ歪んで映る。水面を何かが走る、スッと音が聞こえた気がする位の速度で。


この辺りの凶暴らしいカラスは音程を借りて鳴いている。ここでもし・・防災心理的な黄金律をただ考える。大量のアホウドリが嘆く。



ただ一人の存在というのは、ただ一つの水溜まりの中にだけ映る世界の様な関係なのかもしれない。



さっき風呂場でたわしで体を洗うおじいさんがいて、タオルを持ってくるのを忘れた僕がそれを視ていた。


王のいないボードに音造りの意味を考える

2014-06-27 18:59:54 | インポート


音つくりに向かう態勢として摸索摸索を日々やっていると途方もない距離を感じるのだけど、それは思うに王の無い将棋を打っている様にも思える、と思ってみる。それ以外の駒は王を攻め守るために必要な決まった動きをさせるのだけど、王のいない場合は、何のために決められた動きをするのか解らないまま王を探し続ける。


ある時点では「ここに王があったら面白い」「ここにあったらやりやすい」とか頭を働かせる以外はすべてが無駄の様に思われるが、その頭の働きこそ自身の思考の表れであるから表現としては、やりがいが無いという事では全くなくて、それでも自由自在にやっていると思っても、むしろ音楽をやるという事で置かせられざるおえないボードの中で「それが81マスなのか162マスなのか解らないけど」こうであってほしいと試行錯誤をくりかえすのである。


それでも王が始めからそこにあり、つまりはこれがヒットするとか売れるとかいった様な商業的かつ不正確な目的があって駒を進めるよりは、進めながら王の「音造りの」「この造りの方が立体的かと」あり方を考える方がよっぽど人間らしいと思うし、面白いのではないかと思う。


そう、決められたボードの上で途方もない距離を感じながら。


小説の寄り道

2014-06-25 21:04:11 | インポート

和訳された日本語で書かれた、又は日本人作家が書いた物を日本の人が読む時に「これはさらに通訳が必要だ」と思うのは読む側の人が読んでいる間に漠然とした願望の様な物が生まれ、つじつま合わせみたいな物を、文章の中の何処かに見つけようという姿勢があるからなのではないか。


そういう小説に出会った時に、読むというか文字を追いかけ、考え、また閉じ、また追いかけという読み方をしているうちに、自分自身が通訳のような事になっている頭になることに気付いた場合に、それは当然発見でもあると思えれば、そこにその小説の面白さがあるのではないだろうか。

それだからどうという事ではないけれど。


動物界・カモ科

2014-06-25 18:58:33 | インポート


最近また水堀にカモ達を見かけなくなったなと思いながら歩く。


2つほど角を曲がったところで草の隙間からひょっこり姿を現せたカモ、とその後ろからヒナが!に・し・ろく・6匹、あ、いや6羽か、少々興奮気味で。


マルガモではないと思われるけどヒナを連れて泳ぐこの光景を何時ぶりに観ただろうか。まだヒヨコほどの大きさでいて。

母カモは時にその尾を曲げるようにして、ヒナたちを抱え込む様にして誘導している。その様子、ただ美しい。

しばらくは注意深く見守ることにしよう。



2014-06-22 22:14:25

2014-06-22 22:14:25 | インポート


昨夜僕達の音で踊っていた外人さんが言う。皆それを求めているんだよ。だからそれをやればいいんだよと。



どちらともいえるのは音を奏でることであり、音にとらわれない事であるからがいじんさんは音にとらわれていると思われるけど、フィドルなんか鳴らしながら素直に楽しみ、素直に踊るというのは当たり前に厄介な事である。だから伝えかたというのは厄介をやるというまた厄介な事である。



現在RAFRECの一周年に来ているのだけれど鼻炎がとまらず、スーパーのベンチで横になっている。けたたましく店員がやって来る。浮浪者もやって来る。


あかん、もう本末転倒、鼻炎がつらい。読み返さずに送る事にする。


2014-06-22 05:04:07

2014-06-22 05:04:07 | インポート



黒装束の様な舞台、それに白装束の様に並ぶテント、それから青い眼をした友達。意図も簡単に遠くなるような、意図も簡単にそこに行けるような、近い様で遥か遠い誤解と愛情と、すぐに追いやられる時間と、すぐに違う顔を覗かせる空間と。



今みたい姿はふとした瞬間に自分の目には映らない他人の目にのみ映る表情。一瞬の戸惑い、気の迷い、その自分の表情を見たいとして鏡を覗くと鏡を覗いている表情がうつるだけ。人にはそういう知らない大事な部分がある。



つい先日転んだ場所にて。笑おう。


新庄へ

2014-06-21 17:06:15 | インポート


久しぶりに電車にゆられ片道の路線をたのしむ。向かい側に部活帰りの高校生女子二人が抱き締めあっている。これは・・。いやあまり観察もどがすぎると怪しくとられると思い、視線を遠くの山の頂にふりながす。


今宵新庄で何があるかは解らない。こうして僕はライブに向かっているのだからなにも無いという事はないだろうし。


コウモリの聴覚

2014-06-18 03:59:56 | インポート


朝方に広場のベンチで一人酒をやるたびに、いま白い車が通りすぎて、追いかける様に空車のタクシーが通りすぎて、朝方の月が浮かんでいる。という事を人はどう捕らえるだろうか。気付くと月が雲に隠れた手前をコウモリが横切る事をどうおもわれるか。



知りたいものだ。浅瀬の様な話を聞きたいものだ。


自然的であって不可解な行動

2014-06-17 19:17:13 | インポート
先日ちょっとしたトラブルというか深夜店から先に帰り布団に包まっていたところ、朝方携帯がなり相方からであって「鍵を忘れてしまって店を閉められない」というのだ。ここで真白いと思った。「鍵が無いから閉められない」なるほど。


ただ面白がっている場合ではないと店の鍵をつかみ取り自転車を猛スピードでこいだ。それで鍵だけ渡してまた猛スピードで先に帰ったところで「やれやれ」と思いながらドアを開けようとしたときに、自分の鍵を持っていなかったことに気が付いて「これも面白いぞ」と思ったのだけど、本当に面白がっている場合ではなく「鍵が無くて閉められない相方」を「鍵が無くて入れない僕が」待つこととなった。


鍵っ子だった僕は小学生の頃、同じ様に鍵を忘れて母親を待っていた自分を鮮明に思い出していた。急ぐ時の行動というのは要注意だ、注意がどこか散乱してしまっていることがある。


ぴーぷー吹く風の中をひとり待っていると頭上でスズメの母親が鳴きもせず、きょろきょろしている様に見えた。なぜ母親かというと、ここ数日ヒナを巣立たせようとけたたましく「飛びなさい、飛びなさい」と鳴いている様子を観察していたからわかる。そこで数十分前に急いで鍵を届けに自転車を走らせようとしたときに、雀のひなが歩道にじっとしていた事を思い出した。今いる母鳥のずっと上の方にカラスが二匹飛んでいたらしく、鍵を届けるという事で行動の一点集中という事が起こりそこにきずかなかった様だ。実はきずいていてもすぐ戻ってくるからと先急いだみたいだった。相方が戻り「きっとどこかにひなは隠れ潜んでいる」と思いながらドアを開けて今日はもう眠ることにした。


それで・・翌日も・その翌日も・母鳥はひなのいない巣を除いてみたり、電線の上でただキョロキョロしてみたりとしばらく不可解な行動を繰り返していた。ひなの事を考えるとそれは自然な行動なのかもしれないけれど、自然の中で自然のやり取りを毎日観ていた僕にはとても不自然にみえた。


それで今日もまたその自然の中の不自然に見える行動を繰り返しているというのだ!それで今日もまた母鳥を横目に僕はうつむきぎみの足元をみながらうつむいたまま出掛けようとしている。


土曜のライブの曲が決まらない、多分このまま決まらないと思うけど、今回は一人じゃないので合わせる相手に迷惑がかかるかもしれない。少し迷惑をかけてみようとすら思っている。




この辺りで一つ自分に向けて言っておくけど僕は小説家ではなくそちらを目指しているわけでもない。
ただ面白い文章を見つけてしまえば、「面白い物をかく人という事」驚き、それに困りはて、僕を通した形というのは僕の場合はこうなるのか、という意味でこちらの方は言葉との戦いともとれる・・・・・・いや、この話はまた改めて書くとして。

ライブです。
■6/21(土) 新庄 A SMILE ANGEL BAR
 Start 20:00 Charge ¥1500+投げ銭 With imaboo(ds)
 新庄市若葉町15-18 NLB3F TEL 0233-23-6744
どんな事にするのかなるのか。


2014-06-17 01:42:40

2014-06-17 01:42:40 | インポート
何を書こうとしたんだ、書いているんだ。。ライブ告知のつもりが・・



■6/21(土) 新庄 A SMILE ANGEL BAR Start 20:00 Charge ¥1500+投げ銭 With imaboo(ds) 新庄市若葉町15-18 NLB3F TEL 0233-23-6744


参ったなぁ。


参りまいった

2014-06-17 01:24:46 | インポート
参りまいった



いや、ほんとうに参った。何か行動を起こすたび、その物事に参りに向かうのだけどついには参って帰るという具合に。帰るというのは思想が向かい参って跳ね返ってくるのだ。



この地点の考えからなにかを作ろうとしたり観たり聴いたり読んだりしても、ほぼ参って帰ってくるという具合にだ。



ようやく何となく曲が生まれて録る作業に入るために参るけれどやっぱり「これは参ったぞ」と思っている。


次の音はすでに録った音を改めて聴き直すことを繰り返す作業はしないだろうし、それは確実な事と思えば一瞬の次には何もないわけだから、残った何かはすでにさっき、すでに昨日、というわけだからようやく参らないですんだわけだ。そんな曲が書けたというか書かされた。だから今やるべきことば「すでに昨日」だ。


またおかしな夢をみるかもしれない。目が覚めた事に気付かないくらいの夢を。それで参ったなとおもえば目が覚めたという事だろうか。問いかけで終わるが答えはない。


発展はどこへ

2014-06-14 16:29:20 | インポート

祭りの開催にあたり、やらないよりやったほうがいいという考えから、やがては人も集まり盛り上がるのだからという考えに手招きされる様に賛同され、祭りの本来の意味が、そうした人々の数だけ分散されていくのではないか。



この考えを否定的と思う人はその賛同した人々の数だけを数えている様な人と思われる。



市場にしかり、規模が大きくなるという事は少数が多数になるというのではなく、少数の人を除き、誤った考えの人々が無数に増えていく傾向にあり、そのために少数の人々さえもまきこんで行く事がはたして発展というのだろうか。


たのんでいた「小説修業」が届く。さてさて。


飛び上がる時にみえる物

2014-06-11 20:18:21 | インポート


この地上で起こる様々な出来事や、


活発な動き、活発な音や、


ただそこに向かっているだけの働き。縛られた教育、それ以外の時間、動物、植物、自然と人々の距離、ふれかた。



今は空に向かうより、それらをただ水面下でみている方がいい。


そして水面にきらめくものが映るとき、迷わずただちに飛び立つために。