少太 BLOG

考える日々

問いは映るかそれは解らない

2014-04-27 16:51:59 | インポート
問いは映るかそれは解らない


昨夜はtarji店内が花見会場みたいに映り面白かった。



時に伏せたくなる責任という事が時に物凄く面倒になることがあり、責任に思えば面白いなぁ、といった具合の責任が出てくるから責任に任せてガハハと笑う、笑った責任はまた面倒におもわれるから責任とは面倒だなぁと想う。そして思うで始まり想うと変わる事にまた責任とは面白いものだなぁといった具合だ。また責任の種が散らばっている。一つ一つ摘ままなくてはならない。



こんな風に右往左往している様子を真夜中のシダレザクラはあざ笑う種類の美しさに観えた。はしゃぐ子供の様な3人のオッサン達。1人の乙女(笑)。今だけは馬鹿で居たい。明日も馬鹿かもしれないけど。


カフカの断片日記、父への、婚約者への手紙はとても面白かった。繰り返し読むことになると思う。最も共感出来たのが「虚弱」 という事。虚弱が持つ創造力の広大さ、又は貧弱さならではの言葉の言い回し。


今日は昼酒、水辺に浮かぶ散った桜の波。当然あざ笑う様には映らなく、もの寂しげに映るハナイカダ、目への激写だ。

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そこを考えればおかしくもなるだろう

2014-04-25 01:08:08 | インポート



今の日本のあり方について、根本から見直す考えを持つ人は、おかしくもなるだろう。そうではない所で動いている国をまのあたりにして。紛争がないのが平和とは、豊とは言えない。



自然と私たち、政治的影響力と私たち。国民はすでに、経済が潤う為にという前提での政治家の言葉に耳を傾ける様にうながされ、そのために説得力のある政治家に賛同するという仕組みが出来上がってしまっている。



つまり一人一人が国の作り方に対して、一度解体(根本を考えてという意味においての仕組みの解体)を本当に考え出されては困るのだからそこに目を向けさせない様にしている集まりが国を動かしている現状。その様な教育のやり方。


自然と私たちについてよく考えると疑問を持たない方がおかしい話。「いいんじゃない、内戦もないし生きて生けてるのだから」それはここ数十年のうちには自分達の生活面で国がひっくり返る様な事態にはならないだろうという考え。



でも原発問題が今一人一人が人間という意味を対自然、対人工的エネルギー源について考える機会でなけりゃ、ただの事故として扱われてはいよいよ日本も危ないんじゃないのかな。前にも似たような事を書いた気がするけど、そういう視線でまともに考えだすとおかしくもなるよ、おかしな事だらけだよ。本当に。

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努力はしない

2014-04-22 23:35:44 | インポート


考える前に、見る前に跳んでしまうという場合と、跳ぼうとする事の意味を考え続けて見る側からするといつまでも跳べないでいる場合。



もしかしたらすぐに跳べた場合が実は全くの前を向いたばかりの事で、いつまでも跳べない場合、実はあまりにも考えるという遠い後ろを残しあまりにも遠くまで跳んでしまっているために、跳べないでいる場合がある。


そして今の彼(一方から観た自分)のノートにはそのどちらも記載される事は無いだろう。前に行くことで多くの後ろを残し続けることで、跳ばない事を探し始めているから。

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削り磨けよ

2014-04-18 01:01:20 | インポート

磨け、研け、みがけ、軽いサイコロが鉄球になるまで。



削れけずれ、弾丸が人をけがさない物になるまで。



そしてその究極に小さくなった球が(時間と空間では説明がつかないような何かが)心身ににわかに入り込んだ時、少しずつ蝕み、心と合致した時にとてつもない創造力が発揮されるだろう、とてつもない物が生まれるかもしれない。音を、又は言葉を飛び越えて姿を表すだろう。



研いてけずれよ。

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皆桜に笑っている

2014-04-17 19:25:29 | インポート
皆桜に笑っている



久しぶりに舌をしまいわすれる猫に会った。ベー。撫でると目を閉じて頭を下げていくので床をペロペロ。


立ち上がりゆっくり歩く。10メートルくらい進み振り返ると舌を出したままこっちを観てた。「もう行くのかい」みたいな顔をみせる。




桜も咲いたなぁ。今年は3回も観られた。

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2014-04-13 11:10:51

2014-04-13 11:10:51 | インポート




福島の夜。盛くん始め嫉妬してしまうくらい皆良い仲間達やったなぁ。



18歳の歌うたいは気付いたら居なくなってたけど。そりゃそうだよね、未成年だもんね。


いずれにせよ行ってよかったなぁ。福島リアコースティック。濃い夜、また飲み過ぎていしまった。ホテルに何か忘れた様な忘れて無い様な。あーそうか、締めの一人打ち上げを忘れてた(笑)そんな余裕がなかったから。



あっもう米沢だ。降りなきゃ。

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無音の視点

2014-04-07 22:21:21 | インポート

今無音の空間に居る。当然辺りは何かしらの物音を発しているのだけど、自らは何も発さないという意味での無音。



ただ数ヶ所の意味を打ち明けるために必要な大量の言葉と闘っているのでとても貴重な時間だ。


通りの車が、同じビルの住人が、ファンヒーターがほとんど似たような音を発てている。


東京の忙しそうな中での疲れが一気に吹き出た様だ。あちこち痛い。


次は福島だったな。真っ白い壁にどんな音が向かい跳ね返って来るのだろうか。解らないく、面白い。


■4/12(土)福島 Re-Acoustic 「Part Tme Session Vol.6」
Open 18:30 Start 19:00 Charge 前売り¥1500 当日¥2000(2ドリンク付)
出演 のんちゃん / 仁詩 / Eddie Cash / 少太 / 衰退羞恥心
福島県福島市大町2-11 TEL 024-529-6305


初めて会う人達はどんなだろうか、解らなく、面白い。

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何処を評論してる

2014-04-04 05:01:05 | インポート



アメリカの政治的影響力の人々の番組を観ているのだけど、もぅいいや。こちらに走る。


たとえばトムウェイツはトムウェイツの歌として、認識されるだろう。私はそこはどうでもよくて、つまり知り得ないであろう心境を知りたいのだ。何者になればその音を出そうと思うのか。何処を歩いているのか。インタビューで「俺は扱いにくい人だから」と言っている、ディランも「答えはあなた達」の様な事を言っている。私もそう。知ることが出来ないが、知りたいのは奏でる時の心境。それで音を出す。だから心境に気付く、あっとか。


決められたコードがあって、そこに自分の奏でたい、表現力との闘があって、でもそれは譜面との闘いでもあり、ベートーベンがどういう心境であったのか、何故にこの音を出すのかにはならない、いやなる人も居るかもしらないけど、私は知りたい、そうした考えで歩いてゆけば絶対に何かが変わる。体感してるから言える。そして変わった事に驚くのだけど、また知りたい心境がふえるからまた歩く。



歌を聴きに来てくれた人には音でしか判別出来ないし、それが聞く側であってあたりまえ、と言う意味で私はそこには向かわない。ただ興味をもって聴きに来てくれる人には本当に感謝しかない。いてくれなきゃ困る。ただそこに向かわないだけ。


やってる自分すら解らなくなるのにね。終わらない心の戦争の様なものだよ、心と音の。ただそれを知る、知りたくなる者にとっては絶対に必要な事。本当の戦争は差別的な事になると人々はまた初めようとする。初めなくてはいけなくなる。奥底には無くなるべき事、無くなるのを願う事。

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華麗なる裏切り

2014-04-02 20:27:14 | インポート
華麗なる裏切り


怒涛の3日間が終わった。



初日の稲生座では高木克っちゃんが遊びに来てくれて2~3曲リハをしているうちに、全曲参加しましょか~みたいなノリになり(予想はしていたけれど)終止サックスとギターに耳を傾ける。エミちゃんもピアノでやってくれて音圧となる。初対面だったシャケさんもよかったなぁ。


翌日は謎だらけの店、「魔法を信じるかい」で春との初都内でのライブ。リハーサルでポスターの写真撮影が始まり、マスターはすぐに居なくなり、後はなすが、なるがまま。窓越しの様子。やっぱりマスターは不思議な人だった。なんだか空間をごちゃ混ぜにした様な夜だったな。


そして気持ち良く早めに帰ろうと歩いているとスペイン人の二人と意気投合して歩道に輪になり杯、そこへロシアの人も交わりまた杯。まれにない体調の悪さで翌日ディランに向かう事になった。視点も定まらないしまっすぐ歩けないんだもの。


そして初めてお台場たる場所に降りる。途中ゆりかもめに揺られながら、オレンジ色の陽が落ちる。その輝きに細やかに照らされて浮かぶ漁船の群。



背中を押される様にして会場に入る。時間通りに暗闇から音が鳴り出しついにディラン、あーディランだ。もうヤバい、歌っている。もう堪える事は何もない、向け、音に、ディランに。アルコール混じりの涙が落ちる。


よく今のディランはもう・・とかいう人がいるけど微塵もない。そんな人はこの場にいなくていい。昔のレコードでも聴いて浸っていればよいのだ。



やっぱりディランはあのニューポートフォークフェスティバル以来裏切り続ける人だと思った。そうやって闘ってきたひと、無論自分との、それを体感出来た事が最高に嬉しかった。そして目配せ、合図など何もない、その空気を自由自在に遊べるバンドのメンバー達。詞で打つディラン。これでしょ。他に何がある?



明日からしばらくは次を考えず、今あるもの、出せるもの、言葉に向き、息、空間、自然に体が揺れる事にもがいてみるとしよう。それらを録る事、一日か一年かかるかそれは解らないけれど。


今は新幹線の中。山形に着いたら今日は買ってきたディランのレコードを一人店で聴きながらビールと笑おう。

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