少太 BLOG

考える日々

言葉の自由と、

2017-01-29 00:36:58 | 日記


言葉の自由と言葉の暴力。


言葉の自由というのはそれそのままの意味であるが、言葉の暴力というのは暴力的な言葉という意味ではなく、伝える手段としての思考により、あれやこれや(より伝わりやすくするための)発せられた言葉そのものは、自身が最初に感じた感覚から離れていく、同類の別の何かとなること、それが言葉を発する自身に対して、(ということは伝えようとする相手に対しても)暴力となり跳ね返ってくるというような事。

しかし、言葉としてでなくては伝える手段がない。


それらを踏まえてヒトがいつからかどこからか言葉を覚え、会話が生まれたその時すでに、自由の源泉というものが何処かに一目散に行方をくらましたのではないか。


だから人が思う「自由とは」という問いそのものは、電波の様に感覚器官を通して感じる事の出来ない、とっくに闇の中なのではないか。
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ライブです

2017-01-27 20:22:10 | 日記
声がかかったのでライブです。


2/5(日)山形 風の吹く丘
Open 18:00 Start 18:30 Charge 1500円(1ドリンク付き)
出演 鈴木秀和(石巻) / 児玉知道with浅沼博 / 元木康晴 / 少太
山形市山形市七日町2-7-38カジュアルSプラザ2F
TEL 023-642-4901

ライブに向けての練習という練習はしておりませんが、そんな事は問題ではなく、、
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猫は猫ですよ

2017-01-18 04:07:21 | 日記
猫についての科学的研究が進んでいて、猫は主人の声と他人の声が判別出来るそうだ。



というより、飼い主は飼っている猫にどう思われているのか知りたいらしい。


そんなこと、知らない方がいいんじゃないの。知ったら何か変わるのか、変わるとしたらそちらの方が如何なものか、猫は猫ですよ。
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ようやく雪が

2017-01-13 21:35:29 | 日記


ようやく訪れた寒波、によりようやく積もる雪、が好き。
心とは反対に踊る足元、ようやく冬と思える冬がきた。
心配していたお堀の水嵩がいっきに増えた。やはり単なる降水量の問題だったか。


夢の源泉、無意識の記憶ついての文章を書こうと思いながら書けずにいる、書き方が定まらない、定める必要もないし、そうでないものが夢なのだが。


春にもらった宮崎駿のDVDを観る、とある制作会社の宣伝の場面で「はっ、なに言ってんの、そういうのが一番嫌いなんじゃん」と、とっさにテレビにぶつけた場面があったのだけれど、数秒後、宮崎駿は丁寧に怒っていた。

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綿畑の哥を

2017-01-11 05:01:41 | 日記
彼らはたしかに綿花畑の歌を歌っていて、今も歌っている、が、手摘みの綿畑の作業が機械的に効率な作業になり、それによりまだ知らない土地に新しい希望の様なものが、もたらせてくれるという結果に足を踏入れ、その彼らが、これはたいしたものだと酔いしれるのはなぜだろうか。便利だからと片付けてしまって良いのか。
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魚はどうなる

2017-01-08 16:30:12 | 日記
お堀の水がさらに減り続け、いよいよいしつぶて、そのまわりにこびりついたヘドロがあらわになっている。これでは水の比喩が使えないではないか、いや、魚たちはどうなる。外来魚を減らすために別の魚まで排除する目論見か、そんなはずはない、とか考えながら釣り人は魚をねらっていない。むしろ行き場が限られてきて、好都合だと思っているのかもしれない。


雪がないからまた西からカワウがまぎれて来ている。カワウの潜水を足を止めて見ている人がもうひとり少し前に、初老の男性が話しかけてくる。「随分もぐんだね」「あれはカワウですよ、冬に雪国にはやってこないはずの」「あーうーがー」このうーがーは抑揚が「ツーカー」の感じだ。



猫広場に忍び足でいったのは、こんなに気圧の低い寒い日は猫たちは猫ハウスで眠っていて、うっかり呼ぶと出てきてしまう、晴れの日はこの辺りにいる10匹程の猫がやはり見当たらないから、きっと猫ハウスの中だ。今日はそっとしておこうと、また忍び足できた道を戻る。


20代後半の男女が手を繋いで歩いてきた、と思ったら、半歩後ろを歩く女性が男の袖口をつかむかつかまないか、手は伸びていても、触れていない、ギリギリだ。男はその事に気付いていないのは、共感ポイントを必死にさがしているからだ。「ほらあのイヌツゲの形が、ほら猫がいるよ」といった具合に指差しグイグイ歩く。


健気な女性の手に気付かない、気付いてよ、と思っているか、バカじゃないかしらこの人と思っているかそれは解らない。美化と潜在の本質だ、ところで潜在の本質って何のことだ。


魚たちの行く末が気になりながら、風呂に行く、休日に。
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