言葉の自由と言葉の暴力。
言葉の自由というのはそれそのままの意味であるが、言葉の暴力というのは暴力的な言葉という意味ではなく、伝える手段としての思考により、あれやこれや(より伝わりやすくするための)発せられた言葉そのものは、自身が最初に感じた感覚から離れていく、同類の別の何かとなること、それが言葉を発する自身に対して、(ということは伝えようとする相手に対しても)暴力となり跳ね返ってくるというような事。
しかし、言葉としてでなくては伝える手段がない。
それらを踏まえてヒトがいつからかどこからか言葉を覚え、会話が生まれたその時すでに、自由の源泉というものが何処かに一目散に行方をくらましたのではないか。
だから人が思う「自由とは」という問いそのものは、電波の様に感覚器官を通して感じる事の出来ない、とっくに闇の中なのではないか。