少太 BLOG

考える日々

これから知るもの

2016-05-31 23:53:36 | 日記


音を通して知り得た事は何だろうか、今までいくつも感じてきたことは。


言葉を通して知り得た事は何だろうか、悲しみに打ちのめされたことは。


淡い期待などせず、言葉にただ身をゆだねることが出来て、与えられた喜びに安堵したことは。


すり寄ってくる者達が抑えきれぬ欲のまま奪い取ろうとするものは何だろうか、それにより得た物は新しい種なのか、芯がなく咲くことのないただの殻なのか。

音はだれかのもとに飛んでいき、響きはだれかのもとに小さく灯り、心に埋もれて静まり、やがては共鳴を呼び起こすだろうか。

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ライブ

2016-05-27 18:31:00 | 日記


あいした!お次は仙台です。

■6/4(土)仙台 VORZ BAR 10周年ライブ
Open 19:00 Start 21:00 Charge ¥3000
出演 少太 / 松沢春伸
仙台市青葉区国分町1-6-1 ルナパーク一番町ビル3F TEL 022-224-0312

僕の祖父さんの口癖だった「あいした!」たしか「それきた!」の様な意味で。
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公園で

2016-05-25 15:58:49 | 日記
Motelの夫婦、札幌帰りの克さんとのライブを終えたあくる日、新井薬師公園にて、都会の子供たちも意外とよく遊ぶ。子供の頃よく遊んだ三回ぶつけという遊びが今も残っていたことに驚く。いち、にっ、さんと三歩跳ねて相手めがけてボールを投げる、コートのないドッジボールの様な遊び。

そうした様子を観ていて、そうした子供達にはだいたい親分と子分の様な立場の子供がいて、「よし集まれー!」「ヒャー」というやりとりがある。

そして、ボールがあちらこちらにに転がるため、観ているこちらの足元に一度はトントン転がってくる。

それが相方の方へ転がりぶつかり、気持ちの上ではやさしく投げ返したつもりが、隠しきれない苛立ちのためか、やさしくない返球となって女子の顎に直撃し、「ウグッ」と言った。

その後ろで一輪車を乗り回している女の子のグループが、やはり「ついておいでー!」という子と「まってよー」という子とこちらは姉妹の様なやりとりをしていた。



ベンチに座り幼子を見つめる母親の目、その容姿にとらわれずに、視線は子に向かっていても、焦点は子のずっと後ろの方をみている様な、心の表れ。



新井薬師公園にて、相方とチューハイを飲みながら、、。
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ぞくぞくと

2016-05-19 14:22:10 | 日記
いつもの猫が集まる場所に、ぞくぞくと新顔の猫達が少しずつ距離を縮めているようだ。


触れる様になるには時間がかかりそうだけど、触れる様になると、今度はモジャとサビ猫が寄り付かなくなってしまうだろうか。
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そうでなくては

2016-05-19 02:30:43 | 日記
生の舞踏、歓び側いわく闘いでもある生の歌と共にこの身を連れて、魂に向かわなければ、そうでなくては、歩いてゆく意味はない。
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ライブ

2016-05-16 20:47:16 | 日記
今週です、ライブの予定です

■5/21(土)高円寺 稲生座
Open 19:30 Start 20:00 Charge¥1500(ドリンク別)
出演 少太 with 高木明(sax) / MOTEL
東京都杉並区高円寺北2-38-16 サニーマンション2F TEL 03-3336-4480

■5/22(日) 南烏山 TUBO
Open 19:00 Start 19:30 Charge¥2000
出演 高木克(SOUL FLOWER UNION) / 少太 with 高木明(sax)
東京都世田谷区南烏山6-8-7楽多ビル2F TEL 03-5313-8151
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モジャと呼ばれる猫が

2016-05-12 20:22:02 | 日記
5月に入り今年は公園の水堀のカルガモ達は皆飛び立って行ってしまった。ここでヒナを見つけることはないかもしれない、と思っていたら、コガモのつがいが数組、ほぼ同じ場所、その土手の草木の下を泳いでいる。

もしかしたらコガモのヒナが見られるかもしれない。

モジャと呼ばれる猫が足を怪我して、誰かが病院に連れていったと聞いていたが、今日いつもの場所に帰ってきて、元気に歩いていた。いつもと違うのはオス猫に対して、かなり警戒している、やはりあの怪我はオス猫にやられたものだったのか。
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難しいことではない

2016-05-10 21:03:59 | 日記
言葉、こんなにも伝わっているようで、何処までも、感じかた、捉え方、が違うとハッと気付いた時に、辺りが閉ざされたような付きまとう孤独として、その言葉は「伝える、伝わる」とは別の意味をもつ。そうした意味では誰もが孤独なものだ。難しいことではない、孤独を愛せる心、孤独を愛せるという事は、己を愛せる、己を愛せるという事は人を愛せるという、そういうあり方。
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何年かぶりに

2016-05-09 23:53:39 | 日記
何年かぶりに植木市に行き、小上がりのある場所でお酒を飲んだ。

こみ合う人々の様子に視点を奪われながら。

こういうレトロな雰囲気ただよう店が、イベントの仮設としてではなく、常設であればいいのに、と思ってみるけど、イベントであるからこその、その良さというのも確かにあるのだろう。


風邪の残り火やら何やらで疲れていたものの、行ってよかった。
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しだいに薄れるたしかにあった痕跡

2016-05-04 00:35:42 | 日記

山之口 貘の本を読んでいて、彼の里である沖縄に対する思い、それと似たような思いが僕にもあって、年を重ねるごとにその思いが大きくなっていて、それは「故郷に帰りたい」というものではなく、あの過ごした日々、思いや風景が、その記憶が時間と距離が薄れさせていくさみしさのような物。

実際故郷に帰ってみても、その地が様変わりしてしまい感じられない足音、移り行く風俗習慣のなどの変化。場所ではなく確かにあったはずの薄れる痕跡への思い。
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