少太 BLOG

考える日々

水のうねり

2018-08-06 18:17:50 | 日記

↓読み返して言いたい事があまり表されていないと思い( )の中を付け足す。




大雨の影響でゴウゴウと満たされた河川を望みながら、

同じ河川を見つめていても、考えやイメージが以前とは大きく違ってきている。

最近聞いた面白い話の発端である、その高齢の釣り人は相変わらずメモ用紙に乱れ書きしているが、実は昔小説家になりたかったそうだ。

河川を見つめて思考する私のマインドもそちらがわに近い様になっていると感じている。

以前の「川よこんな私を洗い流しておくれ」みたいな「私」が川に思いを寄せる様な言葉(この私が見つめるあの川という非対称の関係性)ではなく、ただただ流れの変化していくさま、を観ていて奥の方から浮かび上がる言葉(ただ私でありただ川である、理由なきただなのだから川は私とも言えるし私は川とも言える無意識に近い関係性)

そういう思いの変化というか、既にあった何かを経ていくことが老いというものならば、老いはまた可能性でもある。

またそうした変化に早く出逢いたい、といっても、それを待つのではなく探して。
(ここで書いた老いは確実に時間軸にそっているのだけど、とつぜんおとずれる閃光のようなひらめきは時間軸にそって一定の方向には動いてはいない、だから時を待っていても訪れることはない)

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猫に学ぶ

2018-07-26 03:33:39 | 日記
きゅり君よ(茶トラの猫)、今そうしてくつろいでいるその緑のソファーのその同じ場所に、かつてマディ君(黒猫)が同じようにして座っていたんだよ。

あなたと同じようにして、生まれて間もない頃、母親に放棄されたか、或いははぐれたかして片隅でピーピー鳴いている所に出会して拾った猫。

空気中を見つめておかしな声をだすあなたは、何かを感じているのかい?

(おかしな声をだしたあとソファーをおりて、こちらに歩きもう一度鳴く)
そうかそうか、何かを感じたんだね、よし、よし、(頭をなでる)

ガブーー!

痛いーー。

というのが、猫の良さでもあるんだよね。

思い込みで猫を判断するなという様な・・・人間も一緒だな、猫に学ぶ。
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カラスの楽しみ

2018-06-28 02:56:41 | 日記


カラスが何かをくわえて電線に飛び乗る直前に何かを落とした。

カラスが電線にとまって流れる車を見下ろしている。


とにかく流れる車が好物のクルミを潰し去ってくれる事を待っている。
クルミは車線の真ん中にあり、普通に走行していては触れられない場所で、とするとカラスは危ない運転手の訪れを待っている。
可能性が訪れるのは、右折専用レーンに車線変更する車のタイヤが偶然にクルミを潰すこと、を待っている。


車道に入りそのクルミを拾い足で潰そうとして以前足を痛めたので、大きめの石を拾い叩き割る。

その場を離れるや否やカラスが舞い降りてきて、クルミをつつく。


そのクルミが干からびてほぼ身の無いクルミであるのを僕は知っている。
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リアリティー

2018-06-15 03:19:41 | 日記
例えば悲惨な事が世に起こり、悲惨な状況を作品としてドキュメンタリーで撮影しようとした時に、カメラを回す人が悲惨だなぁと思いながら、より悲惨さを訴えるべく悲惨な映像を撮ろうとする、そういう場を探す。


そうして撮られた映像を人々は、悲惨だなぁという事になり、眼を手で覆いながら指の隙間から観てしまう心理に基づいて、ということは何処かでより悲惨なえずらを探して撮影側が商業的にそれに基づいた撮り方をして、作品としてあの映像は悲惨だよねとかリアルだよねとかいう事で話題になるかもしれないけれど、その悲惨な光景の中にふと、「お姉ちゃん待ってよー」とイタズラに靴をくすねた姉と、鼻水を垂らしながら靴をくすねられた裸足で追いかける妹が目の前を横切ったとしたら、映像を撮っている人は「ちょっとちょっとー」とカメラを止めるのだろうけれど、この悲惨な状況の中にあたりまえに「お姉ちゃん靴返してよー」と鼻水を垂らしながら駆ける妹がいる、そちらの方がよほどリアリティーだなと感じる事があり、私が作品として映像を撮る人間だとしたら、ふと表れたそちらの姉妹を追いかけてしまう。


リアリティーというのはそういう事ではないか。


何の話だ?
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何処から、そして何処へ

2018-06-06 19:10:37 | 日記
「このくらいの簡単な事は隅々まで説明しなくても解るだろう」という認識が見事に誤りであり、「このくらいの簡単な事さえ理解出来ないのかもしれない」という認識が的中する場合が増えていく、感情老化。



「パパ、私ね、おばあちゃん知ってるよ、おばあちゃんといつも遊んでたんだ、そしたらある日遠くの方で、パパとママのおいでおいでと呼ぶ声がしてね、そしたらおばあちゃんが、ほら、パパとママの所に行きなさいって言ってね、それで私も声の方に向かったの、私そうやって生まれてきたんだよ」
その子の生まれる前にすでに亡くなっていて、祖母の存在を知らないはずなのにそんな話をした赤ん坊がいるという身近な話。



子どもは何処からやって来るのか、、、老いは何処へ向かうのか。
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ライブです

2018-05-14 18:48:58 | 日記


次回のライブです。

■5/26(土)仙台 VORZ BAR
出演 少太 / 佐藤翼
Open 19:00 Start 21:00 ¥2500
仙台市青葉区国分町1-6-1 ルナパーク一番町ビル3F TEL 022-224-0312

どうぞよろしくお願いします。
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学も音なり

2018-05-03 03:06:42 | 日記


幾つかの学を読んで、

勿論専門的ではなく、面白い言葉、発想を探す範囲の中で。

アプローチの違い、数学的でも、形而上学でも、幾何学でも、どの学も通る部分、学それらは変わらず進行形であり、掘ってゆく事、進行形でなきゃいけないわけであり、そんな面倒臭い事は良いじゃないか、と、言ってしまえばそれまでだけど、私の読みその思考は進行形であり、それは時として音にも生かされており、引用はせず、感じたもの、覚えた事を手がかりに、己の言葉を探し、書いては消して、ずっと奏でる、音も、芸術も合点する部分があり、イメージで言うと交差する部分、あのパスカルの神秘の六角形の様な、交点、そこから先でまた解らなくなり、探して、また見つけて、、そうしてやって行く、それが歩みというものではないか。


ところで猫のオオカミクンは、その後すぐに誰かに救われていったらしい。

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あくびするほど

2018-03-31 18:54:20 | 日記
2月のある日、突然現れ(突然なのだからおそらく捨てられて)寒空の風に叩かれて、必死に鳴くが、弱っていたせいか吐息のような声にしかならずすり寄ってきた猫は、今ではあくびなどしながらたくましく外で暮らす猫に見えた。


オオカミクン、オオカミクン、(毛の長さと模様が似ていたので)

ニァァァーー
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そして、、、

2018-03-21 22:56:01 | 日記


起きて、微塵ほど食べて散歩して、空気に漂う気分で浮遊して、浮遊の目線でまた見つけて、浮遊の目線だからこそ見つけられて、見つけた物はそこを歩いている自分に吸い込まれるように吸収されて、並んで歩いているけど、こんなにも近くてこんなにも遠くに思う事に孤独を感じて、言葉というある種の武器を使って、それにより共感された分近くなった感覚と安堵を感じて、しばらく行って猫を見つけて、それとは違う種類の安堵を感じて、猫に身を預けるというか、猫目線になろうとして、何を思うのか知りたくて、知りたくなっている以上は私だと思って、おかしくなって、目線だけフワフワ漂って、その目線は木々、花々、落ち葉、白い頂が小さくなった山、猫のうんち、野鳥のうんち、すれ違う人の表情、随分か、それとも幾らかか苦労してきた、その苦労が見て取れるだけの他人が知り得られる表面、飛行機雲、遠い青の島、モニュメント、水に浮かぶカラスの亡骸、日陰に残った少量の雪、を両手でひとすくいして握った手、ほおった雪玉の行方、擬宝珠に当るか当らぬか、飛翔し目の前を横切るダイサギ、私の歩、妻の歩を巡り、また私の見えない内部に戻ってくる。帰るころ、雀の一族が向いの家の屋根で整列して待っている、ばら撒くヒエ、キビ、アワなどを待っている。

そしてまた食べて、酒飲んで、寝て、散歩して、、、、、
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来月の予定

2018-03-17 18:13:29 | 日記


来月のライブ予定です。

4/7(土)神田 Woodstock Cafe
(ワンマンライブ)
Start 19:30 ¥2500(1ドリンク付)
千代田区神田小川町3-26-24 新小川町ビルB1
TEL 03-3233-8015

4/9(月)吉祥寺曼荼羅
少太&高木明(sax) / 黒木瞳 / 田中スイショウ / 高木栄一郎 
OPEN 18:30 / START 19:00
CHARGE ¥2800(前売り料金¥2500)(+1 DRINK)
東京都武蔵野市吉祥寺南町1-5-2
TEL 0422-48-5003


いくつもの冬を後にして
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ライブです

2018-02-27 18:28:14 | 日記


ライブです、今年の一発目です。

■3/10(土)仙台 VORZ BAR
Open 19:00 Start 21:00 ¥2000(ドリンク別)
仙台市青葉区国分町1-6-1 ルナパーク一番町ビル3F TEL 022-224-0312

是非!
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命についての

2018-02-22 18:41:35 | 日記


まさかのインフルエンザからの、寒々とする闇が過ぎて、ようやく仕事復帰。病み上がりの一服。「仕事復帰」と書きながら思い出した。



二年ほど前か、作家 東田直樹を取材したNHKドキュメンタリー番組の中の一場面、命についての言葉

「僕は命とはつなぐものではなく、それぞれの人がそれぞれの命を完結するものだと思います。もし命がつなぐものだとしたら、つなげない人達はどうなるのでしょうか、バトンを握ったまま悲しみに立ち尽くすのでしょうか」というような事を言っていたと思う。

その続きの言葉は今は思い出せないが、彼は確かに「完結する」と言っていた、言いながらキーボードを打っていた、「つないでいく」でも「全うする」でもなく「完結」と、、、



私もその様に思う。

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考える精神

2018-02-15 00:13:32 | 日記


トーテミズム精神は国旗へとなり、やがて法が開かれ、法から外の無い規律へと、ポリス国家は治安へと変化し、そして「標準」という横棒の引かれた図式的分布図へ、標準より劣っているか優れているか、あるいはそこから外れようとしているのか。


個ではなく集団(人口)として認識され、個には集団としての番号を与えられ、誰もが規律に服従するという意味での貢献分布図の黒の一点としてであり、現代社会の世界平和は数値的市場でのネットワーク化、それが「自然」、世界平和はそういう「自然」の中にのみあるのだとしても、そうではないとしても、しかしそれが何だというのだろうか。


最近「哲学解りやすく」「ポジティブ哲学」とかいう本をよく目にするけど、哲学の面白さは「こういう事だからこうなって、だからこうなのです」という事ではなくて、そのあらゆる事物を「考える精神」そこにあるのではないか。


考える続けること、だからどうのではなく、ただそれだけに。


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綺麗だなぁ

2018-01-28 16:16:13 | 日記
綺麗だなぁ

雪は良いなぁ

平穏だなぁ

争いは愚かだなぁ

いつか「この素晴らしき世界」を心から歌える様な時代が来るのだろうか。
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歌詞を修正しながら

2018-01-17 01:27:32 | 日記


数年前に作った「funny man」という歌を修正しつつ、

「funny man」はそのまま「おかしな男」というものとして。

「辺りを見渡せばベーゼ達は身軽な物さ」という部分、小悪魔的な、あるいは美魔女的女性のイメージを思って、どちらかというとドイツ語の「Boese」(悪い)の方で書いたのだが、どうしてもフランス語の「baiser」(口づけ)の方が強くなってしまい直訳すると「口づけたちは身軽な物さ」というのも、この曲名の「おかしな男」は当然男であり「女性」を思っているという意味では異性を意味する「口づけ」でも良いのかと思いながら、同性という例外もあるわけだからオランダ語の「Vrouw」(女性)に書き直す。そのまま日本語で「女性」とか「女たち」でもいいのだが、日本語でなくてはいけない事でもない。


「盲目の絵描きに出会えたら尋ねてみるといいさ」という部分の盲目は「目の不自由な人」の事を言いたいのではなく「視覚から得た心の中の風景を絵に描ける画家」というイメージであり、歌っていてやはり響きがよくないので、ここは「心の中を描写する画家」をもう少し短く「心理を描く絵描き」と修正する。

歌い返してみて、だんだんとこの曲はどこかでゴッホの事を歌っているのではないのかと感じてきて、そうすると「視覚から得た心の中の風景を絵に描ける画家」とはまさにゴーギャンの事ではないのかと驚き同時に笑ったが、これはしかし完全な後付けであるのだけど、そう考えると面白くなりとりあえず「Vrouw」にしておく。


問題は、、、歌詞に対して曲が転がりすぎて一向に曲として定まらない事だ。

でもそれでいい。






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