少太 BLOG

考える日々

ケヤキの木の声が

2019-03-10 02:32:41 | 日記

出勤途中ちょっと通りかかり、ここ、国の重要文化財に指定されてる山形市の文翔館(旧県庁)前にそびえたつ立派なケヤキの木なんですが、この切られ方、なんか悲しくないですか、よく解らないけれど他にやり方ないものなのか?
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ライブです

2019-02-17 22:27:53 | 日記
ありがたいオファーをいただいたのでライブです。

25人限定なので、興味のある方はお早めによろしくお願いします。

3/10(日) 山形RAF-REC
『さすらいのレコードコレクター 10セントの宝物』上映会

SPECIAL LIVE : 少太
DJ : SHINYA TAKATORI (RAF-REC)
スケジュール(あくまで目安になります)
19:00 open DJ
19:30 LIVE
20:15 上映開始
21:15 上映終了 DJ
22:00 終了

前売り予約:2000円(別途1d 500円)
当日:2300円(別途1d 500円)
前売り予約:RAF-REC 023-645-5565 ※25人限定
info@rankandfilerec.com
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見えないもの

2019-02-15 00:40:10 | 日記


公園に時々散歩しにくるおじさんが作ったであろう発泡スチロール製の猫の宿、ここにくる猫は母猫と生き残り育った子達3匹。しかし宿は3つ
。ある日この親子の天敵ともいえる時々気まぐれで現れる顔のでかいオス猫がその一つをちゃっかり住居にしてしまっていた。おかげで親子は少し離れた空家のアパートのベランダなどで冬の時を過ごす。


起きたこと浮かんだもの様々な事柄を考え続ける事によりようやく気付いた、いや、気付けた事によって音も言葉も少しだけ成長できる、成長していると感じられる、そういう音が最も必要な事のように思う。
そういう音が常に出せるのなら自身にとってのライブも多いに意味を持つ様に思うけど、それは非常に難解だ。表現というのは難解がつきものであると思う。

経験は大事なことではあるが、成長というものはやはり時間に伴っているとずっと思っていたが、そうではないかもしれないと思えてきている。


この現代社会にもまれている多くの人は新しい、例えば美しい景色とか、知らなかった場所へ旅をしたり、登山したり、それぞれのある日常からの逃避、そこで気分を一新させ、また日常生活を頑張ろうと、私もその一人なのだけど、ここであのパスカルの言葉だ。
「人間の精神の本当の成熟とは同じ部屋にいて充実していられることである」
という事は成熟というのは生活そのものの中にあるという事であり、繰り返される生活そのものの中に本当の成熟があるという事でもある、いや、訂正する、精神の成熟は例えば目まぐるしい生活、のんびりと充実した生活、貧しい生活、裕福な生活、そういうそれぞれに繰り返される生活の違いとは別の所にあるという事ではないか。

そんな事を考えている時にたまたまテレビで休日をミイラの様な姿になって過ごす人という話があって、その人はとにかくミイラの様に全身ぐるぐる巻きにしてもらい身動きがとれない状態で当然視覚的にも暗闇の中、二階の狭い一室で休日を過ごしていると、山や海や自然の情景が脳裏に浮かんできていい気分になれるのだという。

それはただミイラになる行為がその人にとっては良きヒーリングになるという話なのだろうけれど、今度はこの姿のまま車の助手席に乗り街中をドライブしたいと言いはじめ車を走らせ、当然注目の的になり、ドライブが終わった後に「最高の気分だった!」と言っていた。
そうなるとヒーリングというよりはフィーリングの方のようだ。しかしなかなか面白い趣味ではないか。


ずっと前からどうやら私は外に向けてのエネルギー、夢中で走り続けるとか、水平的な目に見えるものの行動よりは、それ以上に精神に問い、心を探求する垂直の見えぬものを好むところがあるらしい。「とにかく進めよ」ではなく「進むのもよいが常に静止し見据えよ」とでも言えばよいか。

話ついでに仏教でいう空から来て空に帰るという、この空(くう)というのは端的に人の存在、精神は非実体的存在で空しいとか無であるというだけのものではなく、「此が有れば彼が有り、此が無ければ彼が無い。此生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」というところの空である。

それでは思想家ではないかというのならそれでいいが、思想家であったとしても妄想ではないことは確かだ。

さて、今年も何処へ逃避しようか、異国の地にでも降りてみようか。それともミイラの姿にでもなって、、、。
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2019-01-11 02:58:05

2019-01-11 02:58:05 | 日記
この星に生まれ、あらゆる矛盾を受け、あらゆる解放に耳をすまし、私は私なのだけど、その私はあなたにとっての私ではなく、だけれど、私にとってはあなたであり、それではあなたにとっての私とは、隣人とは、、

黄金律について他人のありかたを考えている。
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ライブ収め

2018-12-12 18:25:13 | 日記


今年のライブ収めです。

12/23(日) Bar Tarji 忘年会 LIVE
Open 18:00 Start 18:30 チャージ1500円(ドリンク別)

出演(出演順)
井上侑胡&星野輝久
BRONCO.
松沢春伸
Kechon Kechon Jug Band
少太
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いろいろな変化

2018-11-13 18:52:46 | 日記
今日は黒白の猫(くろち)はこちらのしゃがんだ足に寄りかかり時折こちらを何かを訴える様な顔つきで目を三角の様にして見ている。


最近気になったのだが、この公園の水堀には西側にクルミの木が一本、東側には三本あるらしく、何本かは見つけて、葉の形状を覚えて、クルミの実を食べると血液がサラサラになるという理由からそれを拾うご高齢の方達がいて、木の下で水面をすくう手を見つけて、なるほどと思い、それから猫達の行動にも変化があり、それぞれのテリトリーの場所や範囲にも変化があり、日々の散歩で色々な変化に出会うと嬉しくなる。

十月桜が開花し、イロハモミジが美しいグラデーションを見せる。しかし美しいとは何処からくるのか、それは情緒からではないか。

言葉についての、

言葉はどのように生まれたのかという話は別にして、ラカンの言う「言葉は常に語りたいことを語り損ねる」という、言葉によってのみの真理があるとしても、それをどれだけ語ろうとしてもトーラス(ドーナツ状の図形)の様に埋まらない穴があるという、人は何時からかそういう言葉の世界と交わっている。


そんな事を考えながら曲を書いては消し、試行錯誤を繰り返していたら、最近「この歌詞はどうもこれ以上いじらない方が良さそうだ」と思える曲が数曲出来た。

珍しいことだ。
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次回のライブ

2018-10-29 23:04:50 | 日記

次回のライブです。

11/16日(金) 山形sandinista
「地下室のミッドナイトブルース」
出演
ANIEKY A GO GO!
Tommy boys
少太
ギリギリboyz
イノウエゴロウ
BRONCO.

start 19:00
Charge 前売り¥2000 当日 ¥2500(ドリンク付)
山形県山形市香澄町2-3-35 八巻ビルB1F
TEL 023-622-8962
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ライブです

2018-09-27 22:42:41 | 日記


ライブです、とても久しぶりです。
大阪から金森さんがTarjiにて、という訳で私も歌います。

10/14(日) 金森幸介 LIVE
出演 金森幸介 / 少太
Open 19:00 Start 19:30 前売2000円 当日2500円(ドリンク別)

BarTarji
山形県山形市七日町2丁目7−28
023-623-3944

是非に!
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踊り続けること

2018-09-08 23:47:33 | 日記


ある時ふと感じた事で思ったんですよね。


私はギタリストではなく、ピアニストでもなく、ましてやボーカリストでもない、音と言葉のダンスを踊り続けているだけなんですね。


それは人の目に触れるライブの様な場所であろうが、だれの目にも触れない場所であろうが同じことで、こう書くと誤解されないように、ライブがどうでもいいという話では全然ない。


ライブだからライブ用の音をやるというのではなく、日々やっている事がライブとも言えるし、ライブが日々やっている事とも言える。

ただ踊り続けているだけなんですよね。


ずっとそうしていくだけなんですね。


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わからないがあるがゆえに

2018-09-07 00:32:05 | 日記
本を読んでいて、本当の書き手の心みたいなものが「わかって」しまったならば、それはとても恐ろしい事になる。

「解らないけど、こういう事を言いたいのではないか」くらいになるから程よいわけで、例えば誰かと長く会話をしていてその人の本当の心が解ってしまったらその人はその人でいられなくなってしまうだろう。

ユングもフロイトもラカンも「本当の事は解らない」という事を「解って」いたはずで、そうでないと本を読むという行為がとんでもない事になるのではないか。

詩を書き歌う人も、言葉の変わりに形としての別の表現をする人も、何かを伝えようとするが、受け手が真意こそ解らないからそれらに没頭できる、没頭しようとするのではないか。


そう思うと言葉というのますますがわからなく、ますます深まるばかり。
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日常に

2018-09-04 12:40:29 | 日記
山形に帰り、翌日に早速猫達に逢いに行く。

生まれたときから一緒だった兄弟が数ヶ月前にいなくなり、以来一匹になったトラちゃん、今日もひっくり返りお腹を見せる。

クロち、チャトくん、チャチくん モジャ、トロちゃん、皆元気な様子。猫達に逢ってこちらも日常に。

さて、また一年、やるか。
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理由はいらない

2018-09-01 22:27:47 | 日記
そこにただ森があり、ただ山があり、ただ川が流れていて、ただ青い空があり、ただ湖があり、ただ庭園があり、ただ茶室があり、ただ鯉が泳いでいて、ただ霧がかかり、ただ雨が降ってきて、ただ大地があり、ただ前に進んでいる。


私が生きていること、あらゆる物には名前や由来があるが、そんなことはどうでもよくて、ただそれらはそこにあり、ただ私とあなたがそこにいる。

今回はそんな旅というか、そんな風になれた旅だった。


脳の中で何かが蠢きパンッ!とはじけたようだ。
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ゴマフアザラシ

2018-08-29 23:59:40 | 日記
なかなかの北海道キャンプ、立ち寄ったオホーツク海沿いの施設で立ち泳ぎしている、いやゴマフアザラシは2足歩行するわけではないから立ち泳ぎとはいわないのか、声をかけるとこちらによってきて垂直に泳いだまま鳴き声をたてる、なんとも愛くるしい。

ここにいるのは飼育されたゴマフアザラシのほか怪我をした個体や魚網に絡まって保護されたゴマフアザラシで、ここで治療してやがて船で沖に返されるのだそうな。

こんなに幼い声でキーキー鳴くゴマフアザラシを初めて見た、この子もまだ治療中なのだろうか。

旅も半ば、明日は墓参り。
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初めての心境

2018-08-26 01:52:16 | 日記


ここ数年の話。
何といえば良いのか、すべての物事、論理、一つの物事があれば必ず否定、肯定があり、そういうものに憤りを覚えなくなって、知識人は本質的私から知識に飲み込まれ、それは評論家も、専門家も同じことで、興味からの、知りたい事、覚えたい事からの離脱という、そういう気持ちは初めての事で、それらがどうでもよくなったという事では全然なくて、ただそういう気持ち(僕にとってこれはもう迷宮の入り口)の状態で旅に出られることはとても嬉しくある。明日の今頃は船の中でただ夢を見る。
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水のうねり

2018-08-06 18:17:50 | 日記

↓読み返して言いたい事があまり表されていないと思い( )の中を付け足す。




大雨の影響でゴウゴウと満たされた河川を望みながら、

同じ河川を見つめていても、考えやイメージが以前とは大きく違ってきている。

最近聞いた面白い話の発端である、その高齢の釣り人は相変わらずメモ用紙に乱れ書きしているが、実は昔小説家になりたかったそうだ。

河川を見つめて思考する私のマインドもそちらがわに近い様になっていると感じている。

以前の「川よこんな私を洗い流しておくれ」みたいな「私」が川に思いを寄せる様な言葉(この私が見つめるあの川という非対称の関係性)ではなく、ただただ流れの変化していくさま、を観ていて奥の方から浮かび上がる言葉(ただ私でありただ川である、理由なきただなのだから川は私とも言えるし私は川とも言える無意識に近い関係性)

そういう思いの変化というか、既にあった何かを経ていくことが老いというものならば、老いはまた可能性でもある。

またそうした変化に早く出逢いたい、といっても、それを待つのではなく探して。
(ここで書いた老いは確実に時間軸にそっているのだけど、とつぜんおとずれる閃光のようなひらめきは時間軸にそって一定の方向には動いてはいない、だから時を待っていても訪れることはない)

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