少太 BLOG

考える日々

暴風で

2016-08-31 00:50:54 | 日記
昔世話になった友人と昔世話になった居酒屋で飲んでいて、表面的な挨拶から当然の様に昔話へと流れ込み海馬からすでに大脳皮質に貯蔵されているのではというほどの記憶が掘り起こされて、今新たに上塗りされた記憶を話していたら、その話が音楽のように聴こえてきて、またその音楽の様に聴こえてきた話が、新たな昔に色をつけた今の記憶となって残った。


明日から最北に向けて走る。台風はきっと抜けるだろう。


暴風で両親の家の窓がガタガタといっている暑くて窓をあけるにも開けられない、寝苦しい部屋で書く。


ところで高校時代日々ワープロで打っていた日記の様なものが、何を書いていたのか気になり、まだ残っているだろうか、捜そうとして、やめた。


窓を少しだけ開けたが、暴風で今にも外れそうになり閉めた。


とにかく明日から最北へ!
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この虚弱は

2016-08-28 23:06:08 | 日記
無事にフェリーに搭乗し、多少の揺れはあるものの、台風の影響そのものの揺れはまだなく、揺れに任せて酒に酔い、その酔いにまかせて眠りにつく。明日であらば、7時間ほどはやい臨時便らしく、明後日であらば欠航だった。隙間ギリギリだ。


12号ではなく、異例の動きをしている台風10号も31日にぬけてくれれば、当初の予定通り、最北端まで行けるであろう。



めずらしく胃腸の調子は好調なものの、出発の朝からひどい鼻炎におそわれ、もう、いちいちこの虚弱体質はやってくれるなーと思う。
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日々天気予報と

2016-08-23 19:04:45 | 日記


台風の影響による太平洋フェリー欠航が相次いでいる。


大丈夫だろうか、旅の間の天気そのものよりも、台風の影響によるフェリーの方を心配しているという経験はきっと山形に来てから、という事は12年間で初めての様な気がする。

しかしこういうことは、事前にあれこれ気圧の尾根がこうあるからこうなるとかを調べても仕方がない、自然の事なのだから。


問題はその時の対処法にある。とはいえ出来る対処法は最悪の場合日程を変更する事しかない。


11号が温帯低気圧にかわり、差し当たり12号か。
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しばらくは旅日記か

2016-08-18 01:17:25 | 日記
形而上学、下学において、無、「無分節」と、有「分節的」に言葉として分けた場合の、分節的な次元から解こうとする上学、言葉で論ずる場合そのために真如を心と仮名したうえで、新たに真如を解こうとするというか、問いが、分節的に無分節、またはその逆、双方を相対的に言葉のもと進んで行くと、同じ点というかラインに重なるという、無は有を含んで無になるとでもいえばよいか、井筒俊彦の本を言葉を調べながらゆっくり読んでいて、まだこの程度にしか理解できていない、というより、心でわかっていながら自分なりの言葉で書こうとすると、この様な段階でしかないけれど、それはまたいずれ感じるままに書くとして。




ところでいよいよ今年もまた北海道への旅立ちなので、頭も一度そちらに向かう。何よりも楽しみにしている事でもあるのだから。


何があるか、何を感じて、何を思って、とにかく楽しみだ。


しばらくは旅日記か。
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クダラナ庄助祭り

2016-08-08 18:01:16 | 日記
次回のライブはクダラナ庄助祭りです。

今年は大風呂敷祭り、盆踊りと同時開催という事なので、どうなることやら楽しみです。


2016年8月15日(月) 12時〜20時(盆踊りは18 時から)を予定

会場:【盆踊り】福島市 街なか広場(福島市本町 17−1・JR福島駅より徒歩5分)

【クダラナ庄助祭り】福島テルサほか、市内各所 のライブハウス等

入場料:街なか広場での盆踊りは参加無料、ライブハウ ス等での福島クダラナ庄助祭りは有料(一部無料)


HP→ http://www.pj-fukushima.jp/event/post-16.php

facebook→ https://m.facebook.com/kudarana.info/?locale2=ja_JP
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時に思考というのは

2016-08-05 18:45:27 | 日記


目覚めとともに体調が悪く、散歩に出たら危ないだろうかとも思いながらも散歩に出た。


45分程度のコースをいつもならばあれやこれやと観察しながら行くのだけど、散歩の終始、頭の中で「裏声と地声」と「ブラシとチチチ」という事についてずーっと考えていたら、家に帰ってから、通ってきたはずのその風景があらず、風景として残ったものは数枚の写真のようなものだけで、風の匂いも、肌で感じていたはずの熱風も、灼熱の太陽も、匂いを通しての味覚も、風に歌う葉の音も、全く感じていなかった事に気付いて、時に思考というのは五感さえも奪ってしまうものなのかと驚いて、そんな経験あるでしょう?無いか。


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私がさがしている音というのは

2016-08-01 22:24:39 | 日記


そんなに重要な事ではない、「良いライブをやる為に」という向き合い方は。

日々の音への向き合いが何かの新しいきっかけのために離れていくとすれば、それもまた新たな何かの前触れなのかもしれない。


一心不乱に向かい続ける事よりも、今これだ!と思える事もまた、次第に薄れていき、確かだと思えたはずの一歩が胡乱な一歩となって、また荒野をさまよい続ける様な世界の方が好きだ。

というのも、何かを発する、表すという行為そのものが、音楽を一心不乱にやるという行為のみでは成り立たないのではないか。



もちろん、努力もせずに、ただ何となく音楽に向かいながら歩くのがいい、という事ではなくて、表現者は技術屋とは違うのであって、だから自分の音に対して一心不乱に必死に励めば、結果良いものが出来るという単調な世界ではないということ。

少なくとも私が探している音というのはそういう音だ。
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