少太 BLOG

考える日々

ライブです

2015-10-29 20:11:39 | 日記
ライブです。

11/8(日)仙台 居酒BAR夢人 [虚弱Night]
Open 18:00 Start 19:00 Charge ¥1000
少太 / 松沢春伸 O.Act 伊藤雄哉
仙台市青葉区中央1-7-18 日吉第一ビルB1F
TEL 022-266-7505

さて・・。
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その向こう側から

2015-10-24 21:49:51 | 日記
いつもの公園を歩いていて、綺麗だなと思って写真をとっていたら、直後に突風がやってきて、アスファルトに散らばった葉を一方へさらうようにして「ブァーッ」と歩く道が一面木の葉で塗りたくられた様な道になって、歩きながらその風景を観て、ゴッホの晩年のあの病室からの絵を思い出して、誰かがその向こう側から歩いてくる気がした。

ブァーッという木の葉の合唱にたいして、「うゎぁー」と言いながら。
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感情から生まれる

2015-10-23 21:18:25 | 日記
言葉により与えられる信頼(そうとらえられる自己的な)は、いつの間にか形を変えたり、何処かへ行ってしまう事があるが、内面に起こる感情から生まれる信頼というのは変わらずそこにいる。そういうものを大事にしたい。
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また芽吹くために

2015-10-22 18:32:16 | 日記

鮮やかな赤や黄色、茶褐色に朽ちる葉、また芽吹くために。

それらを箒で数か所に集めるおじさん、風も手伝っている。

昼休みなのかフェンス越しに猫の方へやってきて、「結局は捨てる人が一番わるいのよね」と言って戻っていったおばさん。

夏を背中に冬に向かう、山形の。

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クダラナ庄助祭り

2015-10-18 16:01:07 | 日記
クダラナ庄助祭り、激動であった。ライブに関しては特に書くことがない。人気のある、名前のあるなどは本当にどうでもいい事だし、ありがたい人がいたな、という事くらいで、自身のステージは「さてどうなるか」という思いでいどみ「今日はこうなったか」というわけだから。

問題は宴会場での打ち上げである、飲まなきゃいいのに飲んでしまう、それなりに楽しいから、また飲んでしまう。知り合いが数人しかいなくても、フラフラしてしまう。まぁ一夜限りのイベントだからまだ良いけれど、こんな1日が3日も続けば4日目には間違いなく寝たきりになるだろう。途中で隙をみて温泉に浸かりに行ったら脱衣場で裸で倒れている人がいて、「大丈夫ですか」と行ったらムクッと起きて「めっちゃ気持ちいいっす」と予想だにしない返事をしながら温泉に入っていった。なんだ、調子が悪いのでなく、めっちゃ気持ちよく寝てたのか。そして宴は朝方まで続いたらしい・・。

そんなわけで朝フラフラしながら旅館を出て歩いていたら、車でやって来た優作君に見つかって、見つかったおかげで福島駅まで乗せていってくれて、大阪で会った時もそうなのだけど、この兄弟の車内での本音の会話が面白い。

またどこかで会うだろう。長見さん、のりおさんに感謝です。
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自由に何かをやるというのは

2015-10-16 00:18:38 | 日記
孤独な闘い、とはいえ、自分から引き出そうという、創作の段階で、たった一人で何かを生み出そうとする段階では、実は孤独では無いような気がしている。

何か、いつでも自分の子供の様な、そこには存在しない物が内部に身を置いていて、それがもう一人の自分というのではなく、まだ何も知らない子供の様な存在のようなもの。育てる方向と、育つ方向が定まらない、どこへ向かうのかというような実在しないもの。

だからやるという事がある。

「さぁ、筆をわたそう、無になって、自由にやってごらん」というときに、筆がスーッと滑り出すのは、頭で考える自由にやってみせるというふうに意識が働いているのではないか。自由に何かをやるというのはすでに言葉としては逆のように思う。

ふと反応する動きに自由さを感じられる、微動だにしない筆がピクリと動くとき、もしかしたら今の一瞬が自由というのかもしれないなというような、そういう自由ならまだ少しは自由という事の面白さは残されているかもしれない。
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ライブに駒を進める

2015-10-12 17:56:22 | 日記
久しぶりの立派な二日酔いに見舞われて、10時の三七日には飛び起きたものの、お経の途中で何度か「うぇっ」となって、そのあと皆で集まろうという話になったらしいけど、一人家に帰り布団にくるまって、夕方までそうなった。

起きて店に行き、掃除して、相方に怒られない程度のそう大きくない本棚が届いていたので、インパクトドライバーをもってかえって組み立てて、本を並べて、並んだ本を眺めて、完全な自己満足にひたり、しかし怒られない程度の本棚はすぐにいっぱいになってしまって、怒られてもいいからもう一つ買おうと思い始めた。

昨夜また「一曲聴かせてコール」により、酔って一曲やってしまった叫びが、今日になって、えずきとなって出てきたみたいだけれど、ただの酔いの歌に涙を流してくれた人の感情がこちらにやってきて、今になって少し嬉しくなった。

県外の人が山形の人々を客観視しながら、それでも山形に住んでいて、「山形ってー」とかいう人がいるけれども、何処の田舎にも同じ様に田舎特有の気質による会話があるわけで、問題は捉え方である。

良さを探していくというのは都合の良いやり方で、かえって孤立する場合がある。もっと全面的に・・いや、何を書いているのだ、バカバカしい。

とにかく今は週末のライブに駒を進める。
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ライブです

2015-10-11 17:58:43 | 日記

ライブです。

長見順さんにお誘いいただき、福島市のイベントに参加します。

10/17(土)[福島クダラナ庄助祭り]

会場 福島駅周辺のお店、13:00 START

僕はAS SOON ASというお店でやる予定です。

タイムテーブル http://www.pj-fukushima.jp/event/images/TTMAP_kudarana.jpg

どうなりますやら・・。
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生に向かう

2015-10-11 03:47:00 | 日記
思考について考える。身の回りからの疑問はやがては、国へと変わり、やがては世界へと変わる。少しばかり国家に未来がない、もしくは恐るべき未来しかないと思い始めると、どちらか側につく事に生きる意味を持つようになり、その者達でさえ欺くようになると、神こそが生きる者、神をかかげてこそ生きる資格があるのだという思考になる。

救われる神ではなく、生きる意味を持つ生きた神である。

それで神々の思考をたどる。ソクラテス・ゼウス・ディオニソス・・の様に崇められる人達であるが、それは己がむくわれるために信じれるためだけの神である。つまりは3次元での神である。理想の神をたどるのである。その思考をもって比較対照にするのである。

その理想の神でさえ裁かれ、己にとっての悪人だと思うようになると、人類を破滅に導くのだと思い始めると、もはや言葉を持つ人類の飛躍した脳を肯定させようと、人類だけがと肯定の種を求め出す、進化論である。人類を肯定するための進化論である。しかし、進化論というのは自分が生きる意味を教えてはくれないのであって、いかなる証明によっても、思考と現実が噛み合わないために、現実こそが生であるといよいよ死に、死者の思考を求める様になる。人は死の思考によって、救われようとするのである。

人々と接して、交わり、生死を目の当たりにして行くと、今日は少し体調が悪く布団にくるまりながら、ただ思いつきで今書いている事は実は生から逃れようと、生を否定したうえで肯定しようとする思考である。
肯定のまき散らした否定の否定である。

僕自身の今の思考はおそらく、生を私、個体的、全体的、そのどちらともとらえ、どちらでもないととらえ、死に向かう生として、生に向かう事である。
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怒られた時の様な顔をして

2015-10-08 18:12:38 | 日記

「そろそろだぇ」と相談でもしているように集まってのんびりと浮かぶカモの群れの隙間を、低空飛行しながら驚くスピードで一直線に、時にはゆるく蛇行しながら途中水面に「ボチャッ」と潜りその長く鋭い嘴で小魚を捕える青い宝石、カワセミ。時に光った様にみえる背中の綺麗な水色をここ数日毎日目にしている。

梅の木のそばの猫のモジャとサビのいる場所にどこからか表れた白に茶色と黒のまだら模様をした子猫、3匹仲良く撫でていたら、サビが「ニャギャギャギャー!」と子猫にアタック、子猫はこちらの足元にすり寄り怒られた時の様な顔をしてうつむいてしまった。

また会いにこよう。

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いやぁ

2015-10-06 18:28:45 | 日記


一足先に帰った夜、の宴の後片付けをしながら、意味もなくカウンター6席の隙間にぎゅうぎゅうと椅子が並んでいて、ぎゅうぎゅうと人が座っていたわけではなかったけど椅子だけが隙間なく。

一昨日ガラスで切ってしまった手を、布団に包まり布団に血が付かない様にとほとんど無意識でちり紙と輪ゴムでぐるっと巻いていたのが、朝骨まで響くような激痛で、何事かと目を覚ますと、輪ゴムの締め付けが強すぎたみたいで、右手が赤くパンパンになっていて骨まで圧迫していた様で、一番やってはいけない対処法を、酔いに任せてやっていた様でびっくりした。

一日たって輪ゴムの締め付け部分だけがほんのり赤く恥ずかしそうに残った。割れたガラスには要注意です。あと酔った時の対処法にも。
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まともに書けない

2015-10-05 04:04:14 | 日記
今宵、とっても良いライブの帰り道に、とっても良いからチューハイを飲んで帰ろうと思ったら、指定ごみのおかげで流血していまい、ポタポタとコンビニの床にポタポタと。酔っ払いの血がポタポタと流れるのです。
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そんなこと明日になってみなきゃわからないもの

2015-10-03 01:18:07 | 日記

今日は早い時間からパタパタしていてそのパタパタには終わりがある。

醜くも、美しくも今日の終わり。始まる事には終わりがある。終る以前は残した足跡をたどり、その後は解らない。

足跡が止まった後の事ばかりを思い続けている。生きている物が死者達を通して。そうして歩いている。また生まれ終る、また生まれ・・終るためにか。

こうして叩くキーボードの前で少し頭を抱える、うずくまる、考える、導くものがもはや僕の中には無いものとして、この苦悩を与えてくれる、僕が望む音楽に感謝しながら、それでも導いてくれる事があり、ただ導かれるままに。

「今日は美味しいお酒をのんだかしら、明日は何を食べようかしら、何を食べたいだなんて明日になってみなきゃわからないもの」女が言う。

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