少太 BLOG

考える日々

時とさんぶつ

2014-06-06 03:23:40 | インポート


僕の好きな友達、バーテンダーの歌を不器用に歌う友達、仲間。友達はあまり酒を呑まなかった。話すことはそう、あまりにも無鉄砲なはなし。四国出身の彼。



ある日酔っ払いともめた時に「おまえに酔っ払いの気持ちが解るかー!」と言われてからカリスマバーテンは酒をくらうようになった。勘定もままならなくなった。でもお客さんは愛すべきやつだと付いてはなれなかった。全ては信頼があったからだ。



でも、信頼をたよりに通いつめていたやつら、僕も大好きだったやつらはしばらくしてからもまれもまれ、また時がたった事を知らされる頃には何処かへ行ってしまった。体はそこにいて会うとあたりまえの話をするのだけれど、たえず動く時間の中でまったくやつらは相も変わらず止まっているようにみえる。そこに僕の友達は一時のバーテンダーとしてすでに過去のさんぶつみたいな者としてそんざいしているかのように話し出す。


かこのさんぶつは今も小さな港町でバーテンダーを始めているのに。彼は巣からはなれていったとさんぶつと考えるような愛すべきと呼んでいた群がりは言う。




ただひとついえるのは僕にとってはいらっしゃい、カリスマはいよいよここに来たか、ここというのは場所じゃなくて心境に来たかという事。


はなれてはなれて、もっとはなれる事で見事に汚点がよぅみえる。まるで手に取る様に。

僕の好きなバーテンは片田舎の港町でそれでもバカな連中に面を張っている。僕の好きなバーテンはバーテンしか出来ない運命にあると僕の好きなバーテンは思っているのだから。


そして通いつめた人達はまた都会の中で愛すべきバーテンを探すのだろう。


まったくの僕の記憶の断片より・と打つ。

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透明ではない

2014-06-05 03:39:33 | インポート


今の私は透明。誰かがいった。



それは透明な姿の自分の幻想に見立てているだけだ。透明はなにも発っせない。誰かの私は発する事が出来る。



好きなとか、好かれる様な事ではなくて、発してしまう様な事、あなたは、きみは、私が、僕が、イメージではなくて、体内で溢れだすような事、言葉。それ達は他人の内面をことばそのものでとらえる人には届かないこと。


その透明な私が、綱を引こうとする。引けやしない、透明でいられる場所をさがしても、ただ何度も姿をみせなくてすむ場所が見つかるだけだ。



誰かの私は無気力からうまれる私は無力といった体から付いてはなれないものと願ってやまない向上を感じているだろう。


その透明な私というのは発する事も感じることも出来るのだから、透明な視線で映る透明ではないものを観ればいい。

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違う事をすると違う事にきづく

2014-06-01 13:28:21 | インポート


解りきれない中身と消耗してく時間と一秒後の音、リズムの様なものがキメだとするとまったくキマらない音、時間にたとえれば始まりと終わりがあるだけ。



今何処に足を付いているのか、足だけが映るからわからない。ブーツの状態が随分古くなってきたな、靴ひもがアンバランスだなとか思いながら手がギターを鳴らし声帯が声を鳴らしている。この状態を繰り返す事により得られる物、その得られた物事は次につながり次は靴ひもがほどよいバランスになっていると思えば以前とはちがう事に気付くだろう。


そういうことだ、どういうことだ?



電車が遅れている、煙がどうのとか言っている。頑張ってバスに乗りゃよかったか。ケンタッキーの匂いと昨夜のすでに思い出になっている夜と虚弱な体はまた帰り道に出掛けようとする。


皆さんお疲れ様という事でね。



やれ20分もおくれているぞ仙山線、急ぐ人もいるだろうに。やるな、運転手、そのアナウンスはないだろ(笑)またね仙台とそのもの達!

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