少太 BLOG

考える日々

科学は言語の宿題

2022-04-01 04:05:37 | 日記
全ての思考、現象は言語が先立っているというのはかなり信憑性が強い。

例えば揺れている木を観て木が揺れているということは「風が吹いて木を揺らしている」という言葉が先立って現象を認識させる。

しかしそれでは説明出来ない人種、事柄がたしかにある。そういう事が必要のない民族、「精霊が木を揺らしている」とても面白い。

生きるとは起源に帰る事なのか。

2022-02-11 17:09:05

2022-02-11 17:09:05 | 日記
雪海原

2021-12-16 03:53:31 | 日記
いにしえに
椿見立てて
待ちぼうけ

-3-

2021-08-19 03:16:05 | 日記
私の思う足跡は後ろに尾を引きながら伸びてゆき、唯一今現在という確かな根拠を私は観ている様で、それではともう一度前を見据えて歩いていると、吹雪に遮られた視界の遠くの方に雨風をしのげそうなひとつの洞穴をみつけた。

洞穴の奥に繋がる道筋はなく、広々とした空間があり、私はその場所に不思議な安堵を感じて、なるべく平たい場所を見つけて横になり、そのまま有り余る疲れに、暗黒の洞穴の湿った静けさに、身体が引きずり込まれる様にして眠ってしまった。

ハレルヤ

2021-06-20 18:43:29 | 日記


ハレルヤー

日記

2021-06-03 02:27:33 | 日記
プラトンのプロタゴラスの中に書かれてあるように、汝にとっての善と悪を考慮判断するときに、ずっと先に起こりうる様なものを思考する数学的な時間のものさしは必要だと考える。

一方で私と誰かを計る時間が不必要なものさしは不必要と考える。

終わりなき物語。

2021-04-29 03:47:48

2021-04-29 03:47:48 | 日記
今日はまた植物の根が水中に一ミリ伸びた。

植物の名前は忘れてしまった。
卓上のチューリップの花は土偶の様な形にゆがみ枯れゆくよう。

「こんにちは」

「あちらから来たのですが、そちらがわの山道に花は咲いていましたか?」
「いえ、山道は枯れ枝ばかりでしたが、花が好きでしたらそちらにいかれるよりは野の園にいかれてみては」

「ありがとうございます、でも管理された園に出向いてみても、わたくしが知らない小さな花をわたくしが見つけた喜びがないでしょう」

「花がお好きなのですね」

「はい、知らない場所で知らない花に出会えるのが好きです」

帰り道に杉の道。

梅の

2021-03-31 18:12:36 | 日記


一人の男児がこちらへ駆け寄って来る、パタパタと。

「わーキレイー!」

「ほれーたけしー鼻水ででっどれー」

「あかーしろー!」

「鼻水でっだー」

「ピンクー!」

「はなみずー」

「キレイー!」

「はーなーみーずー」

「おかあさーん、ウメのー」

「はーなー」

奏でることと書くこと

2021-02-24 22:13:33 | 日記
私の好きな小説家の人達の小説に向かうときの思考を読んでいると、だいたい同じ様な共通点がある。

だいたい話の筋道の事はあんまり考えてなくて、だいたい行き当たりばったりで、だいたい『音楽』を奏でるように言葉に向かうときに身体のリズムがあって、だいたいそれはまるで『音楽』で、だいたい書き終えた時に書き始めた時とは違う場所に居る自分に気付く、少なからず飛躍している自分がいるという様な事。

私はライブをやっている時に、或いは音を創作しているときに体感として同じ様な事を感じることがあるのだけど、小説家にとってのその音楽のあり方を、音楽家とは言えないにしても音楽をやっている私にとってのその文章に向かっている途中の揺らぎのリズムの様なものが感じられ、1つの物語がその手により掘り起こされ作り上げられたとしたら、また私の音楽に微塵にでも変化が生まれるのではないかという風に思っている。

日々何かしら思った事などを、とにかく文章に向かう事を続けているのだけど、、、。

カミュ著作の『ペスト』の中でグランという人物がひそかに執筆活動をしていて50ページ程の原稿のその部分

「美しく晴れた栗毛の牝馬に跨がり森の小道の花のなかを駆け巡っていた」

という部分を何度も言葉を変えては書き直して、「いや、やはり美しくというのはどこか良くない」と、長い間書いていたその原稿を医師であるリウーに消えかかった火の中に燃やしてほしいと頼む部分があって、そういえば私も何年も同じ様な事をしている様な気がしている。

別に何か目標があるわけでもなく、ただ文章を書いている事が楽しいのでそれでいいと思うけれど。

ごきげんよう

2021-01-20 18:47:46 | 日記



おてんば娘と、臆病息子。

-2-

2021-01-20 01:12:19 | 日記・エッセイ・コラム
昨夜の出来事はまるで覚えていないどころか、私が今何処にいるのかもわからない。

解るのは ただ、両足が少し、あるべき両足が少し無いという事と、乾燥した空気に漂うたたきつける放射の風、それにより虹色の塵達が輝き、またそれが、こんな私を少しばかり祝福している様に感じられた事だった。

これが現実であれば、確かに私は昨日ざわめく雑踏のなかで、日常の管を巻き、また、私も雑踏のひと藁となって全体に溶け込もうとしていたあの賑わう街に確かにいたのだ。

虹色の街の一場面で、ピエロの様な美しい女性達、腰をぐんぐん振りながらすすりよってくる女性達に私はその女性達の腰のひと振りが、女性そのものの象徴の様な気がして、気を良くゆるし、少し顔を熱らせながら多量の葡萄酒を飲んでいた。

その一群とよく幸福について、或いは異性について、よく語り合ったものだ、つまり運命について。

私にはつねに長い時間を共にした友が一人だけあった様に思うが、その名、風貌がどうしても思い出せない。
与えられたものなのか、自ら選択しているのか、とにかくそのどちらにも向かい、膝下にまで増した雪の絨毯を前へ進もうとしていた。

-1-

2020-12-24 01:30:12 | 日記・エッセイ・コラム
ギシギシとうなるようにも聞こえる足元、目の前に広がる光景はただモノトーンであり、静まりかえったというのもそのモノトーンの作り出す形跡なのかもしれない。
その重たい足を持ち上げる様にして、北の地のアカマツの枝に積もった雪が何かの予兆の様にあちらで音をたてたかと思うとまたこちらでも音をたてた。





開けた場所に立つ樹

2020-12-15 19:06:12 | 日記

幼い頃、「やっぱりおまえの投げる雪玉が一番速い!」と友人たちにおだてられてすっかり気をよくした私は、何を思ったか手袋を脱ぎ捨てて、冷たく固く握ったその球体を「それもう一丁、やれどうだ!」としばらく投げ続け、皆が解散した後で、すっかり冷たくなった手の痛みに泣きながら帰り、その夜両手はむくんだように腫れ上がり、軽度の凍傷になった記憶がある。

そして現在、重度の末端冷え性である。


今年もそんな季節がやってきた。

この様に開けた場に立っている樹、景色を眺めていると、モーセ五書の創世記、エデンの東のあの楽園を連想してしまう、そうすると真ん中の樹は智慧の樹か、、。

ここは雪国。

日記

2020-12-06 03:33:52 | 日記


朝靄美しけれど、わが心妄りけり
真のそこにあなた思いしけれども、そこにあなたおらず、あぁそれではあなた何処と、思いはせども、あなたはただそこに出で、また、出で、またこのような朝靄と浮遊してしまうのです。

ところでそのあなたとは何を表すのか、常に自らを駆り立て、貪欲にまみれながら超越された何処かへ連れてゆこうとするもう一人の誰か、あるかも解らない場所、宛先のない手紙、心に変わる実在しないが霧のように時に濃く浮かぶもの、神のような存在?

愚かで、それでいてなんと美しい世界。

日記

目が停まる

2020-07-05 16:59:55 | 日記
アリウム、に目が停まる。
両手を丸形にしてそっと触れてみる。

光が映す塵の様にふわり、花粉が舞う、風媒花ならぬ手媒花。