2月23日(木) 11/ー4℃
「天皇誕生日」です
今上天皇は、昭和35年(1960)のこの日に誕生されました
63歳、おめでとうございます
《陛下63歳 結婚30年「心から感謝」愛子さまの存在「私たちの生活を楽しいものに」 記者会見で“家族愛”語られる》 (2月23日0:00配信=FNNプライムオンライン)
「・・・世界が直面するこうした困難な現実に、深い悲しみを覚えます」と述べ、「いずれの国も自国のことのみを考えるのではなく、ほかの国々とも互いの違いを乗り越えるべく対話を重ね、協力しながら問題を解決していくことの大切さを強く感じます」と平和を願う気持ちを示されました」
上皇・上皇号のお気持ちが受け継がれています
政治は曲折しても、天皇・皇后が平和憲法の最大の支持者であり続けることを願います
路傍の道祖神はいいですね
「疫病入ってくるな!!」の、古の村人の願いが籠っています
(珍しい双体道祖神です)
(これも珍しい男根道祖神!)
庚申塔(三猿がはっきり刻まれています)も
馬頭観音も
石仏 etc も、みんな村人の思いを伝えています
集落を疫病から守るためー-ですが、さて、その建立者は?
費用の捻出はどこから?
集落で建立を決議して浄財を募ったとも考えられますし、寺や富裕な人がスポンサーになったとも考えられますが、果たして真相はどうなんでしょう?
この令和の時代の、疫病「新型コロナ」の蔓延
少し昔なら神仏に頼るしかなかったのです
医学が進歩した現代ではありますが、一日も早い撲滅を願って、集落入口に、新たに道祖神を建てたところはないのでしょうか?
jiiji ・・・
「令和の道祖神」を考えてみました
石材店で、10万円位?
それで末永く歴史が残ります
まぁ
個人が建てるというものではありませんし、集落の合意形成も大変そうですし(何しろ前例がない)、一番は、道祖神に効果が伴なわないことがわかっていますから、やはり難しいでしょうね
(イメージです)
どこまで防衛のウイングを広げるか?!
平和憲法下の、この国の防衛・・・
いかなる敵の脅威にも、いかなる事態にも対応できる「防衛」とは?
そりゃ
〇 敵基地先制攻撃も
〇 核を積んだICBMも
〇 非常事態での「私権」の制約も
〇 津々浦々の地下防空壕も
〇 徴兵制も
〇 現在の何倍かの軍事予算も
・・・と、止まることもなエスカレート!!
そして、相手のエスカレートを招きます
地元、信濃毎日新聞の『斜面』では亡くなったアニメ作家・松本零士さんがかつて
ーいずれ地球は統一されて地球人という一単位になると語っていた。今は戦国時代の最後だと。
20年も前に刊行された本の話しです
20年前と言うと21世紀に入った頃・・・
ロシアは、エリツィンからプーチンに変わります
そこから時計が、逆に回り出しました
92歳となった職場の先輩、Yさんがいつものように地元ローカル紙に投稿です
―たとえアメリカが作った日本国憲法でも二度と戦争はしないと誓った心を大切にする。戦争隊
験者の決意だ。
これまでも一貫して、軍備増強一辺倒の安全保障を批判・・・
そのブレない姿勢に73歳の jiiji は です
「防衛だから・・・」と、次々と歯止めを壊していくその先に何がやってくるか?!
若い政治家のみなさん、勇ましさは禁物です
86歳・・・
ご冥福をお祈りします
「時は人を選ぶ」・・・
内も外も ”大人(たいじん)”
まさに
あのビック事業を成し遂げるにふさわしい長野市長でした
《元長野市長の塚田佐さんが死去、4期16年、長野五輪の開催に尽力》 (2月22日SBC信越放送)
「・・58ヘクタールという広い面積の区画整理事業は、オリンピック開催もにらみながら、着工から30年近く、構想からは半世紀を経て塚田市長を含め3代の市長によって、2020年にようやく整備が終了しました」
☟ ある研修で塚田佐邸の前を通ることがあって、ノーアポながらみんなで覗き込んでいると、ちょうどおられた塚田さんが
「入ってこいや・・・」
あれこれご案内いただきました
10年前のことです
誰にでも気さくな人でした
塚田さんは73歳になったばかりで、奥様の玲子さんを亡くします
早い別れでした
そして塚田さんが亡くなられたのは2月22日・・・
jiiji 提唱 の、「夫婦二人幸せを感じる日」です
二人でゆっくりとお休みください
奥様には一度お会いしただけですが、美味しいお茶を頂きました
「あの人にして この人あり」?
「この人にして あの人あり」?
その時県議だった竹内久幸さん(故人)のブログには
ー私が会葬をし挨拶に行った時、「にっこり」と笑顔で「お忙しい中、お越し頂き、ありがとうございました。」と御礼を述べた後、両手を差し出し力強く握手をしてくれました。私は思わず「頑張って下さい!」と強い口調で言い握手に力を入れると、佐さんもなお一層握手に力を込めて頂きました。
・・・と、告別式の様子に触れています
「野党」の議員にも心は通じていましたね
書道の篆書からでした。今は筆を休めている私です。