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美濃・仲深山砦 明智へ至る信州からの往還を扼する山城

2020-01-31 | 歴史

仲深山砦は岐阜県恵那市明智町万ヶ洞にあります。仲深山は「なかのみやま」と読むそうです。
 明知城は織田と武田の領国の境目の城として攻防が繰返されましたが、明知城の南、万ヶ洞を挟んでおよそ300mの至近距離に築かれた仲深山砦は、明知城の出城として万ヶ洞を通る信州からの街道(中馬街道)を扼する位置に築かれたとされます。
 今回は「岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集」2004と「信濃をめぐる境目の城と館」宮坂武男 2015 などを資料として出掛けました。
 
仲深山城 東から伸びる尾根の西端部に砦は築かれている。東側の尾根の付け根から林道を歩いて見学
 砦は尾根の西端部にあるので、先端部の山下から登る道がないかと探しましたが、付近には駐車スペースが見つからないのであきらめて、明知ガイシのある東側の尾根の付け根に駐車して林道を800m程歩いて見学しました。
 林道は整備されていますが、一般車は通行禁止のチエーンがありましたので歩きました。


仲深山城 東端部の二重堀切 尾根を断ち切る二重の堀切が明確に残る
 東から城址に近づきましたので侵入する敵と同じ経路の様で、図のの位置にある二重堀切でさっそく侵入を阻まれました。
人物と比較して堀切はかなり大きなもので、写真左側の堀切(西堀)は3m近い深さがありました。
 西堀の西側には土塁があり①郭の東側の防御施設となっていました。


仲深山砦 ①郭  仲深山砦表示板はあるが特段の整備はされていない 
 資料によれば、①郭は②郭より後に一城別郭形式で拡張された可能性があるとされます。曲輪の東側に土塁があり西端部には虎口がありました。虎口は笹と雑木で覆われ、風化もあり明瞭度が低く、資料がなければ見過ごすところでした。


仲深山砦 ①郭と②郭の間にある堀切オ 笹薮で見ずらい
 ①郭は尾根の先端部にありますが、曲輪の防御施設は切岸だけだったようで、目立った遺構はなく、古いタイプのようです。後に砦が拡張され②郭が築かれたときに堀切も掘り切られたのではないかと思われます。


仲深山砦 ②郭の南西下に伸びる尾根を遮断する堀切イと土塁
 堀切には倒木が折り重なって、かなり埋まっていますが、この方面の尾根からの侵入を防ぐ堀切です。写真の右手の土塁はを掘り切った土を尾根の下方に掻き揚げた土塁のように見えました。


仲深山砦 ②郭西下横堀ウと土塁
 西から②郭への侵入を防ぐために横堀ウと土塁が築かれていました。写真の土塁の右手には竪堀が切られていました。ここから②郭までの間には2段の削平地が腰曲輪上に設けられていました。②郭の防御は切岸のみの古いタイプだったようで、明確な土塁等の遺構は見られませんでした。


仲深山砦 ②郭北西下に切落ちる長大な竪堀 上から見下ろす
 竪堀は写真写りが悪い場合が多いですが、この竪堀も写りが悪いですね。この竪堀が仲深山砦では最大・最長の竪堀ですが、そのほかにも大小の竪堀が10条近く資料に示されています。笹薮の中で不明瞭な竪堀、埋まりかけてわかりにくい竪堀などですべてを見ることが出来ませんでしたが、この竪堀は目視では明確でした。
 資料によると、①郭、②郭が築かれた最後に竪堀は築かれたとされています。


お牧の方の墓所と槇の大木
 仲深山砦に東側の明知ガイシ側から入るために、旧道(中馬街道)を通ったので、予定外の遺跡を見ることが出来ました。図のお牧の方の墓所が途中にありました。お牧の方は明智光秀の母といわれ、八上城で磔にされたとの伝承がある人ですが、この伝承に従って後世に祀られた慰霊碑のようです。※伝承には諸説あり


オマケのピンボケ写真 カモシカです!
 旧道(中馬街道)を車で走っていると沢の向こうにカモシカがこちらをジッと見ていました。慌ててカメラを取り出して写したので 見事な!ピンボケ写真になりました。
 城巡りの途中で見かける動物ではカモシカが一番多いようです。天然記念物として保護されていますが、今では害獣として里山に日中でも出没して嫌われ者になってしまいました。

仲深山砦は、藪漕ぎが少し必要で、整備もされていませんでしたが、明知城と似た遺構がかなり残っていて、紹介した以外にも見どころが豊富でした。
 ※林道入口のスペースに駐車しましたが、駐車は自己責任です。


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