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遠江・岡本居館 道路で分断されたが往時の姿がよく残る平地の城館

2020-12-31 | 歴史

岡本居館は岡本城ともいい、静岡県浜松市北区三ヶ日町岡本にあります。  平安鎌倉期以来この地を治めた県氏の分流が岡本の地の荘官として岡本氏を名乗ったといわれます。  古くから機織りで栄え、三州街道を通じての絹糸や青苧の取引が活発に行われていた豊かな地と伝わります。 
 今回の資料は『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会 1978  と明治期の地図などです。


岡本居館 宇利山川と釣橋川に挟まれた舌状台地に所在する。三州街道は居館西側を通っていたと思われる
 居館の南東500mにある初生神社には機織殿があり古くから織物が盛んだったことを伺わせます。301号の道路工事によって城域の中央部が開削され分断されたようですが、主郭部の土塁、虎口などは良く残っていました。主郭内は後世の墓地となっていました。


岡本居館 Ⅰ郭は301号の開削、拡幅で西辺の80%が消滅。Ⅱ郭は分断されⅡ-1郭が残る
 古い地図を見ると301号とAのルートは載っていませんが、現地で見ると西側下の三州街道からBのルートを通りⅠ郭方向へ上る道があったかもしれないと思いました。
 城域の東側には堀があった可能性があり、一部に溝状の地形がありました。岡本居館の見どころはⅠ郭に残された土塁と虎口ですが、ブッシュと笹藪に覆われて写真ではほとんど見えませんでした。


岡本居館 301号でⅠ郭とⅡ郭は分断された。 右下が三州街道と思われる
 現在は301号になっていますが、遠州と東三河を結ぶ主要道としてかなり早い時期から三州街道はこの場所に移され整備されてきたようです。今はⅠ郭は墓地となりⅡ-1郭は畑地と竹ヤブになっていました。Ⅱ-2の部分は道路と農地で大きく改変されていました。


岡本居館 Ⅰ郭南東隅の土塁は開削され墓地の入口Cとなっている
 岡本居館のⅠ郭は墓地として利用されていました。そのため南東隅の土塁は開削されて、想定図の墓地の入口Cの開口部になっていました。


岡本居館 Ⅰ郭南辺土塁  開口部C から
 Ⅰ郭南辺土塁は東端部がCで削られています。西端部も301号の工事で少し削られているようでした。
Ⅰ郭の西辺土塁は301号の工事で80%近く削られたようで、北端部が少しだけ残っていましたがブッシュに埋もれていました。


岡本居館 Ⅰ郭東辺土塁 南端を開口部Cで少し削られたがほゞ完存
 土塁は削り込んだのではなくて、積み上げたように見えました。付近の地山は河岸段丘の礫が多い土地のようで、土塁も礫のほうが多いように見える土は、風化で輪郭がかなり不明瞭になっていました。この東辺土塁に虎口がありました。


岡本居館 Ⅰ郭東辺土塁の虎口 ブッシュで見つけにくい
 資料にⅠ郭の東辺土塁に虎口があるとなっていましたので、探し当てることができましたが、そうでなければ見落としていたと思います。Ⅰ郭の内側から見ても、外側から見ても見つけにくかったです。


岡本居館 Ⅰ郭外側 東下の堀跡? 道?  右側上にⅠ郭東辺土塁     北から
 Ⅰ郭東側の土塁外側下には溝状の地形がありました。この部分は道としても使われていた時期があるようなので、堀跡と断定することは難しそうですが、堀があってもおかしくないと思いましたがどうでしょう。周辺は農地としての改変もありました。


岡本居館 Ⅰ郭北辺外側の切岸 北辺土塁の天端からの高低差が10mはありそう 東から
 Ⅰ郭の北辺の土塁の外側は、現状では10mを越えるような高い切岸になっていました。農地のために下端部がいくらか削られているようにも見えましたが、地形の高低差も加わって、高い切岸となっているようでした。 


岡本居館 Ⅱ-1郭西側下の道AとBの分岐点 北から  道Aは右に大きく180度曲がって下る
 道Aは今は使われていませんが、一部に舗装やガードレールが残っていましたので最近まで使われていたようでした。301号の拡幅時にBルートが使えなくなったための代替道路だったのかもしれないと想像しましたが、明確なことはわかりませんでした。Bルートを登ってみましたが、途中で301号の工事土砂で痕跡は失われていました。

岡本居館は薮とブッシュで写真写りはよくないですが、現地で薮とブッシュを掻き分けて突入して見学すると、意外に多くの遺構を見ることが出来ました。道路で分断される前の姿を見ることは出来ませんが、想像しながら楽しく見学することが出来ました。