物見石砦は愛知県新城市連合にあります。田峯菅沼氏の城砦ネットワークの一つとされ豊川を挟んだ田峰城の南側に築かれ、山下を通る方瀬から田峯に抜ける街道を監視する役割を担っていたと思われます。
今回は「愛知県中世城館跡調査報告」を資料として出掛けました。
併せて物見岩砦の山下の豊川沿いにある「おしどりの里」を訪ねました。
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物見石砦 田峰城を中心に、4km×3kmの範囲に多数の砦が配置されている
物見石砦の配置の意味が見学時には理解できませんでしたが、帰宅してから国土地理院の旧図を見て、物見石砦の山下を旧道が通っていたのを知り納得できました。 ※国土地理院の旧図はこちら
今はこの旧道は失われてしまったので、現在の国土地理院地図には載っていませんでした。
長篠方面から伊那谷へ抜けるかつてのメイン道路は、図1右側の与良木峠を通る道でしたから、信玄が病に倒れ、甲斐に向かった時にはこの峠道を通ったかもしれませんね。
物見石砦 稲目トンネル北端の駐車場から見上げる
稲目トンネルは廃線となった田口線の鉄道用トンネルを昭和54年に道路用トンネルに改修・開通し与良木峠峠越えの道に取って代わりました。
物見石砦 トンネル左手(東側)から登る。城道はない
奥に方瀬と田峯を結ぶ旧道が有った様ですが、今は失われ地図にも載っていませんでした。城道は有りませんので適当なところでエィヤッ!と登りました。
物見岩砦 砦への道は無いのでエィヤッ!と登る
資料の縄張図でも自然地形に近い削平地が描かれていますが、街道の見張所的な場所だったためか、明確な遺構は有りませんでした。尾根の付け根あたりの①には道らしき地形が有りましたが、山仕事の道の可能性が強そうでした。
物見石砦 平坦面がある。人手が加わっているかは判然としない
切岸などが見られないので、砦と言っても自然地形に近い場所でした。物見石砦の名前から、それらしい大岩を期待しましたが、見つけられませんでした。
物見石砦 尾根の付け根①の地形 山仕事の道のようだ
尾根先端部の平坦面から南東方向に歩いて尾根の付け根まで行ってみました。ここには道が有りましたが、現代の山仕事の道に見えました。
物見石砦山下の矢作川右岸には毎年多数のおしどりが飛来する「おしどりの里」があります。季節になると何百羽ものおしどりをみることが出来、城巡りとは別の楽しみです。
おしどりの里 毎年冬になるとおしどりがたくさん飛来し越冬
おしどりの里 個人篤志家が長年活動を続け、今では地元の方々も協力しておしどりの楽園になっている
飛来シーズンに田峯城周辺の山城を訪れた際にはぜひ立ち寄りたい。 ※詳しい情報はこちら
奥三河の城館周辺の道は車の時代になって大きく変わってしまいましたので、その点を考慮しないと城郭・砦の立地の意味を理解しにくい面があるのを今回も感じました。