城と歴史歩きを楽しむ

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三河・保久城 意外に古い築城時期、堀切が目立つ単郭の山下氏の城郭 

2019-11-28 | 歴史

保久城は愛知県岡崎市保久町市場にあります。保久は「ホッキュウ」と読みます。
 新編岡崎市史 中世2 1989によれば、室町幕府奉公衆の山下氏が保久に入り城はそのころ(1230ごろ)築かれたとされます。山下氏は後に松平信光と円川合戦(1461)で戦って敗れ、保久城もそのころ廃城となったとされますが、家康のころまで保持されていた可能性も示されています。
 城の所在地および隣接する下山小学校辺りの小字名は市場となっていますので、往時は城下町が発達していたかもしれません。


保久城 北東辺は小学校の体育館建設で削られた。尾根の先端部を大きな堀切で断ち切り保久川が堀となっている
 下山小学校の体育館脇を東から抜けると城址碑があり、その先に大きな堀切が見えてきます。堀切は道として使われていたため堀底はU字状になっていました。城の南辺、西辺には今も数段の削平地が残っていました。新編岡崎市史の縄張図では東辺にも数段の削平地があったようですが、今は体育館の建設で削り取られていました。


保久城 北側の尾根を断ち切る大きな堀切  今は道として使われている
 築城当時は防禦のための施設としての堀切だったのでしょうが廃城後は道として使われていたようです。現在はほとんど使われていないように見えました。


保久城 堀切からの登り口にスズメバチの巣 現役の巣でした! 真ん中の穴から蜂が出入り
 堀切から主郭へ登る道の途中で、ふと見ると看板に何やらぶら下がっているようです。よく見るとスズメバチの巣でした。今は放棄された巣かと思いしばらく見ていると、スズメバチが出入りしているのが確認出来ました。この場所は小学生が立ち入る可能性があるので後ほど小学校の職員室へ行って先生に報告しておきました。目の高さの至近距離で現役のスズメバチの巣を見るのは初めてだったので、思わず後ずさりしてしまいました。


保久城 主郭周辺には小さな削平地(腰郭?)が多数残るが整備はされていない
 スズメバチの巣を回避して主郭と周辺を見学しました。主郭下の東辺は体育館建設で削り取られていますがその他の部分の遺構はほぼ残されていました。古い時期の山城ですので複雑な構造はありませんが、当時としては最先端の山城だったのではないでしょうか。主郭は一時期耕作地化されていたようですが面積は狭く常時居住できる広さはなさそうですので、付近に居館があったと思われますが、その情報は確認出来ませんでした。

保久城 下山小学校の校庭から見ると左に保久城、右手に模擬櫓が見える
 堀切の北側の尾根上に、木製の櫓が見えます。これは小学校の設備で保久城とは関係のないものの様です。
この日は、恒例の地域おこしの山里ウォーキングイベントが盛大に行われていましたので運動場には車がいっぱいでした。
 ※僕もウォーキングイベントに参加しました。


保久城 ウォーキングルート途中の興味ある堀地形。田地に植林した場所  
 ウォーキングのルートで面白い地形を見ました。かつては田んぼだった場所に植林がされているのですが、写真のように堀状に地面が掘ってありました。多分水分の多い田んぼの跡地なので排水の為に溝を切ったのだと思いますが、これが城址に隣接してあると、堀切とか武者隠しなどに見立ててしまうかもしれないと思いました。

保久城の付近には山下氏の菩提寺万福寺、山下家墓所、保久陣屋などもありますので併せて見学出来ます。
※山下家墓所は道路沿いにあり多数の石塔が祀られています。周辺にあった石塔をここに集めて祀ってあるそうです。