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川折城 三河 掘割は切通か、堀切か 孤立した尾根の遺構の役割は何か

2023-08-27 | 歴史

川折城は愛知県豊田市浅谷町にあります。地元も郷土史家によって尾根を断ち切る堀切地形が確認され、城郭遺構として認識されました。川折城と命名されましたが城主や城歴は不明です。北西800mにある一色城との関連が考えられるとされています。今回の参考資料は (1)「藤岡・小原・旭の中世城館」愛知県中世城郭研究会1993  (2)愛知県中世城館跡調査報告書 Ⅱ 愛知県教育委員会1994 などです。


川折城 美濃と三河の境目の地域にあり孤立した尾根上に築かれている様に見える
 付近の一色城、浅谷城は小原の鈴木氏に関連した城郭とされますので、川折城は狼煙でその間をつなぐ役割の可能性があるのではないかと考えてみました。カシミール3Dの「見通し」機能で確認すると浅谷城はAのルートで見えるようです。一色城は山が邪魔をして見えないようですが谷間に居館があったとすればのルートで見える様です。浅谷から西の小原方面へ抜ける道bは古くから在ったようですので、この道を見張る役割だったかも知れませんが、少し離れすぎている様にも思えますね。


川折城 林道が整備され車で城址直下まで行ける
 以前訪れた時は林道の敷設工事中で、図1のaを登りましたが、今回は林道が完成していて、立派な舗装道路になっていました。


川折城 林道途中で見かけたニホンカモシカ
 舗装の林道は出来ましたが、通る車はほとんど無い様で、途中でニホンカモシカに二度出合いました。この地方の山城巡りで見かける動物で最も多いのはニホンカモシカです。


川折城 林道から城趾が見えるが直登は困難
 城址の直下を林道が通っていますので、ここからの直登に挑戦してみましたが、危険を感じて途中で断念しました。林道で山肌が削られましたが、元々急な法面だったようです。


川折城 林道からの登り口 ア 道は無い
 以前訪れた時には図2のイから登りましたが、今回はアから登りました。傾斜が緩そうな場所を選びましたが道はありませんでしたのでブッシュをかき分けて尾根筋を目指しました。


川折城 尾根を断ち切る堀切地形② 付近に「川折城掘割跡」の石柱①が立つ
 江戸時代の検地帳に字堀切があり、周囲の山林を踏査して堀切地形を発見したそうです。石柱には掘割となっていました。山の尾根筋を断ち切るように切通があるのはよく見かけますが、川折城の場合、北側の傾斜が急で、切通とは考えられないので堀切とされ、Ⅰ郭を中心としたコンパクトな城址と評価されたようです。


川折城 堀切② 左上に石柱① 右上方向にⅠ郭 南から
 堀切は上幅約8m 深さ約3mで北端部は切れ落ちていたようですが、現況は林道で一部が削られたようでした。


川折城 「川折城掘割跡」の石柱 右手下に林道
 林道工事のため、城址ぎりぎりまで削られたようで、石柱近くまで工事部材が在りました。石柱には「永禄末期築造」と陰刻されていましたが、資料(1)によると根拠は不明とのことでした。


川折城 平場⑥から平場⑤、④を見る 西から
 尾根上の遺構は曖昧な地形ですが、最高所のⅠ郭とその西側に三段の平場が設けられていたようです。


川折城 平場④からⅠ郭を見る 西から
 Ⅰ郭と平場④の段差は緩い切岸になっていました。Ⅰ郭の北辺は少し盛り上がった地形②が見られました。


川折城 Ⅰ郭 東から 右手に盛り上がり② 手前に大岩
 Ⅰ郭は土壇②を削り残して平場を造り出したように見えました。大岩がいくつか見えましたが、城郭遺構としての機能はなさそうでした。

以前は、たどり着くまでが大変な川折城でしたが、林道が完成して城址直下までは車で楽に行けるようになりました。ただし舗装道路に法面からの転落石が転がっているため時速15㎞のゆっくり運転でした。こんな山中の孤立した場所に堀切を設けた城郭(砦?)を築いた事情をアレコレ想像しながら楽しく見学が出来て良かったです。