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三河・大友城 と大友皇子伝承地

2018-04-30 | 歴史
岡崎市東大友町に大友城が有ったといわれ城主は石川三蔵・同右衛門とされるが、東大友公民館となり遺構はない。

大友城・東大友公民館の玄関に大友皇子丸藪之館跡の碑が立つ

だが西大友町の大友天神社境内にあたるという伝承もあり遺構はない。こちらにも大友皇子の伝承があるが確かなことは判らない。

大友城・大友天神社由緒
どちらも、増水の度に流路を変える矢作川の右岸の自然堤防上に有ったと思われる。
大友の名は壬申の乱で自害したといわれる大友皇子が、密かにこの地に逃れてきて、この地に住んだことによるとされ、東大友公民館の場所が丸藪の館といわれたと伝わる。
一方、西大友町の大友天神社あたりに大友皇子が住んだとの伝承に基づく大友天神社が有る。


大友皇子御陵の碑
大友皇子の伝承地は東大友町地内にもう一箇所、大友皇子御陵の碑が有る。この地は碑が立つのみである。御陵といえば隣接する小針町には大友皇子が葬られたという古墳が存在する(小針1号古墳)。


小針1号古墳 元は前方後円墳だが削られて円墳状になっている
大友皇子の埋葬地は他所にもいくつか有るようなので、悲運の皇子として祀られたのが、いつしか埋葬の地といわれるようになったのかもしれない。

大友城はこのあたりを領有した石川氏の城館が付近の自然堤防上に有ったということであろう。