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伊勢・柏野城 天正伊賀の乱で周辺の郷士が立てこもって織田軍と戦った決戦の城

2021-08-30 | 歴史

柏野城は三重県伊賀市柏野にあります。「伊乱記」によると柏野および近在の郷士が天正伊賀の乱で柏野城に集結し織田軍と戦ったと伝わります。
 城址は西から東に延びる尾根上に所在し、尾根を堀切で断ち切り、三方を土塁で囲んだⅠ郭(主郭)と東に2段の曲輪を備えていました。付近には権現山城や鈴木氏館などがあります。
 今回の資料は(1)「三重の中世城館」三重県教育委員会1976   (2)「伊賀の中世城館」伊賀中世城館調査会1997と現地案内板です。    ※権現山城はこちら


柏野城 柏野地区を領する小領主の城址で遺構の残りが良い 
 柏野城は柘植川沿いの集落とその耕作地を支配した小領主の城だったと思われ、城主として福島宗雄の名が伝わるようですが詳細は不明とされます。 天正伊賀の乱に際しては柘植郷の郷士が柏野城に立てこもって防戦したと伝わります。


柏野城 見学路に立つ案内板 
 柏野公民館からの見学路は随所に案内表示が在りましたので、わかりやすかったです。城址付近の害獣フェンス手前には立派な案内板がありました。害獣フェンスの入口の場所がわからなくて苦労することがありますが、ここでは明確になっていましたのでありがたかったです。
 ※害獣ゲートの開け閉めはその都度、確実に!


柏野城 案内板 城址見学Welcome を感じます
 伊賀市の城址見学では案内板が設置されているところが多く、見学が歓迎されていることを感じます。案内板には原図:「伊賀の中世城館」伊賀中世城館調査会1997 の縄張り図が掲載されていました。


柏野城 概略図   ※表現してない興味深い見どころがいくつもあります
 見学路に立つ案内板には 原図:「伊賀の中世城館」の縄張り図が掲載されていましたので抜粋し・加工、加筆して概略図としました。以下の写真と照合してご覧ください。


柏野城 Ⅰ郭 虎口への城道Aと見学路B 南下から
 Ⅰ郭への見学路は後世の破壊道思われますが虎口への道も残されていました。見学路は直進してⅠ郭へ入りますが虎口への道は直角の折れを伴った土橋状の道だったように見えました。


柏野城 虎口Aと見学路B  Ⅰ郭内部 北から
 見学路は直進してⅠ郭に入ります。後世の、いわゆる破壊道を見学路として利用しているものと思われます。虎口へ至る城道は土橋状の折れを伴う道でⅠ郭南辺土塁の開口部から入るようになっていました。


柏野城 Ⅰ郭 東から 左手に虎口のある南辺土塁 奥に西辺土塁
 Ⅰ郭はおよそ30m×20mで丁寧に削平されていました。南、西、東の土塁は概ね残存していて土塁上には城址碑が立てられていました。Ⅰ郭は整備が行き届いていますが、屋敷などが在ったかどうかは表面観察だけでは確認できませんでした。


柏野城 堀切2 北から Ⅰ郭西側の尾根を断ち切っている
 Ⅰ郭の守りは東側が切岸となっていましたが西側は堀切と土塁でした。堀切2は尾根全体を断ち切っていておよそ40mの長いものでした。


柏野城 土塁4 堀切2の土を掻き上げた様に見える 北から
 城域西側の一番外側の土塁4は堀切2の土を掻き上げて築いたように見えました。ちなみにⅠ郭西辺の土塁は尾根の削り残しのようでした。


柏野城 三条の堀切1.2.3の交点  Y字型土橋となっている 見どころです!
 堀切1,2,3 は一箇所に集まっていました。その交点はYの土橋となっていて、あまり見かけない地形ですので見どころとしましたがどうでしょう。


柏野城 Ⅱ郭 右手にⅠ郭の切岸    北から
 Ⅱ郭は後世耕作地として利用していたためでしょうか、Ⅰ郭の整備状況とは違って竹が生えて荒れていましたが曲輪地形は明確でした。


柏野城 Ⅲ郭 右手にⅡ郭の切岸 北から
 Ⅲ郭もⅡ郭同様に竹が生えて荒れていました。後世の耕作地となって利用されていたのが竹林になったように見えましたが曲輪地形は明確に見学できました。

柏野城は天正伊賀の乱で近在の郷士が立てこもって力を合わせて織田軍と勇敢に戦ったとして地元の誇りとなっているように感じました。遺構の残りも良好で、足場もしっかりしていましたので天正の頃を想像しながら楽しく見学でき良かったです。