城と歴史歩きを楽しむ

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淡路・炬口城 安宅氏の築城と伝わる堅城と大阪湾に面した港の組合せを見学

2020-10-28 | 歴史

炬口城は兵庫県洲本市炬口に有ります。炬口は「タケノクチ」と読み大阪湾に面した淡路島東岸部に位置します。城郭は古くからの良港を基点に、標高96mの「殿土居」と言われる丘陵舌端部に所在し、資料によれば永正二年(1505)安宅氏秀興の築城と伝承されていますが、確証はないとのことでした。
 今回は、過日の東海古城研究会の一泊二日の特別見学会で訪れた時の記事です。資料は見学会で頂いた当日の資料です。


炬口城 以前は洲浜橋のラインが海岸線だった。後世の埋立と整備で現在の姿になった
 港と山城の位置関係を確認するため、まず炬口漁港をおとずれました。今は漁港として整備されていますが、往時の海岸線は砂浜だったのでしょうね。洲本川や陀佛川が船着場として使われていた可能性もありそうでした。舟運が経済力の源だった例は多いですね。炬口漁港を見学してから、山下の八幡神社から城址に登りました。


炬口城 土塁で囲まれた曲輪の中が三段の郭になっている。虎口は東西に開く
 中央の一番低い中郭を中心に、一段高い北郭と南郭で曲輪が構成され、その外周を土塁が取り巻くという、あまり見かけない構造でした。②の虎口が大手で、⑧の虎口が搦手とされます。
 南北に大きな堀切③と⑦を設けて尾根からの侵入を防ぎ、東西の法面は複数の竪堀で厳重に防御されていました。


炬口城 竪堀①、堀切⑦との組み合わせで南側の防衛ラインになっている
 炬口城の防御の弱点である南側の尾根からの敵の侵入を防ぐ防衛ラインが竪堀①と大きな堀切⑦だったのではないかと思いました。道は竪堀の下端部を通っていました。


炬口城 大手の虎口②  人物との比較で虎口の深さが分かる
 山下から竪堀①などを回避して登って来た城道は直角に左折して虎口②から中郭へ入ります。いわゆる平入虎口でした。


炬口城 中郭の内部 奥に一段上がって南郭 左手と奥に土塁が見えている
 長い年月で多少の風化はあるものの、往時の姿をほぼ残した遺構の残りは良好でした。


炬口城 北郭  左手に折れのある北辺土塁   西から
 虎口②を入り右に折れて登ると、枡形を通って北郭に出ました。きれいに削平された北郭の東、北、西を取り巻いて土塁が築かれていました。中郭もそうでしたが、植林がされていなくて、細い雑木ですので見通しが良くて見学しやすかったです。


炬口城 北尾根を断ち切る大堀切③  左手上に北郭
 主郭の北側からの敵の侵入を防ぐために大堀切③が設けられていました。その北側の小曲輪④は堀切③を掘り下げた時に削り残されたように見え、防御の要は大堀切と北郭の土塁で構築された急角度で長い切岸だったのではないかと思いましたがどうでしょう。


炬口城 堀切⑦と小曲輪⑥ 東から
 小曲輪⑥は堀切⑦を設けた時に削り残したように見えました。小曲輪⑥には防禦性はなさそうですので、主郭の、この方面の防御はもっぱら堀切⑦と南郭の土塁で形作られた切岸ではなかったかと想像しました。


炬口城 洲本川を挟んだ南側対岸の山上には洲本城が見える
 資料によると、大永八年(1528)四国に下向した三好元長に反旗を翻した安宅氏の炬口城は落城し、その動静は消滅し洲本城が三好方の重要拠点ととなったとされます。港を備えた炬口城はその後も重要な基地として維持されていたのではないかと考えられています。  洲本城の記事は→ こちら

土塁囲みの曲輪内に段差がある城址はよく見かけますが、炬口城のような大きな段差が左右にある遺構は初めて見ましたので、大変興味深い見学となりました。