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櫟野大原城 近江 その1 興味深い多数の遺構が完存する甲賀大原氏の城郭 見どころてんこ盛りでワクワクの見学

2023-12-28 | 歴史

櫟野(いちの)大原城は滋賀県甲賀市甲賀町櫟野(いちの)にあります。甲賀の雄族大原氏が櫟野寺(らくやじ)の寺領以外の櫟野領も支配し、16世紀に一族の大原伴三郎が櫟野大原城を築いたとされます。鈴鹿峠まで7Kmの地で大原氏が領する東の端に位置しています。城域は櫟野川へ突き出した尾根上に在り、現況は周囲を田地が取巻いていました。今回の参考資料は(1)「甲賀市史 第七巻 甲賀の城」甲賀市史編さん委員会編2010  (2)現地案内板・大原自治振興会 などです。櫟野大原城は見どころが多いのでその1・その2で紹介します。大原氏の大原城は→こちら

櫟野大原城 付近には滝川一益ゆかりの滝川城がある 東7kmの鈴鹿峠までほとんどが山地
 櫟野大原城は尾根上に築かれ、遺構の状況から見ると西向きの備えがより厳重な城郭だったと思われました。東は鈴鹿峠まで人の住まない山地が続きますので防御態勢が若干弱かったのではないかと想像しました。

櫟野大原城 大手入口に大原自治振興会によって立てられた案内板がある
 城址北側の農道沿いに案内板が立ち駐車スペースがありました。ここからB1→B→3と進んでⅡ郭の虎口bに至るのが大手道だったと思われます。図ではⅡ郭となっていますが高い土塁で囲まれ東西にⅠ郭とⅢ郭が設けられ厳重な守りのⅡ郭が主郭と思われます。

櫟野大原城 B1には駐車スペースから階段が設けられている
 資料(1)によるとB1の部分もBに続く堀切とされていましたが、樋状の登城路と見てもよいのではないかと思いましたがどうでしょう。

櫟野大原城 堀切B 南から 左にⅡ郭(主郭)
 堀切Bは尾根を断ち切ってⅠ郭とⅡ郭を区切る堀切としての役割と同時に大手道としても機能していたと思われます。

櫟野大原城 Ⅰ郭 北から 右に堀切B
 Ⅰ郭は東辺に低土塁1が残っていましたが堀切B側に土塁はありませんでした。北東隅に浅い土坑2がありましたが、役割は不明でした。

櫟野大原城 堀切A 北から 右にⅠ郭
 Ⅰ郭の東側尾根を断ち切る堀切Aが設けられⅠ郭東辺の低土塁とセットで東への備えとなっていました。

櫟野大原城 道3 東から 図2では描かれていない
 道3は図の作成時には法面の崩落等で道が失われていた為でしょうか、描かれていませんが現況は写真のような道がありました。最近になって見学路として整備されたのかもしれませんね。

櫟野大原城 Ⅱ郭 虎口bと南側の地形を道3の東から  見どころです
 Ⅰ郭南辺の道3をⅡ郭虎口に向って進むと右手に Ⅱ郭虎口b 左に切岸4 奥に堀切9と土塁10がありました。切岸4は崩落地形かもわかりませんが、虎口へ大勢の攻め手が押し寄せるのを妨げる地形のようにも見えましたがどうでしょう。

櫟野大原城 Ⅱ郭 虎口b 南から
 虎口bはいわゆる平入の虎口で両側の土塁もよく残っていました。

櫟野大原城 Ⅱ郭(主郭) 虎口bから
 虎口bからⅡ郭に入ると丁寧に削平された曲輪と見事に残った高い土塁に圧倒されました。甲賀には単郭方形の城址が多くありますが、櫟野大原城はランキング上位の見事さでワクワクでした。北東隅は一段高くなった段がありましたが、鬼門を守る祠などが祀られていたのかもしれませんね。

櫟野大原城 Ⅱ郭東辺の井戸a 西から 背後に土塁5の東辺
 Ⅱ郭には直径1.5m程の掘り抜き井戸がaがありました。

櫟野大原城 Ⅱ郭 井戸a 水は見えない
 Ⅱ郭の井戸aは資料(1)によると深さは5.5mを測るとありました。水は見られませんが、落ちたら出られない深さで写真を撮るのに緊張しました。

櫟野大原城 Ⅱ郭 土塁5の西辺を見上げる 奥に北辺 南から
 Ⅱ郭の土塁は5mを越えるような高さで、法面も明確で下端部も明瞭で見ごたえありでした。

櫟野大原城 Ⅱ郭 土塁5 西辺 天端もきれいに残る  見どころです!
 櫟野大原城のⅡ郭を取り巻く土塁は写真のように見事に残り見応えありの必見遺構でした。

櫟野大原城 Ⅱ郭土塁 東辺の天端と左奥のⅠ郭曲輪面の高低差を見る  北西から
 Ⅱ郭の土塁5とⅠ郭の曲輪面を比較すると、その高低差はほとんど無く、ほぼ同じ高さでした。ということで、Ⅱ郭とⅠ郭の地山は一体で、Ⅱ郭の土塁5はⅡ郭の曲輪を掘り下げた掘り残しの土塁だったと見て良いのではないかと思いました。

櫟野大原城 Ⅱ郭 土塁5 南西隅に祀られる稲荷社 南から
 Ⅱ郭の土塁5上の南西隅には稲荷社が祀られていました。祠は写真のように土塁に埋め込まれた格好になっていました。後世に祀られたもののようで、土塁5の南面に参道と思われる踏跡が虎口の方へ向かって下っていました。  ※以下 その2へ続きます。