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美濃・前田砦 その2 尾根を断ち切る大規模な堀切が見どころ

2022-02-26 | 歴史

前田(ぜんだ)砦は岐阜県恵那市上矢作町本郷にあります。その1では砦の西側部分を見学しましたが、その2では東側の見ごたえある大きな堀切を中心に見学したいと思います。
 今回の参考資料も(1)岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集 岐阜県教育委員会2004 と (2)「信濃をめぐる境目の山城と美濃・飛騨・三河・遠江編」宮坂武男編2015などです。 ※前田砦その1は→こちら


前田砦 城域東端部の 堀切エ からⅠ郭を見上げる   人物と比較してその深さがわかる 見どころです!
 前田砦は尾根が東から西に向けて下っています。東側が砦よりも高く防御の弱点になっていますので東側の尾根を断ち切る堀切は深くて急角度の切岸が設けられ守りを厳重にしていました。いわゆる薬研堀の形式ですが堀底のV字型がしっかり残っていて「見ごたえあり!」でした。


前田砦 堀切エより東側に城郭遺構は無いとされる  大船神社参道は今も残る
 道aは大船神社の参道でもあり砦の築造よりも古くから尾根上に存在していたと考えられます。城山稲荷への道bは砦の築造よりも後の時代と思われますが、近年になって廃され八幡神社に合祀されました。道C は南側の山下に向かいますが車の道の工事で途中で失われています。道Cの途中に小規模な墓地がありました。


前田砦 堀切ウ  幅広で深い    北から   ここも見どころ!
 堀切ウは幅広で深い堀切でした。堀切の南北の両サイドは竪堀で切れ落ちていました。北側の竪堀は見事で、山下まで続いていました。


前田砦 堀切ウの井戸10 風化が激しいが踏み込むと柔らかい  右にⅡ郭切岸
 堀切ウには井戸跡と思われる浅い土坑が見られました。今はかなり埋まった状態で、水は見られませんでしたが踏み込んでみると柔らかで、井戸跡と見ても良さそうでした。


前田砦   堀切ウ-1  南上から
 堀切ウは尾根の北側では竪堀となり、山下まで見事に切れ落ちていました。規模が大きい竪堀ですので元の地形も利用しているのではないかと思いました。


前田砦 堀切ウ-2と道a 東から   堀切は道で途切れている
 堀切ウの南側も竪堀ウ-2となって尾根を切れ落ちていました。今は道aが堀切を横断していますが砦の稼働時には堀切が連続していたのではないかと想像しましたがどうでしょう。
 

前田砦 堀切アも道aが横断して途切れている    東から
 堀切ウと同様に堀切アも道aが横断しているために途切れていました。大船神社への車の道が後世になって敷設されるまでは、江戸時代を通じてズッとこの道が参道として利用され、近年ではハイク道としても利用されているようです。


前田砦 小平場11 左上にⅠ郭  西から
 小平場11の東端部からはⅠ郭に登る通路(虎口?) がありました。通路はあまり明確ではありませんでしたが二つの資料とも通路が描かれていました。小平場11へ登る道ははっきりしませんでした。


前田砦 堀切ウと犬走り9 東南上から
 堀切ウの北側は竪堀となって尾根を切れ落ちていました。切れ落ちる途中で稲荷神社の参道の道bが横断して堀切ウ-1となっていましたが、この犬走り9はそれとは別の道でした。


前田砦 Ⅰ郭 東端部の土塁2 西から  土塁上に前田砦の表示板が立つ
 Ⅰ郭が東側の尾根5よりも低い位置にあるため、Ⅰ郭を見通されないための土塁2が目隠しとして設けられたとされます。東尾根からの脅威に対する備えを考えるとⅠ郭は主郭ではなく、Ⅱ郭が主郭だったのではないかと想像しました。


前田砦 城山稲荷跡地
 城山稲荷は、近年山裾の八幡神社に遷座・合祀されて社殿は撤去されていました。石段や石垣などはそのまま残されていました。

今見る前田砦は武田軍による改修を受けた姿とされ、規模の大きな堀切などの見どころも豊富でした。曲輪の平場は後世の山畑としての利用による改変があるようですが、平面地形は往時の姿がかなり残されていると感じました。ワクワクしながら半日歩き回り楽しく見学できて良かったです。