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伊賀・佐々木氏城 残されたスケールが大きな堀と土塁など見どころが多い土の城郭

2020-01-27 | 歴史

佐々木氏城は三重県伊賀市新堂にあります。
 城を築いたとされる佐々木氏は近江源氏の佐々木氏一族との説があり、百地家(忍者、百地三太夫)とも縁があるとも伝わります。
今回は「三重の中世城館」を資料として見学に出かけました。伊賀地方には 〇〇氏城という城主名を城名に用いたものが多く見られます。集落ごとに居た土豪の名前で命名しているのでしょう。


佐々木氏城 新堂駅建設の土取りで遺構のほぼ半分が消滅している
 
明治31年の鉄道敷設時に崖上にある城址の南と西側の土を削り取ってトロッコで運び新堂駅を造ったとされ、遺構のほぼ半分が失われていました。


佐々木氏城 北側の堀は完存状態で雄大で見ごたえがある
 資料を見た範囲では、あまり期待が出来ませんでしたが、現地に立って残された遺構を見ると見ごたえ十分でした。堀の深さは5m位あるでしょうか、長さは50m程あるようで、そのボリューム感は圧巻でした。

                         
佐々木氏城 概略図 南側の構造は不明。Ⅰ、Ⅱに削平地が残る。Ⅰ-Ⅱに仕切り土塁があったかも
  南側は大きく削り取られていますので、原形は不明でした。西側もかなりの部分が削れれていますのでⅡの削平地が少し残っているだけでした。ⅠとⅡの間には土塁状の地形が一部ですが残されているので、ひょっとするとⅠとⅡを区切る仕切り土塁のような構造があったかもしれないと想像しました。


佐々木氏城 南側と西側は土取りで、崖下と同じ高さまでバッサリと削り取られ遺構は失われた
 写真は西側から削り取られた跡を見たところで、原形を想像して斜線を入れてみました。


佐々木氏城 Ⅱの奥の藪の中には土塁が残っている Ⅱ’ は削り取られた南側部分の想像線
 西側のⅡ部分は残存する削平地と思われる地形がありました。左手上には北側の土塁があり、往時はこの曲輪を通ってⅠ郭に入る構造だったかもしれないと想像しました。


佐々木氏城 Ⅰ郭(主郭)北側土塁は完存。西と東は途中まで土塁が残る。南側は削り取られた
 写真はⅠ郭を西から見たところです。南側(右手)はスッパリと切れていますがⅠ郭が細長く(と言っても10m位の幅があります)残されています。左手には北辺土塁が完存、奥に東辺土塁が一部残っていました。


佐々木氏城 Ⅰ郭西端部の井戸。井戸奥にⅠ-Ⅱを仕切る土塁が見えている
 Ⅰ郭の西端部には土坑がありました。今は水がありませんでしたが井戸跡とみてもいいのではないかと思いました。
奥に見える土塁は北側の土塁の中間部から直角に南側に伸びる土塁の一部です。土塁はさらに伸びて二つの曲輪を仕切っていたのではないかという想像をしてみました。この土塁には虎口が設けられていたかもしれないとも想像しましたが、どうでしょう。


佐々木氏城 北辺土塁と北東隅の高まり、奥に櫓台状の高まり
 北辺土塁は多少の風化はあるものの、ほぼ完存状態でした上幅約6mとかなり幅広でした。堀を挟んだ北側の地形との高低差が少ないので、地山を掘って堀としⅠ郭Ⅱ郭も地山を削って削平し土塁を削り残したものと思われます。
 北辺土塁の北東隅は周囲より高くなっています。いわゆる櫓台の地形の様でした。

佐々木氏城は遺構の半分近くが削り取られていましたが、残された遺構だけでも十分に楽しめるスケールの大きな土の城郭で、想像力を掻き立てられる満足度の高い見学が出来ました。






 


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