城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

上野・名胡桃城 小田原北条氏滅亡の発端となった崖端城

2018-07-16 | 日記
名胡桃城は群馬県利根郡みなかみ町に有る城です。
 利根川の河岸段丘が沢に削られて舌状になった先端部にあり、山城の分類には入らないようで崖端城と呼ばれるようです。

関東進出を果たした豊臣秀吉の裁定で沼田城は小田原北条氏、名胡桃城は真田氏の領有するところと決しましたが、沼田城の城代が名胡桃城を攻撃・奪取したことで小田原北条氏を秀吉軍が攻撃し、北条氏は滅亡しました。北条氏滅亡の発端となったということで、小規模でありながら有名になったのが名胡桃城です。
北東約5kmに沼田城が見える

発掘結果を反映した整備が行き届いている
名胡桃城は、発掘調査に基づいた復元が行われ、コンパクトでわかりやすい城でした。
現地パンフレット クリックで拡大
城域の一部は道路工事によって失われていますが、遺構のほとんどは良好に残されていて、発掘調査で三期に渡る城の改修状況も把握できたそうです。二郭は建物跡や水路跡を検出二郭北虎口の復元木橋


唯一現存する土塁跡 ささ曲輪の土塁
遺構の発掘結果に基づく正確な復元が行われているが、ささ郭には崩れかけてはいるが、土塁遺構が残されている。特別なものではないが、名胡桃城においてはとても貴重な感じがしました。

先端部の物見からささ郭を見上げる
名胡桃城は、過日の東海古城研究会の特別見学会で訪れました。
 「見学は時間が許す限り隅々まで」というのが僕の見学スタイルですが、どちらかというとこのスタイルは少数派のようです。先端の物見まで降りて見学したのは2名だけだったかもしれません。

名胡桃城は現地パンフレットを見ながら般若郭なども見学すれば小規模なのに見どころが多い城址です。土塁の法面の角度にまでこだわった復元もお見逃しなく!


大和・高取城 近世の石垣の城・日本三大山城 ナンバー1?

2018-07-14 | 日記
高取城は奈良県高市郡高取町にある石垣の山城で、日本三大山城の一つに
数えられています。高取城の歴史は古く初期の築城は南北朝期に遡る
ようですが、現在見ることの出来る石垣の城郭は近世のもので、明治に
なるまで城とし機能していました。
 江戸期から明治に至る長期に渡り城主を務めたのは、徳川の譜代大名の
植村氏です。植村氏といえば、家康の祖父松平清康、父松平広忠が
二代続けて謀殺された時に居合わせて、二度とも曲者を討ち取ったとして
地元では有名です。

三大山城では岐阜県恵那市の岩村城や岡山県高梁市の高松城も有名
ですが、高取城の規模と石垣のボリュームでナンバー1といっても
良さそうです。

二ノ丸 太鼓櫓と新櫓
高取城は山上の主郭に至るまでのアプローチが長く、訪れにくい山城でもありますが、みごとな石垣がふんだんに見学できるので、山城ファンだけでなく石垣ファンも堪能できる城です。

城址の入口である黒門(一ノ門)に着いてから二ノ門まで登りの山道が続きます。二之門の猿石 ここからが楽しい!
二ノ門では猿石が出迎えてくれます、ここからはいかにも城内という雰囲気で、城道の左右に次々に現れる石垣遺構を堪能できます。

二ノ門付近の水堀と石垣
二ノ門からは侍屋敷が続きます。ニノ門付近には水掘と石垣があり、侵入者を阻止する構えを見ることが出来ます。

松ノ門 石垣が樹木の根張りで傷んでいる
ニノ門と本丸の中間点付近には松ノ門があるが樹木の根張りで石垣が痛んでいました。
周辺は植林の山だが、わざわざ石垣の隙間に植林したとも思えないので不思議だ??

大手門
通常、大手門というと明確に他を圧倒する規模の石垣というイメージだが、高取城では立派な石垣だらけで、大手門の石垣が目立たないほどでした。

本丸と天守台
汗をふきふき本丸に到着です。本丸の一角には天守台の石垣遺構が見事に残っています。
 深い山中にあるので、石が持ち出されることもなかったのでしょう。

※高取城の近くに、壷阪寺がありそこから狭い山道を城址遺構の近くまで
 車で登ることが出来ます。但し、道は行き止まりで駐車スペースは2台分
 程度ですから、土日などは駐車が難しいのではと思われます。
  ガイダンス施設に寄り、山下の屋敷跡なども見学しながら城道を登り
 二ノ門を入り城道左右にある侍屋敷の遺構も見学すれば一日がかりに
 なりそうです。

「城」227号 発行 東海古城研究会の機関誌

2018-07-13 | 日記
所属する東海古城研究会から、機関誌の「城」227号が届きました。
「城」は年間3ほどのペースで発行され、会員には無料で配布されます。

227号の発行回数が歴史を感じさせますが、紙面構成は会員の投稿が
基本になっています。

ベテランの研究者クラスの会員から入門者クラスの会員まで、会員なら誰でも
投稿出来るので、毎号多彩な内容になっています。
 当ブログをご覧の方でも会員になればご自分の研究、調査、城郭探訪記などの
発表も可能です。

 簡単な投稿ルールが載っていましたので下記で確認してください。
原稿のレイアウトなどの細かな点は、編集部と印刷屋さんで相談しながら
対応してくれるそうです。

最近「関ヶ原の合戦はなかった」などの新説を打ち出して全国的に話題となっている
高橋陽介さんも会員で、何回か自説を「城」に投稿しておられます。
 最近では、テレビ出演や講演会で忙しそうですが、今年の8月の
東海古城研究会の城郭研究セミナーで講演されるそうです。

2016年8月の城郭セミナーで講演する高橋陽介さん
この城郭研究セミナーも会員の研究発表の場となっているので、毎年多彩な
内容の会員発表が行われます。

※東海古城研究会のホームページに入会や行事、「城」のバックナンバーなどの
 情報が詳しく載っているので見てください。
 ●このブログのブックマークからも行けます
 

三河・小渡城 武田軍の南下を食い止める役割の今川方の山城

2018-07-12 | 日記
小渡城は豊田市小渡町にある山城です。南下してくる武田勢を食い止めるために
今川方の三河、美濃の周辺勢力によって普請された山城で、土の城です。

小渡城主郭下に立つ案内板の縄張図 作図:千田嘉博氏
この地域としては珍しい畝状空堀群が現存するのが大きな見どころとなっています。

主郭と主郭下の案内板
主郭には後世の石塔が建ち、現代の山道が一部あるので縄張図を持参して
確認しながら見学をするようにしたいものです。

主郭から西側の土塁状遺構へ向かう尾根道 イノシシが荒らしている
戦後の食糧難の時代には、ここも耕作地だったそうだ。
小渡城に限らず、山城の削平地は近代の耕作地となっていた場合が多いので
戦国時代の遺構だと思い込まず見学する必要があるようです。

土塁状遺構と削平地
この部分は案内板の縄張図で「土塁状遺構」となっている。
 ということは、土塁遺構とは言い切れないということで、削平地に後世の石造物が
祀られているので、それとの関連が考えられるということでしょう。
 地形的には見張り台には最適の場所だと思いますので、往時には何らかの
施設が有ったのではないかと想像しました。

往時は川湊があり、陸上交通の要衝でもあった小渡は大変栄えた場所だったようですが
今では、そんなふうに考えられない鄙びた山間の町でした。

三河・山中城 家康と松平氏ゆかりの中世の本格山城

2018-07-10 | 日記
山中城は岡崎市羽栗町と舞木町にまたがる本格的な山城です。
過日、東海古城研究会の見学会で訪れた他、何度も訪れている
魅力的な遺構がしっかり残る山城です。

 城の北側には東海道(現国一)が通り、古くは鎌倉街道もほぼ同位置を通る
交通の要衝で、松平氏の同族での奪い合いがあり、三河支配に乗り出した
今川氏が一時領有し今川氏から独立した徳川家康の支配に帰した、東西三河の
境目の城です。

城址へのアプローチ地図 クリックで拡大

山中城は国道1号線からの距離も近いのですが、付近に駐車場が見当たらないので
訪れにくいのが難点で、残念なところです。
 害獣対策の柵が有る 駐車場はない  ここから上ると舞木口へ至る
最近の山城は、どこへ行っても害獣対策の柵や金網があります。山中城も
ご多分に漏れず金網と柵があります。開けたら閉めるというマナーさえ守れば大丈夫です。
 舞木口へ向かう入口には案内板はあるが、駐車場が無く道路の余地もないので
駐車できません。

舞木口が山中城の東端になります 地図参照

羽栗口が山中城の西端 地図参照
羽栗口へ向かう入口付近も案内板はありますが駐車スペースがありません。
ゲートから入って墓地の駐車スペースが有るので、空いていれば駐車可能です。
 墓地用ですので墓参にの方が優先ですから、駐車は自己責任でと言うことになります。
羽栗口が山中城の西端になり、堀切があります。

大手口から上ると大きな堀切に出る 地図参照
本来の大手道は東海道に向いていたといわれるが、今では羽栗口、舞木口からの見学が
一般的になっています。
 小型の乗用車1台なら駐車が可能なスペースが大手口にありますが、ここへの道は
細いです。山中城を徹底見学するならこちらから上ることをおすすめします。
 途中3本ほど古い道標が立っていますので地図を片手に大きな堀切を目指しましょう。

曲輪を取巻く土塁がシッカリ残る
廃城後の改変が殆ど無いので、400年の時を経た自然に風化した遺構を見ることが
出来ます。

主郭に立つ城址碑も"シブい"

 縄張図を持ってジックリ見学すれば、山城の魅力を満喫できるのが山中城です。