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浅谷城 三河 その3 遺構の残りが良く絵図と対比してたっぷり楽しめる城郭

2022-09-28 | 歴史

浅谷(あざかい)城は愛知県豊田市山谷(やまがい)町にあります。城主は梁瀬道悦と伝わりますが築城の年代等については不明とされ足助七城の一つに数えられています。浅谷城その1では 広島市立中央図書館蔵の浅野文庫  諸国古城之図「三河加茂 浅谷」の絵図を参照しながら現況の城郭遺構を見学しました。その3でも絵図を参照しながらⅠ郭(主郭)の西側の城郭遺構を中心に見学したいと思います。今回の参考資料も (1)「足助の中世城館」足助町教育委員会2001 と (2)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994 などです。なお、広島市立中央図書館蔵の浅野文庫 諸国古城之図「三河加茂 浅谷」の絵図は 浅谷城その1でご覧ください。


浅谷城 Ⅵ郭は絵図では明確に描かれていないが案内板では物見曲輪とされる
 Ⅰ郭から南へ下る尾根の先端部は堀切Cで断ち切って削り残した岩だらけのⅥ郭がありました。諸国古城之図では描かれていないように見えますが、Ⅰ郭の案内板の図では明確に描かれ「物見曲輪」となっていました。諸国古城之図では堀切の外側は城外扱いで描かなかったのかもしれませんね。


浅谷城 Ⅰ郭南端部から堀切C越しにⅥ郭を見下ろす  堀切の表示板が立つ
 Ⅰ郭の南端部は堀切Cで断ち切っていました。その南側にⅥ郭がありますが、大きな岩がゴロゴロで、平場とはいいがたいですが、見どころでした。Ⅵ郭は尾根の掘り残しで、曲輪として扱われていなかったのかもしれないと思いました。
 

浅谷城 南尾根の堀切C 西下から  左上にⅠ郭 右にⅥ郭
 東尾根を断ち切る堀切Cの一部には大きな岩がありました。岩はⅥ郭から転落したようにも見えますが、岩があったため、掘るのを途中でやめたたのかしれませんね。


浅谷城 Ⅲ郭南下の井戸地形c 西から 右奥上に堀切C
 Ⅲ郭南下には井戸地形cがありました。井戸だったとすれば堀切D方面から回り込む道があったと思われます。


浅谷城 Ⅲ郭 北から    西側尾根を削平して造り出した曲輪 
 Ⅲ郭はⅠ郭の西側の尾根を削平した曲輪でした。Ⅲ郭を削り出したためにⅠ郭の西辺の切岸は5mを超す急角度の切岸となっていました。


浅谷城 平場⑫ 北東上から
 Ⅰ郭から西側に延びる尾根は、3段に削平されていました。その中段の平場⑫は平場⑪から入るようになっていました。


浅谷城 西尾根の平場⑬ 北東から
 Ⅰ郭の西側尾根を削平した下段の平場⑬は小ぶりなものでした。平場⑬は堀切Dを見下ろす位置にあり北東方向からの犬走状の通路がありました。


浅谷城 堀切D 右上に平場⑬ 見事な切岸が見どころ  人物と比較 
 尾根の西下を断ち切る堀切Dは急角度で高さもあり見事でした。思わず見上げる人物との比較でその規模が想像できますね。


浅谷城 堀切E 西尾根の先端下部を断ち切る 南から
 堀切Eは城域西端部にあたります。堀切Dまでで十分な守りになっているのではないかと思いましたが、さらにもう一段の守りを固めたようですね。この方面の進入の可能性がそれほどまでに有ったということかも知れません。


浅谷城 西側尾根の先端から堀切E越しに奥の尾根を見る  西から
 城域の西端部は尾根の堀切Eまでのようでした。ここから尾根は神越川までさらに50m程下ります。


浅谷城 竪堀Fと堀切D 北西下から  見どころです
 Ⅰ郭から西下に延びる尾根の堀切Dは尾根を断ち切っていますが、竪堀Fは北側斜面を西から回り込むのを防ぐために設けられたと思われます。万一竪堀を登って来る敵がある場合に備えて、竪堀上部を曲げて横堀状にすることで上部からの攻撃をしやすくしている様に見え、興味深い見どころでした。ちなみにⅠ郭に立つ案内板の図には堀切D、Eは描かれていませんでした。 Ⅰ郭案内板は 浅谷城 その2でご覧ください。

 
浅谷城 竪堀F 上から 竪堀はさらに20m以上下に延びる
 諸国古城之図では竪堀は谷の下の水路まで伸びている様に描かれていました。資料(1)によると、城域南下を流れる神越川沿い左岸の道は後世のもので、かつては城域北側を登る街道しかなかったようですので、外部からの進入は、往時は城域北側の道からが想定され、そうであればこの方面の守りが厳重だったこともうなずけますね。
 浅谷城は三河山間部の山城としては規模が大きく興味深い遺構の残りも良好で、諸国古城之図や参考資料も整っていましたので、参照しながら楽しく見学ができてとても良かったです。
※諸国古城之図「三河加茂 浅谷」は 浅谷城その1でご覧ください 浅谷城その2は→こちら