力尾城は三重県三重郡菰野町菰野字力尾にあります。城主は土方氏と伝わり、土方氏が菰野陣屋へ移った後、山下に土方氏の菩提寺として見性寺が創建されました。城域の遺構は南側にバイパス道路(306号)を敷設するため平成10、11年に発掘調査が行われ、そのご主郭に当たるⅠ郭は道路工事で消滅しましたがその他の遺構の多くはおおむね原形を残しているようでした。今回の参考資料は(1)「再発見 北伊勢国の城」伊藤徳也著2008 (2)「三重の中世城城館」三重県教育委員会1976 (3)「力尾城跡発掘調査報告」三重県埋蔵文化財センター2001 などです。※資料(3)は→こちらからダウンロード可能(約30MB)
力尾城 菰野陣屋へ移る前の土方氏の居館は山下の見性寺にあったか
見性寺は土方氏の菩提寺として造営され、今でも立派な山門等が残り、城山の中腹には土方氏歴代藩主や初代藩主正室の八重姫の墓所も祀られていました。また城域を含む山域には新四国八十八ケ所霊場巡りの参道が整備され、城道がわかりにくくなっている場所もありました。往時は見性寺のある場所に居館があり背後の山に詰城が築かれていたのではないかと想像してみましたがどうでしょう。
力尾城 306号バイパスによって城域の南側は削られた
現在の生活の利便性のために遺構・遺跡が失われるのは致し方ないと思いますが、力尾城では事前の発掘調査が丹念に行わたのが救いです。
力尾城 306号バイパスで削られた城域の南側
車社会で道路整備は必須ですが、城郭遺構が失われるのは山城ファンとしては少し残念ですね。
力尾城 改変前の縄張図を含めた現況の図
資料(1)には、伊藤徳也さんが道路工事前に描いた力尾城の縄張図が掲載されていますが、現況は主郭であるⅠ郭がスッポリ消滅しているのがわかります。なお資料(3)にも同じ縄張図が掲載されていました。
力尾城 Ⅲ郭 北東から 奥に一段上がってⅡ郭 (Ⅰ)郭は消滅
現況を見るとⅢ郭が主郭のようですが、Ⅰ郭が消滅したためにそう見えるようで、往時はⅢ郭、Ⅱ郭、Ⅰ郭の順に高くなっていたのですね。写真に見える祠は霊場巡りの八十八ヶ所の一つです。Ⅱ郭、Ⅲ郭は面積が広いので建物が建っていた可能性がありそうでした。
力尾城 Ⅵ郭 櫓台状の土壇 細尾根②で東から登る
現況は独立した櫓台ですが、資料(1)で見ると消滅したⅠ郭に付随した設備だったかもしれません。今の登り道の細尾根②はⅢ郭の削り残しの土塁のようにも見えました。
力尾城 Ⅲ郭東側 土塁③と桝形⑤ ④は霊場巡りの破壊道か
Ⅲ郭への城道は土塁③の東側を回り込んで桝形⑤からⅢ郭へ入る構造だったのではないかと想像してみましたがどうでしょう。土塁③の上には霊場巡りの祠が祀られていました。道④は霊場巡りの為の破壊道のように見えました。
力尾城 Ⅱ郭 土塁⑥ 改変があった? 写真では不鮮明
資料(3)によると、山域では樹木の伐採が行われ、重機が入った形跡も見られるので、遺構の一部が旧態を留めていない可能性があると示唆されていますが、この土塁も周囲とのつながりが明確ではありませんでした。
力尾城 平場⑦ 西から 左上にⅡ郭
Ⅱ郭の南下には平場⑦と横堀が在ったようですが、現況では横堀は確認できませんでしたが平場⑦はほぼ残存していました。
力尾城 Ⅶ郭 西から 東からの通路①がある
Ⅶ郭は面積の狭い越曲輪のようで、東側の通路①ではいるようになっていました。Ⅶ郭の北側の尾根からの侵入に対する備えだった可能性がありそうでした。
力尾城 平場⑧ 西から
平場⑧は平場⑦とほぼ同じ高さに設けられた腰曲輪状の平場でした。
力尾城 段々の平場aと道b 南下から
平場⑦、⑧の南下にも何段もの平場がありました。城郭遺構の腰曲輪のように見ましたが、帰宅してから資料(3)を見ると、昭和23年ごろの空中写真で山林が切り開かれた山畑に見える場所が平場aだとわかりました。道bも南の山下からの道で農道だったようです。
力尾城 土塁⑩-⑪間の開口部⑨ 南下のⅣ郭から
Ⅳ郭、Ⅴ郭への開口部⑨を通る山下からの城道があったと思われますが、現況では道は明確に見出せませんでした。
力尾城 開口部⑨ 西から 左に土塁⑪右に土塁⑩
開口部⑨はⅣ郭やⅤ郭への通路だったと思われます。Ⅲ郭北辺の細尾根②から土塁⑪までの土塁の幅が意外に厚く、北側山下にあった居館の詰城として北側山下からの敵の侵入への備えが厳重だったのではないかと思いましたがどうでしょう。
力尾城 Ⅴ郭 南西から 奥に土壇⑫
Ⅴ郭の北東隅には櫓台状の土壇が設けられ北側の尾根からの侵入に備えていたように見えました。Ⅴ郭北辺の土塁⑪と土壇⑫の間は急斜面で土塁の必要がなかったかもしれません。
力尾城 土方家歴代藩主の墓地
明治まで続いた土方氏の墓地は今も大切に整備されていました。
力尾城 八重姫の墓地
八重姫は織田信長の孫娘で、初代藩主土方雄氏の正室として草創期の藩を築いた陰の功労者として特別に祀られているようです。
力尾城は、道路工事で一部改変を受けた城郭遺構でしたが、資料を参考に往時の姿を想像しながらの見学ができました。 ◆◆Ⅲ郭のブッシュに入ったときに、スズメバチの巣があったらしく10匹ほどのスズメバチに、アチコチ刺されました。秋はハチの活動期といいますが、大型のハチが集団で襲ってきたので恐怖を感じました。急いで下山し、近所で見かけたお医者さんに駆け込んで診察をうけました。