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伊勢・五ヶ所城 愛洲氏の拠点城郭 陰流・愛洲移香斎の生誕地

2018-11-29 | 歴史
五ヶ所城は三重県度会郡南伊勢町五ヶ所浦にあります。過日、東海古城研究会の日帰りバス見学会で訪れました。
 五ヶ所城は南朝の忠臣北畠氏に属した南伊勢の豪族、愛洲氏が居城しましたが、織田信長の伊勢侵攻により織田信雄によって天正五年(1576)に滅ぼされ廃城となりました。
 五ヶ所城は剣術三大源流の一つである「影流」の開祖である愛洲移香斎の生誕の地としても知られています。

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五ヶ所城 復元図   愛洲の館資料 見学会資料より転載
愛洲氏館、五ヶ所城の所在する五ヶ所浦は南に五ヶ所湾があり、愛洲氏は南伊勢の制海権を持ち熊野水軍の抑えをなしていたとされます。
 海へのアクセスが良好ということは、津波に襲われる可能性が高いと言うことで、城址の一角に展望台と称する津波避難所が設けれれていました。


愛洲氏館 今は更地状態で、立ち入りが禁止されている
五ヶ所城は主郭を中心とする詰の城の南側に愛洲氏の居館が築かれていました。


愛洲氏館の北側 土塁と堀が明確に残る
愛洲氏館は立入禁止でしたが、館の北側の土塁と堀はハッキリと遺構が残っていました。往時には土塁はもっと高く、堀はもっと深かったであろうと想像しながら見学しました。


五ヶ所城 南と東は二重の堀で防御されている
主郭の南側と東側には二重の堀がありました。北側と西側は断崖絶壁で、いわゆる後堅固な城でした。写真は内側の堀です。


北側隅の櫓台
主郭の北側隅には櫓台の土壇が残されていました。後堅固とはいえ、後方の監視と防御を担う櫓があったのではないかと思いました。


五ヶ所城主郭に建つ愛洲移香斎の顕彰碑
愛洲移香斎が開いた剣術の「陰流」は後に陰流をルーツとした新陰流や柳生新陰流などに受け継がれ、三大流派の中で最も隆盛を極めましたが陰流そのものは消滅してしまったようです。

主郭の西側下には資料館「愛洲の館」があり、愛洲移香斎に関連する展示、書籍販売などが行われており、増補 愛洲移香斎久忠傅考を購入しました。ここでは伝説に彩られた愛洲移香斎の諸説と実像を垣間見ることが出来ました。

見学会はこの後、田丸城へ向かいました。