井面城は三重県津市美里町家所にあります。井面は「いのもて」と読むようです。
本家の家所氏から文明十六年(1484)分家し井面氏を名乗り、城を築いたとされます。家所城からは950mの近距離に有り、小規模ですので戦時の詰城だったと思われます。
今回の資料は「改訂版 津の城跡50選」津観光ガイドネット・山城調査プロジェクトチーム編 2016です。いつも参考にする「三重の中世城館」三重県教育委員会1976では井面城址は「不明城館」となっていました。
付近にはジャンボ干支で知られる辰水神社があり、今年もTVニュースで金色のジャンボ牛が何度も登場していました。家所・井面集落内には、お下がり?のジャンボ干支があちこちに見られました。
井面城 穴倉川と久保川に挟まれた北から伸びる尾根の一つの先端部に築かれている
城郭中心部の遺構には居住性はなさそうでしたが、尾根北側の中腹には屋敷地らしき平場がいくつも見られました。北西側の尾根には平らな地形が広がっていましたが、山畑があったのかも知れないと想像しました。城道は後世の山道と重なる部分もあり往時の姿は明確には捉えられませんでした。駐車は少し離れた井面橋の付近のスペースに止めました。
井面城 堀切のあるⅡ郭と土塁囲みの平場①のあるⅠ郭を城郭遺構としました
現在の道は集落内を通り尾根に上がり左折すると資料に紹介されていましたので、その道Aを進みました、ヒョットすると C方向に道があったかも知れないと思いますが、未確認です。
井面城 溜池跡 尾根から水を引く溝が残る
C方向の尾根には溜池の跡がありました。Aの尾根には溜池に水を導くための溝が続いていました。一般的な水田用の溜池ではなさそうですので、城郭遺構の一部かも知れないと想像しましたが、どうでしょう。
井面城 Ⅱ郭 きれいに削平されている 山下集落のTVアンテナの残骸が多数ある
尾根北西の最高所にあるⅠ郭を主郭と設定してみましたが、曲輪の広さや削平状態、図2の腰曲輪状の地形②も有りましたので堀切を備えたⅡ郭が主郭だった可能性も考えられるかも知れません。写真右側の土塊は根こそぎ倒木です。
井面城 堀切③ 南から 右手にⅡ郭 竪堀となって南側に切れ落ちている 見どころです
どちらかというと井面城の城郭遺構は明瞭では有りませんが、この堀切ははっきりしていて見どころでした。堀切は南側に竪堀となって切れ落ちていました。
井面城 Ⅱ郭と堀切③、④と土橋 北西尾根から
Ⅱ郭の北西辺には土橋を挟んで堀切③と④が設けられていました。土橋は山道とも重なっていました。
井面城 土塁囲みの平場① 南東から 中央を山道が通る 奥上にⅠ郭
図2の①には低い土塁⑤に囲まれた平場が有りました。土塁の切れ目を通ってⅠ郭の右側を巻くように山道が有りましたが、往時の城道もこれだったかも、と想像しました。Bの山道が①の手前でAと合流していましたが、Bは後世の山道の可能性が高そうでした。
井面城 Ⅰ郭 北西から 面積が狭く見張台の可能性もある
写真奥にⅠ郭の最高所があります。手前の右側には切岸状の地形がありますが、写真でははっきりしませんね。Ⅰ郭の北西側⑥に尾根が続いていました。Ⅰ郭の曲輪部分の面積は狭く、見張台としての機能を持った郭だったのかもしてません。
尾根上にはかなり広い平場も有りましたが、山畑があったのかも知れないと思われるような地形で、城郭遺構ではなさそうでした。
井面城 中腹の平場⑦ 山城の屋敷地によくある地形
資料によれば、北側にも数段の平坦地があると記されていましたので中腹まで降りて見学しました。確かに人工的な地形に見える平坦地が⑦や⑧などにいくつも有りました。代表的な地形として⑦の写真を載せましたが。これらの地形が山畑ではないならば、井面氏と配下の屋敷は集落の反対側のこのあたりにあったのかも知れないと想像しました。
井面城は尾根上の地形Ⅰ、Ⅱが城郭遺構だとして見学しましたが、尾根中腹の屋敷地の可能性のある⑦、⑧と周辺部も興味深い地形が多くありました。