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三河・山崎城 堀と土塁が見どころの平城 東海古城研究会の見学会で訪れました

2019-07-31 | 歴史

山崎城は愛知県安城市にあります。  東海古城研究会 7月の日帰り見学会で三河地方に残る十四松平家など(図1参照)を訪れましたが、今回はその中で山崎城を紹介します。

見学会のコースと経路は図1の様に 福釜城→安城古城→安祥城→山崎城→桜井城→本證寺→藤井城でした。十四松平家を一日で見学するのは困難ですので、今回の見学会では福釜,桜井,藤井の三家を訪れました。

図1  見学コース 国土地理院地図をカシミール3Dで加工・加筆  図のクリックで拡大


山崎城 今は城地の西側半部が山碕神明社となって残されている
 神社正面(南)の右側には土塁が残り、石碑類が立っています。神社境内の東側の道が城域の区切りだと思って見学しましたが、帰宅してから調べたら、もっと東まで城域だったとわかりました。図2参照


山崎城 図2 堀と土塁の復元図の概略を現在の国土地理院地図に書き込んでみました
 ※図2は「愛城研報告」に掲載された論文中の図を部分的に引用して概略を書き込んだものです。
※堀1は、「愛城研報告 第3号」掲載の高田 徹さんの論文中で山崎城を取り巻く堀跡を地籍図から割り出したものです。
※堀2は、「愛城研報告 第19号」で東海古城研究会の会員の山崎裕太さんが復元した図をデフォルメして記入しました。山崎さ んの論文によると、小牧長久手の戦いの後、短期間存在した堀があったと推定しています。
 南側のAは、見学時に現状から城域を半分に誤解した範囲です。


山崎城 社殿側から見た残存土塁 往時は鳥居の立つ場所も土塁が続いていたようだ
 鳥居の立つ部分は一見すると土塁の切れ目で、虎口だったように思いましたが、図2によると、往時は土塁が続いていたようです。虎口は東西に開いていたと想定されています。


山崎城 神社北側に残る堀 山崎城の見どころです
 往時はこの堀が周囲を取り巻いていたとされますが、部分的ではあっても見事な堀の遺構が残されていました。ベテラン会員さんの記憶では以前には西側にも堀が残っていたということですが、今は埋められて公園になっていました。


山崎城 社殿北側に残る幅広の土塁の断面  この土塁も見どころ
社殿の造営で社殿裏の土塁は削られていますが社殿の東側には幅広の土塁が残ります(図2)。土塁上から見下ろすと土塁と北側の堀までの高低差が確認出来ました。

山崎城の見どころは北側の堀だけだと思っていましたが、案外土塁も残っていて、楽しく見学でき00ました。