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片山城 美濃その2 多数の城郭遺構がよく残る岐阜県下最大級の山城を堪能する

2024-04-27 | 歴史

片山城は岐阜県揖斐郡池田町片山にあります。興味深い遺構が多数で、残存状態も良好ですので、その1 とその2に分けて掲載し、今回はその2です。今回の参考資料も(1)「岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第1集(西美濃・本巣郡)」岐阜県教育委員会  (2)「岐阜の山城ベスト50を歩く」三宅唯美・中井 均編2010  (3)城ヶ谷7号墳・片山城跡 : 一般地方道大垣池田線道路改良工事に伴う緊急発掘調査報告書 などです。その1は→こちら

片山城 円興寺峠を越える道は、古くから重要な街道だった
 円興寺道は京と北の揖斐郡を結ぶ峠道で杭瀬川や揖斐川の乱流に悩まされることのない安定した道だったのではないかと考えてみましたがどうでしょう。

片山城 城域を貫通する道は円興寺街道を規制して設けられたか
 資料(1)で、片山城内を貫通する道は円興寺道の通行を規制し、城内を通るように設けられた可能性が指摘されています。山城で、間道が城内を貫通している例を時々見かけますが、その場合も主郭部は迂回しているようです。片山城も城内を貫通する道は主郭部を迂回していますので、同様の目的だったと考えてもいいのではないかと思いました。

片山城 堀切1 東から 右上にⅠ郭
 片山城の堀切は風化があるにしても、輪郭が不明確な堀切が多いように思いました。資料では片山城が臨時的な城郭として設けられた可能性を記していますが、堀切の輪郭が不明瞭なのもそれが関連しているかもしれません。

片山城 竪堀2 南西上から
 竪堀2と堀切1の間には城内を貫通する道が横断して二つに分かれているように見えますが、本来は一体の堀切と竪堀だったかも知れないと思いました。

片山城 Ⅰ郭(主郭) 目だった城郭遺構は見当たらない
 Ⅰ郭の南側はⅢ郭を含め、堀切などで守りの備えとなっていますが、Ⅰ郭の曲輪には中央部に浅い窪みがあるだけで、虎口3以外の目立った城郭遺構は見当たりませんでした。

片山城 大手の登り虎口3 北から 奥上にⅠ郭
 片山城の大手道は北側に在ったのではないかと思われる遺構の配置が見られますがⅡ郭からⅠ郭への大手道も北側からの登り虎口で入る様になっていたようでした。

片山城 Ⅱ郭東側の虎口4 東下から
 Ⅱ郭へは東下から一度折れてⅡ郭へ入る虎口でした。虎口の入口下には小規模な虎口受の平場が在り、城を貫通する道からは直接入れないようになっていました。

片山城 平場5 Ⅱ郭を取り巻く帯曲輪を伴う
 平場5はⅡ郭の西側まで帯曲輪状の地形が斜面を巡り、Ⅱ郭の切岸を削り出している様にも見えました。平場5は城内を貫通する道から直接入れるようでした

片山城 平場10 南から 貫通道が通る
 平場10は城内を貫通する道が一旦平場10に入るように見えました。ヒョットすると往時は倉庫的な役割の場所だったのかもしれないと勝手な想像をしましたがどうでしょう。

片山城 平場11 虎口を守る曲輪か
 北から来た道は平場11の東側の虎12の溝状通路を通ります。平場11はこの虎口の上から打ち下ろせる地形ですので、虎口を守る位置にあるように見えました。平場11の南側には土塁状地形があり、南側の平場と分離していました。

片山城 虎口12 北から 二度折れて進む虎口に見える
 北から平場15を通って来た道は、虎口12で平場11から見おろされながら二度折れて進みます。ここでは城道と貫通する道が重なっていました。

片山城 土壇14 手前に堀切13 南から
 土壇14は、ほぼ自然地形に見えましたが、北側の虎口16を見下ろせる位置と高さでした。土壇天端の面積が広いので、兵を置いたかもしれないと思いました。

片山城 平場15と貫通道 左に土壇14 北から  奥に虎口12
 面積の広い平場15を貫通道が通っていました。この部分は城道も兼ねているようですので平場15はいわゆる兵站部のようですね。

片山城 虎口16 北から 右手上に平場15
 北側の尾根を登って来た城道を兼ねる貫通道は虎口16を通って城内に入っていました。虎口16は平場15から打ち下ろしが出来る構造になっていました。

片山城 面積が広い平場6 南西から 
 円興寺道を規制して城内を貫通する道を通るようにしても円興寺道を監視する必要がありそうで、その為と思われる円興寺道方向に張り出した曲輪がいくつも設けられていました。そのうちの一つである平場6は面積が広く西端部を貫通道が通っていました。

片山城 平場8 北から
 円興寺道方向に張り出した曲輪の一つで支尾根を削平した平場でした。縁辺部に土塁は見当たりませんでした。

片山城 平場7 東から 奥上に小平場が二つ その上に平場6
 平場7も円興寺道方向へ張り出した支尾根を削平した方形に近い平場でした。片山城の、どの平場も縁辺部には目立った土塁地形が見当たらないようですが、平場6、7にも目立った土塁遺構は見当たりませんでした。

片山城は城内を貫通する道を設けて、円興寺街道の通行を規制する役割が有ったという前提で多数の城郭遺構を見学し、大いに楽しめて良かったです。


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