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信濃・高梨氏館 中世の館城遺構がよく残り復元に感動

2018-10-30 | 歴史
高梨氏館は長野県中野市にあります。
 東海古城研究会の10月20日、21日の見学会の最後の見学先です。ベテラン会員さんお勧めの遺構でしたので期待でワクワクです。訪れてみると、期待に違わない素晴らしい遺構の見学ができ大満足でした。
 高梨氏は当地区の有力な国人でしたが、武田信玄が信濃侵攻で北上してくると飯山城に移り上杉謙信に属しました。高梨氏館は、平面上に築造されたほぼ方形の館城で何回かの改修拡張が発掘調査で確認され、現在は発掘調査の結果を踏まえた復元・整備が行われていました。

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土塁で囲まれた屋敷地には建物が立ち並び、規模の大きな庭園がありました。庭園は復元され往時の雰囲気を味わうことが出来ました。東側の土塁の中間部に東側小口が設けれれていて、詰の城の鴨ヶ岳城へと道が続いていたそうです。この地方では見たこともない豪華な庭園と屋敷が高梨氏の権威を示していたに違いありません。


整備された土塁と堀が舘の全周を取巻いていました
堀と土塁は多少の風化はあったようですが、ほぼ完存状態だったようで、整備された姿を見ることが出来ました。発掘調査によると堀は∨字型だったそうですので、今見るよりも深かったと思いました。


西側南小口 ここが大手口だったようで、木橋が復元されている
大手口を入ると舘の建物の背後に、詰の城の鴨ヶ岳城の尾根がそびえていて、権威付けの演出に一役買っていたのではないでしょうか。 ※大手小口越しに鴨ヶ岳城が見えています。


内側から見た西側北小口 ここには門があった
発掘調査の結果、門の跡が確認されました。土塁の端面の丸石による土留は復元か整備の都合によるものか確認出来ませんでしたが、このような石積があってもおかしくないと思いました。


南側入口 後世の通用口

南側 太鼓橋
南側通用口は今は入口になっていますが後世のものです。近くにある太鼓橋も後世のもので、どちらも一見すると遺構のようですが往時には無かったものです。チョット紛らわしいですね。
※小口は虎口が一般的ですが現地案内図の表記に従いました。

2日間の見学会でしたが、待望の春日山城、期待を裏切らない高梨氏館など充実した内容で大満足の見学会でした。