潮の香り

潮の香りって海岸や沖合い、港などによってもそれぞれの香りが違うよね、 それが感じられれば貴方も海族の仲間入りです。

バブル時代の置き土産

2013年02月12日 07時08分38秒 | 世間話

名鉄内海駅です。


先日、通りすがりに覗いてみました。



実は亡親父がここの構内で炉端焼きのお店を出していたんだよね、

でもどんぶり勘定しか出来ない親父だったから当然経営なんて出来るわけなく、意地になって泊まり込んだりして頑張ったんですが敢え無く閉店。

同時期に飲酒の取締りが厳しくなって、この構内に乱立していたスナックや居酒屋等はどんどん廃業に追い込まれたのです。

田舎の駅ではタクシーなんて使ったら運賃の方が飲食代より高くつくから、交通手段が自家用車に頼らざるを得ないんですよね、


あれから20年以上経ちました。

今でも・・・

一伸の看板が・・

一の字は親父の名前の一文字、伸は当然僕の一文字ですね、

未だに誰も入店していません。場所的には理容などのサロンが最適な場所なんですが、

いかんせん人口が少なすぎ・・


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7 コメント

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Unknown (hiro)
2013-02-12 11:03:06
伸さんこんちわ^^
20年経っても思い出が残ってるのも場所って、複雑な気持ちですね。

内海駅ですか・・・夏はにぎわいますが、その他の季節は寂しい場所のイメージしかありません^^;

 
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Unknown (伸ちゃん)
2013-02-12 14:10:50
hiroさん
そうでしょ!閑散としてるんです。
周りに民家が少ないから惟一飲み屋街が好条件だったんですがね、
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Unknown (クッキー)
2013-02-12 17:17:08
ヒョっとして昼間も定食かなんか出して
営業してなかった?
入った覚えがあるなぁー。
名鉄を利用する海水浴客も多かったですよね。
時代を感じます。
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Unknown (内海釣船)
2013-02-12 17:55:21
懐かしいね
大きなヒシャクで料理を差し出してくれたような・・・
10年ぐらい営業したんだね

息子が生まれたのが昭和55年
同じ年に名鉄が開通しました
あのころの賑わいが懐かしいです
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Unknown (ねこ)
2013-02-12 20:51:49
内海・・ 自分が子供の頃は東端の方でもお盆前後は一晩中
つっかけ下駄のカラコロっていう音が響いていたもんなぁ・・・・・

<リンク:http://yaplog.jp/ikarineko/archive/162>2007年の夏</リンク>、久々に内海の夜を見たけれど全く静かでした・・・
昭和45~55年頃は一番通っていた頃ですわ{ねこ}
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Unknown (オズマ)
2013-02-12 21:49:12
切ない話ですけど、
とてもいい話。
看板の屋号の由来がグッときました。

伸ちゃんの親父もオズマの親父も、
共にあの年代はどんぶり勘定ですね。
またあの時代だからこそ通用したんだろうけど。
でも古き良き時代だったと思います。
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Unknown (伸ちゃん)
2013-02-12 22:37:48
クッキーさん
昼間はうどんと中華そばがメインでした。

内海釣り船さん
そうです!大きな木のスコップみたいな柄杓です。
うちの前はマルエイガスの榎本さんが八百屋をやってましたよ、

{ねこ}さん
昭和時代はなんとか頑張っていましたけれど平成になったら閑古鳥が飛び始めました。現在、その鳥を撃ち落とそうと地元衆は頑張ってますよ、応援してくださいね{旗}

オズマさん
ありがとうございます。
昭和の激動を生き抜いて来た強者も、時代の波に淘汰され現代はアイディアとメディアの力をうまく利用しているものが伸びているように感じます。
僕的には今の時代こそどんぶり勘定万歳なんですがね
<太><色:#ff0000>\(^o^)/万歳</色></太>
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