めーたんが今度発売されるシングルの選抜から外れました。
頭の中が整理出来ず、どう書いていいのか、全く分からなかったのですが、少しだけ整理がついて来たので、矛盾していることもあるかもしれませんが、ちょっと書きたいと思います。
ショックでした。
が、超~~ショックって訳ではありません。
勿論、嬉しい訳でも、どうでもいい訳でもありません。
僕の個人的な関心でありますが、元々、「選抜」とか「センター」とか、そういうものには、あまり関心はありません。
どうもAKBには「選抜至上主義」「センター至上主義」みたいのが横行していて(メンバー、ヲタ、メディア共に)、それは、AKBの「選抜総選挙」が助長させたように思っています。
めーたんがAKBの時も、僕は、あまり熱心には、投票はしませんでした。
SDNもその流れをそっくり受け継いでいるように思え、僕には少しの違和感があります。
(勿論、ファンの投票で1位を得るというのは、価値のあることだとは思いますが。)
勿論、前提として、CDの表題作にメンバーとして参加出来れば、それに越したことはないことだとは思いますが。
めーたんはAKB時代、CDについては選抜というものには、あまり恵まれてはいなかったように思います。
ですが、だからと言って何であろうか。
めーたんの独自の存在感、活躍は、まさに、CDの選抜が全てではない、ということを示し、証明していたようなものであると僕は思います。
ちょっと違う例になってしまうかも知れませんが、筒井康隆の「大いなる助走」という小説があります。これは、新人の作家が、文学賞の候補に選ばれ、受賞に向け奔走し、しかし賞を逃し、怨み、選考員を一人ずつ殺していく、という話しなのですが(笑)
編集者が、この新人作家にいう言葉で、「いろいろな作家がいるけど、やはり大別して、賞をとらなくてもなんとかやって行ける作家と、賞をとらない限りどうにもならん人がいますねえ。厳然として。言っちゃ悪いがあなたの場合ははっきり言うと後者なんだ。」というのがあります。
まあ「なんとか」という部分は余計なんですが、めーたんは、まさに前者の「賞をとらなくてもやって行ける」人であると思います。
そうは言っても、
めーたんは紛れもなく、SDN48の象徴であります。
そのめーたんを外すのですから、何かしらの意図があると思うのですが、僕には、まったく持って意図不明であります。
CDは、劇場盤は既にお金を払ってしまいましたが、通常盤については、2種類各1枚しか買いません。(まあ、それが元々、普通な健全なことではありましょうが、それは置いといて。)
もし仮に、めーたんが握手会に駆り出されたとしても、僕は参加しません。
これは、僕の明確な悪意であります。
めーたんは相当ショックを受けたようですね。
めーたんは、SDNに対して、プライドと自負を持っていると僕は想像しますが、めーたんには徒らに自虐に走らず、颯爽と気高く、自負を持っていただきたいと願います。
めーたんは大丈夫です。
めーたんの前途は依然として洋洋であり、これからも、更に更に、多くの人に愛され、親しまれる事は間違いのないことです。
めーたんは魅力に溢れる人であります。
「天国のドアは3回目のベルで開く」を作品として、曲と、PVを楽しみに待ちたいと思います。
レイチェルのソロ曲も楽しみです。
====
独りよがりな、蛇足でありますが、
前回1位だった人が、今回外され、そこから這い上がっていく様は、まさに、SDN48こそが描ける物語であると思うのですが、どうでしょうかね。
頭の中が整理出来ず、どう書いていいのか、全く分からなかったのですが、少しだけ整理がついて来たので、矛盾していることもあるかもしれませんが、ちょっと書きたいと思います。
ショックでした。
が、超~~ショックって訳ではありません。
勿論、嬉しい訳でも、どうでもいい訳でもありません。
僕の個人的な関心でありますが、元々、「選抜」とか「センター」とか、そういうものには、あまり関心はありません。
どうもAKBには「選抜至上主義」「センター至上主義」みたいのが横行していて(メンバー、ヲタ、メディア共に)、それは、AKBの「選抜総選挙」が助長させたように思っています。
めーたんがAKBの時も、僕は、あまり熱心には、投票はしませんでした。
SDNもその流れをそっくり受け継いでいるように思え、僕には少しの違和感があります。
(勿論、ファンの投票で1位を得るというのは、価値のあることだとは思いますが。)
勿論、前提として、CDの表題作にメンバーとして参加出来れば、それに越したことはないことだとは思いますが。
めーたんはAKB時代、CDについては選抜というものには、あまり恵まれてはいなかったように思います。
ですが、だからと言って何であろうか。
めーたんの独自の存在感、活躍は、まさに、CDの選抜が全てではない、ということを示し、証明していたようなものであると僕は思います。
ちょっと違う例になってしまうかも知れませんが、筒井康隆の「大いなる助走」という小説があります。これは、新人の作家が、文学賞の候補に選ばれ、受賞に向け奔走し、しかし賞を逃し、怨み、選考員を一人ずつ殺していく、という話しなのですが(笑)
編集者が、この新人作家にいう言葉で、「いろいろな作家がいるけど、やはり大別して、賞をとらなくてもなんとかやって行ける作家と、賞をとらない限りどうにもならん人がいますねえ。厳然として。言っちゃ悪いがあなたの場合ははっきり言うと後者なんだ。」というのがあります。
まあ「なんとか」という部分は余計なんですが、めーたんは、まさに前者の「賞をとらなくてもやって行ける」人であると思います。
そうは言っても、
めーたんは紛れもなく、SDN48の象徴であります。
そのめーたんを外すのですから、何かしらの意図があると思うのですが、僕には、まったく持って意図不明であります。
CDは、劇場盤は既にお金を払ってしまいましたが、通常盤については、2種類各1枚しか買いません。(まあ、それが元々、普通な健全なことではありましょうが、それは置いといて。)
もし仮に、めーたんが握手会に駆り出されたとしても、僕は参加しません。
これは、僕の明確な悪意であります。
めーたんは相当ショックを受けたようですね。
めーたんは、SDNに対して、プライドと自負を持っていると僕は想像しますが、めーたんには徒らに自虐に走らず、颯爽と気高く、自負を持っていただきたいと願います。
めーたんは大丈夫です。
めーたんの前途は依然として洋洋であり、これからも、更に更に、多くの人に愛され、親しまれる事は間違いのないことです。
めーたんは魅力に溢れる人であります。
「天国のドアは3回目のベルで開く」を作品として、曲と、PVを楽しみに待ちたいと思います。
レイチェルのソロ曲も楽しみです。
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独りよがりな、蛇足でありますが、
前回1位だった人が、今回外され、そこから這い上がっていく様は、まさに、SDN48こそが描ける物語であると思うのですが、どうでしょうかね。