大阪万国博覧会 EXPO '70
at 1999 11/11 06:58 編集
1970年。8歳の僕は、おばあちゃんと母親に連れられて、大阪万博を見に行った。
アメリカが月の石を展示していたと思う。
他の子供がみんなそうやったように、(大人もやっていたかもしれないが)僕は各パビリオンのスタンプ集めに夢中になっていた。
今出てきたパビリオンのスタンプを押し忘れたことに途中で気がついた僕は、みんなにはそこで待っているようにと言い残して、戻っていった。
ところが、来た道を戻ったつもりだったのに、さっきのパビリオンはどこにもない。悪いことに、みんなと別れた場所に戻る道もわからなくなっていた。
(迷子になった)
しばらくあたりを走り回ったが、人も多くて、ちびの僕にはまわりは良く見えない。あきらめて、案内所に行くことにした。
そうはいっても、当時は自尊心がまだ強かった僕は、自分から「迷子になりました」とは言えない。しばらく、案内所の椅子に腰掛けていた。
やがて、1人の男の人が入ってきた。
「すいません、グループとはぐれたんですけど」
(良し、これで行こう) 僕は自信満々に受付のお姉さんに話しかけた。
「すいません、グループとはぐれたんですけど」
「ああ、迷子ね」
と、言うわけで、僕はあっけなく迷子と認定されてしまった。
そのうち、当時はまだ珍しかったテレビ電話で、別の案内所に行っていた家族と話をし、めでたく再会できたわけだが、涙ぐむおばあちゃんの横で、僕は迷子と認定されたことが不服で、ふくれっ面をしていた。
2000年問題担当者の悲劇 22 用語集その2
at 1999 11/12 07:08 編集
本社の2000年問題窓口で作成されたものを、拝借してきました。
1. 法務リスク
(正) 「当社の商品は、2000年問題には対応済みです」などと言ってしまったばっかりに、その後実際に問題が発生したときに裁判沙汰になるリスク。
ポイントは、自分の商品については、できるだけのらりくらりと明言を避け、取引先については、きちんと稼働保証書を取ること。
(誤) ホームリスク
連日深夜に及ぶ残業・休日出勤。とどめは、年末・年始の会社への泊まり込みで家庭(ホーム)が崩壊するリスク。
2. 与信リスク
(正) 取引先が、2000年問題に対応していなかったために倒産して、貸付債権が焦げ付くリスク。与信先については、2000年対応状況を調べて、遅れているようであれば、早めに回収する等の対応をとる必要あり。
(誤) メキシコ・ギリシャなど、地殻の変動が激しい地域において、2000年に向けて余震が続くリスク。
3. 流動性リスク
(正) 上に述べた与信リスクを気にして、年末近くなってくると、誰もお金を貸しだそうとしなくなることから、借りたくても借りられなくなるリスクがある。
(誤) 社内融資を枠一杯まで借りていて、最近の給与カットで生活資金が枯渇し、首が回らなくなるリスク。40歳を越えてから住宅を購入した人たちに多く見られる。
4. 市場リスク
(正) 市場取引(証券・資金・為替など)において、決済が2000年問題でうまくいかないかもしれないと考えて、年末に向けて、取引を絞る業者が増えてくる。この結果、市場の取引ボリュームが減ることから、値動きが荒くなり、在庫を持っている場合に評価損を抱えることになるリスク。
(誤) 35歳を過ぎると、転職先も少なくなり、自分の市場価値ががくんと落ちること。
5. 評判リスク
(正) 「あの会社は2000年問題で苦しんでいる」という噂が立った瞬間、資金調達が困難になったり、通常の取引もキャンセルされたりして、営業が成り立たなくなることから、世間に正しく状況を開示しないと危険ということ。
(誤) 2000年問題に疲れて、最近突然つまらないだじゃれを電子メールでばらまいたり、ホームページに載せたりし始めて、「おかしくなったんじゃないの...」との風評が立ち、人格まで疑われ始めてしまうリスク。
6. 2004年問題
(正) 2000年のうるう年がすぎても、引き続き要注意日がいくつかある。
2000年10月10日 => 2000年で、初めて月も日も二桁になる日。(全体で8桁。これと同じ理由で、2000年1月10日も初めて7桁になる日として要注意日の一つ)
2000年12月31日、2001年1月1日、2004年2月29日など。
(誤) 2000年になった瞬間、職を失うおそれから、上記要注意日を必要以上に誇張し、仕事の確保に走る人がいっぱいで出て来る問題。
帰ってまいりました
at 1999 11/16 08:00 編集
「お休みします」という、掲示板を読んで妻Rが言う。「これじゃ、この4日間はいませんから、泥棒に入って下さいって言っているようなものね」
確かにそうだ。匿名で、かつ海外からこのページを運営しているから良いようなものの、気をつけないといけない。
イタリアにいた時、留守番電話の件で注意されたことがある。
日本人は、留守番電話の中で、名乗る。「はい、こちらは、XXXXです」と名乗る。これにより、(在宅かどうかを確認しようとしている)泥棒は、ちゃんと狙った家に電話していることを確認できる。
イタリア人は、「こちらは、XXX-XXXXです」と、名前の代わりに電話番号を吹き込んでいる。
ある日本人は、「こちらは、XXXXです。XX日からXX日まで、旅行で留守にしております」と、留守番電話にいれておいて、きれいに泥棒にやられたそうだ。
また、ロンドンであった学生さんは、日本に一時帰国している間に泥棒にあったのだが、空港までのタクシーをアパートに呼んだ際、運転手に「海外旅行か」と聞かれて、「久しぶりに、日本に帰る」と言ったことが、泥棒に入られた、唯一思い当たる原因だと言っていた。
気をつけないと。
ワイヤー・ウーマン、旅先でファイヤー・ウーマンに変身
at 1999 11/17 05:04 編集
遅い夏休みの目的地はブダペスト。すっかり観光シーズンをはずしていて、ホテルも飛行機も安かった。(そのかわり、とても寒く、夜は4時頃から暗くなり、あまり町中を見て歩けなかった)
ブダペストの名物の食べ物はパプリカである。唐辛子の一種だ。
食事に赤い色合いをつける時に振りかけたりするし、ピーマン肉詰めみたいにして食べることもある。
レストランでパプリカが食べたいといったのだが、季節はずれだと言われた。もちろん、粉末を使って、赤味を出したスープなどはあった。
二日目の夜、ホテルの近くのハンガリー料理屋に行った。妻Rは、地元の名物グーラッシュを頼んだ。
グーラッシュの上にのっかっていたピーマンを食べた次の瞬間、妻Rは「辛いー」と叫んだかと思うと、コップの水をゴクゴクと飲み始めた。ピーマンと思ったのは、実は強力唐辛子だったのだ。
夫Tも自分の皿に載ったいた強力唐辛子を3ミリ四方に切って食べてみたが、ものすごく辛い。妻Rはこれを輪切り一つ丸々食べてしまったのだ。
彼女にとって不幸だったのは、
1. 上あごの内側の矯正のワイヤーに唐辛子が引っかかって、飲み込もうと思っても飲み込めなかったこと。
2. 矯正のワイヤーで舌が傷ついていて、辛さに敏感になっていたこと。
である。
夫Tの分の水を飲み干した後も、妻Rはまだ火を噴いていた。
テレビっ子
at 1999 11/18 06:23 編集
私はテレビっ子である。これは、子供の頃に、テレビのチャンネルが3つしか無かったことの反動かもしれない。(現在でも福井では4つしか無い。NHK、NHK教育、福井放送、福井テレビ。妻Rは、福井のテレビコマーシャルは、画像が動かないと言って笑いものにする。今どき、映画館でも、こんな紙芝居方式のコマーシャルは流さない)
現在の家でも、ケーブルテレビでたくさんチャンネルが映るので、次から次へと忙しくチャンネルを変えていく。
旅行に行ったときは、まずホテルの部屋のテレビをチェックする。
ケーブルか、衛星か、エッチテレビは映るか。
それぞれのお国柄が出ていて、テレビはおもしろい。
今回のブダペストでも、ホテルが割と良いホテルだったことから、チャンネルがいっぱいあった。ハンガリーは言うまでもなく、ドイツ(RTL、SAT)、イタリア(RAI Uno、RAI Due)、フランス(TV5)、オーストリア、イギリス(BBC、Sky News)、その他(CNN、MTV)。日本語放送のJSTVもあった。(そして、エッチチャンネルも2局あった)
ここで、異変が起きた。普段テレビにほとんど興味を持たない妻Rが、なんとJSTVのせいで、テレビっ子に変わってしまったのだ。
「ぼんやり聞いていても、内容が頭に入ってくる」そう言って、彼女はテレビのリモコンを手放さない。
NHKの朝の連続テレビ小説「あすか」から、「おかあさんといっしょ」、歌番組、バラエティー番組、ニュース。毎晩、夜中一時の放送終了まで見続けていた。
妻Rがお風呂に入っているのをチャンスにと思っても、彼女はバスルームにあるテレビのスピーカーの音を大きくしたままお風呂を使うので、そこにあえぎ声を流すわけにはいけない。
いつもは、妻Rが寝静まってから、こっそりエッチビデオチャンネルをチェックする夫Tは、今回は先に寝てしまうこととなった。
KDD その1
at 1999 11/19 05:39 編集
学生時代にKDDで2年間国際電話のオペレーターとして働いていた。
通信の秘密を保持するため、バイトではなく、正社員としての採用だった。(源泉徴収票には「勤労学生」と表示される)
欧州・米州は既に直接のダイヤル通話が行き渡っていて、時間が夕方から夜間と言うこともあり、台湾・韓国向けの指名通話・コレクトコールが中心であった。
入社後の研修で、中国語と韓国語の交換用語集の授業が15時間ずつあった。
「我是東京國際電話局」などと、練習していたのだ。
耳のわりと良かった学生Tは、発音が非常にネイティブに近かった。(交換用語しか覚えなかったが、発音はきれいだった。)
その東南アジア系顔つきから、中国語をやっていたときは「本当は中国人じゃないの?」と言われ、韓国語をやっていたときは「本当は韓国人じゃないの?」と言われた。
フランス語で取り次いだときは、「本当はフランス人じゃないの?」とは誰も言ってくれなかった。
(ベトナム系のフランス人も多いと思うが。)
2000年問題担当者の悲劇 23
at 1999 11/20 05:07 編集
当社のメッセンジャーは、最近では2000と書いてあると、郵便物でも、ファックスでも、たとえそれがM副社長宛てになっていようと、Q社長宛てになっていようと、全部僕のところに持ってくる。
「2000年を迎えるこの年末年始は、スイスでスキー」などという、ホリデーのパンフレットまで持ってくる。
行けるわけないじゃないか
妻Rの策略
at 1999 11/20 17:27 編集
妻Rに14年間おもちゃにされていたとわかったのは、今年の夏だった。
最初に出会ってからの14年間に、いろいろなことを決めるのにジャンケンをした。
寒い冬にクリーニング屋に行く人を決める場合とか、消し忘れた電気を消しに行くのは誰かとか、そういうたわいのないことを決めるのに、何度も二人でジャンケンをしたのだが、僕がほとんど負けていた。
夫T「本当に僕はジャンケンが弱い」
妻R「そうね、だから他の人とジャンケンで物事を決めようとしちゃだめよ」
そういうわけで、この14年間、家の外ではジャンケンをしないと言う教えを忠実に守り、その一方で、「今度は勝てるかもしれない」との誘惑に負けては妻Rに挑み、使いっ走りをする羽目になっていた。
今年の夏、妻Rに聞いた。
夫T「どうして僕はジャンケンに勝てないんだろう?」
妻R「だって、あなたは「ジャンケン」と振りかぶったときに、次に出す手の形が決まっていて、それがそのまま出てくるから、私はそれを見て勝てる手を出しているのよ」
夫T「それを知っていたのに教えてくれなかったの?」
妻R「だって、教えてあげたら私が勝てなくなるじゃないの」
夫T「......」
妻Rの策略 その2
at 1999 11/20 23:00 編集
そうは言っても、14年間には、僕が勝ったことも何度かあった。
そんな時、妻Rの反応は、
妻R「3回勝負!」(そして、だいたい僕は負ける)
或いは、
妻R「勝った人がクリーニング屋に行くか、負けた人が行くか、決めてなかった」(そして、仕切直しになって、だいたい僕はクリーニング屋に行くことになる)
種明かしをしてからは、妻Rは、昔ほどジャンケンをしようと言わなくなった。
2000年問題担当者の悲劇 24
at 1999 11/21 06:22 編集
いよいよ2000年が近づいてきた。
これまで、会社の人や、友人に、年末に向けて食料・水の備蓄をするようにと勧めてきた。
気がついたら、ロンドン市内日本人向けのお店から、カセット式ガスコンロが売り切れていた。
(ガスの供給が止まるかもしれないことから、調理用にカセット式ガスコンロを買っておくもの)
うちのアパートは、そもそもキッチンにガスコンロが無い(電気の調理器のみ)ことから、ちょっと焦っているが、ひょっとしたら、単に年末・年始の休みに、家族で鍋を囲もうと考えた人が殺到しただけかもしれない。
KDD その2
at 1999 11/21 23:20 編集
研修では、いろいろなことを教わった。世界地理や、通信技術も教わった。
通信技術の中では、NTTの交換機の種類なども習った。
通信回線には、主に衛星と、海底ケーブルがある。当時(17年前)、KDDの海底ケーブル敷設船はすごいということだった。
韓国向けの通話は、衛星でもケーブルでもなかった。
山口県だったかのアンテナ2台から、韓国向けに電波を送り、それが空中でぶつかって、跳ね返ったものが韓国に届くのだそうだ。
今でもこんなことやっているのだろうか。
KDD その3
at 1999 11/28 04:40 編集
電話交換手だから、当然電話応対の言葉遣いの研修を受けた。県人会の寮で生活していて福井弁漬けになっていて、かつ、学校では目立たない学生だった僕に、標準語を教えてくれたのはKDDだった。(感謝、感謝)
でも、当然言葉は丁寧語で、いわゆる学生言葉は教えてもらえない。いまだに妻Rとの会話は、どことなくよそよそしい標準語で交わされているのは、この為である。
お客様からの無理なお願いを断る際には、「XXXいたしかねます」などと言っていたが、普段の生活では決して使わない言葉だ。
回線が悪くて、お客様の声が聞こえにくい時は「お客様、お声が遠いようですが」
一緒に働いていたS君は「お客様、お耳が遠いようですが」と言ってしまって、「耳が遠いのはお前の方だ」と、怒られていた。(この話を書いても、通信の秘密の漏洩には当たらないだろう)
オペレーターは、つなぎ終わった後しばらくは、きちんと会話が為されているかどうかをモニターしなければならない。回線状況が悪いときなどは、割り込んで、接続し直さないといけないのだ。当然その間は、お客様の会話の内容が聞けてしまうので、それで通信の秘密保持の観点から、学生も正規採用とするのである。
at 1999 11/11 06:58 編集
1970年。8歳の僕は、おばあちゃんと母親に連れられて、大阪万博を見に行った。
アメリカが月の石を展示していたと思う。
他の子供がみんなそうやったように、(大人もやっていたかもしれないが)僕は各パビリオンのスタンプ集めに夢中になっていた。
今出てきたパビリオンのスタンプを押し忘れたことに途中で気がついた僕は、みんなにはそこで待っているようにと言い残して、戻っていった。
ところが、来た道を戻ったつもりだったのに、さっきのパビリオンはどこにもない。悪いことに、みんなと別れた場所に戻る道もわからなくなっていた。
(迷子になった)
しばらくあたりを走り回ったが、人も多くて、ちびの僕にはまわりは良く見えない。あきらめて、案内所に行くことにした。
そうはいっても、当時は自尊心がまだ強かった僕は、自分から「迷子になりました」とは言えない。しばらく、案内所の椅子に腰掛けていた。
やがて、1人の男の人が入ってきた。
「すいません、グループとはぐれたんですけど」
(良し、これで行こう) 僕は自信満々に受付のお姉さんに話しかけた。
「すいません、グループとはぐれたんですけど」
「ああ、迷子ね」
と、言うわけで、僕はあっけなく迷子と認定されてしまった。
そのうち、当時はまだ珍しかったテレビ電話で、別の案内所に行っていた家族と話をし、めでたく再会できたわけだが、涙ぐむおばあちゃんの横で、僕は迷子と認定されたことが不服で、ふくれっ面をしていた。
2000年問題担当者の悲劇 22 用語集その2
at 1999 11/12 07:08 編集
本社の2000年問題窓口で作成されたものを、拝借してきました。
1. 法務リスク
(正) 「当社の商品は、2000年問題には対応済みです」などと言ってしまったばっかりに、その後実際に問題が発生したときに裁判沙汰になるリスク。
ポイントは、自分の商品については、できるだけのらりくらりと明言を避け、取引先については、きちんと稼働保証書を取ること。
(誤) ホームリスク
連日深夜に及ぶ残業・休日出勤。とどめは、年末・年始の会社への泊まり込みで家庭(ホーム)が崩壊するリスク。
2. 与信リスク
(正) 取引先が、2000年問題に対応していなかったために倒産して、貸付債権が焦げ付くリスク。与信先については、2000年対応状況を調べて、遅れているようであれば、早めに回収する等の対応をとる必要あり。
(誤) メキシコ・ギリシャなど、地殻の変動が激しい地域において、2000年に向けて余震が続くリスク。
3. 流動性リスク
(正) 上に述べた与信リスクを気にして、年末近くなってくると、誰もお金を貸しだそうとしなくなることから、借りたくても借りられなくなるリスクがある。
(誤) 社内融資を枠一杯まで借りていて、最近の給与カットで生活資金が枯渇し、首が回らなくなるリスク。40歳を越えてから住宅を購入した人たちに多く見られる。
4. 市場リスク
(正) 市場取引(証券・資金・為替など)において、決済が2000年問題でうまくいかないかもしれないと考えて、年末に向けて、取引を絞る業者が増えてくる。この結果、市場の取引ボリュームが減ることから、値動きが荒くなり、在庫を持っている場合に評価損を抱えることになるリスク。
(誤) 35歳を過ぎると、転職先も少なくなり、自分の市場価値ががくんと落ちること。
5. 評判リスク
(正) 「あの会社は2000年問題で苦しんでいる」という噂が立った瞬間、資金調達が困難になったり、通常の取引もキャンセルされたりして、営業が成り立たなくなることから、世間に正しく状況を開示しないと危険ということ。
(誤) 2000年問題に疲れて、最近突然つまらないだじゃれを電子メールでばらまいたり、ホームページに載せたりし始めて、「おかしくなったんじゃないの...」との風評が立ち、人格まで疑われ始めてしまうリスク。
6. 2004年問題
(正) 2000年のうるう年がすぎても、引き続き要注意日がいくつかある。
2000年10月10日 => 2000年で、初めて月も日も二桁になる日。(全体で8桁。これと同じ理由で、2000年1月10日も初めて7桁になる日として要注意日の一つ)
2000年12月31日、2001年1月1日、2004年2月29日など。
(誤) 2000年になった瞬間、職を失うおそれから、上記要注意日を必要以上に誇張し、仕事の確保に走る人がいっぱいで出て来る問題。
帰ってまいりました
at 1999 11/16 08:00 編集
「お休みします」という、掲示板を読んで妻Rが言う。「これじゃ、この4日間はいませんから、泥棒に入って下さいって言っているようなものね」
確かにそうだ。匿名で、かつ海外からこのページを運営しているから良いようなものの、気をつけないといけない。
イタリアにいた時、留守番電話の件で注意されたことがある。
日本人は、留守番電話の中で、名乗る。「はい、こちらは、XXXXです」と名乗る。これにより、(在宅かどうかを確認しようとしている)泥棒は、ちゃんと狙った家に電話していることを確認できる。
イタリア人は、「こちらは、XXX-XXXXです」と、名前の代わりに電話番号を吹き込んでいる。
ある日本人は、「こちらは、XXXXです。XX日からXX日まで、旅行で留守にしております」と、留守番電話にいれておいて、きれいに泥棒にやられたそうだ。
また、ロンドンであった学生さんは、日本に一時帰国している間に泥棒にあったのだが、空港までのタクシーをアパートに呼んだ際、運転手に「海外旅行か」と聞かれて、「久しぶりに、日本に帰る」と言ったことが、泥棒に入られた、唯一思い当たる原因だと言っていた。
気をつけないと。
ワイヤー・ウーマン、旅先でファイヤー・ウーマンに変身
at 1999 11/17 05:04 編集
遅い夏休みの目的地はブダペスト。すっかり観光シーズンをはずしていて、ホテルも飛行機も安かった。(そのかわり、とても寒く、夜は4時頃から暗くなり、あまり町中を見て歩けなかった)
ブダペストの名物の食べ物はパプリカである。唐辛子の一種だ。
食事に赤い色合いをつける時に振りかけたりするし、ピーマン肉詰めみたいにして食べることもある。
レストランでパプリカが食べたいといったのだが、季節はずれだと言われた。もちろん、粉末を使って、赤味を出したスープなどはあった。
二日目の夜、ホテルの近くのハンガリー料理屋に行った。妻Rは、地元の名物グーラッシュを頼んだ。
グーラッシュの上にのっかっていたピーマンを食べた次の瞬間、妻Rは「辛いー」と叫んだかと思うと、コップの水をゴクゴクと飲み始めた。ピーマンと思ったのは、実は強力唐辛子だったのだ。
夫Tも自分の皿に載ったいた強力唐辛子を3ミリ四方に切って食べてみたが、ものすごく辛い。妻Rはこれを輪切り一つ丸々食べてしまったのだ。
彼女にとって不幸だったのは、
1. 上あごの内側の矯正のワイヤーに唐辛子が引っかかって、飲み込もうと思っても飲み込めなかったこと。
2. 矯正のワイヤーで舌が傷ついていて、辛さに敏感になっていたこと。
である。
夫Tの分の水を飲み干した後も、妻Rはまだ火を噴いていた。
テレビっ子
at 1999 11/18 06:23 編集
私はテレビっ子である。これは、子供の頃に、テレビのチャンネルが3つしか無かったことの反動かもしれない。(現在でも福井では4つしか無い。NHK、NHK教育、福井放送、福井テレビ。妻Rは、福井のテレビコマーシャルは、画像が動かないと言って笑いものにする。今どき、映画館でも、こんな紙芝居方式のコマーシャルは流さない)
現在の家でも、ケーブルテレビでたくさんチャンネルが映るので、次から次へと忙しくチャンネルを変えていく。
旅行に行ったときは、まずホテルの部屋のテレビをチェックする。
ケーブルか、衛星か、エッチテレビは映るか。
それぞれのお国柄が出ていて、テレビはおもしろい。
今回のブダペストでも、ホテルが割と良いホテルだったことから、チャンネルがいっぱいあった。ハンガリーは言うまでもなく、ドイツ(RTL、SAT)、イタリア(RAI Uno、RAI Due)、フランス(TV5)、オーストリア、イギリス(BBC、Sky News)、その他(CNN、MTV)。日本語放送のJSTVもあった。(そして、エッチチャンネルも2局あった)
ここで、異変が起きた。普段テレビにほとんど興味を持たない妻Rが、なんとJSTVのせいで、テレビっ子に変わってしまったのだ。
「ぼんやり聞いていても、内容が頭に入ってくる」そう言って、彼女はテレビのリモコンを手放さない。
NHKの朝の連続テレビ小説「あすか」から、「おかあさんといっしょ」、歌番組、バラエティー番組、ニュース。毎晩、夜中一時の放送終了まで見続けていた。
妻Rがお風呂に入っているのをチャンスにと思っても、彼女はバスルームにあるテレビのスピーカーの音を大きくしたままお風呂を使うので、そこにあえぎ声を流すわけにはいけない。
いつもは、妻Rが寝静まってから、こっそりエッチビデオチャンネルをチェックする夫Tは、今回は先に寝てしまうこととなった。
KDD その1
at 1999 11/19 05:39 編集
学生時代にKDDで2年間国際電話のオペレーターとして働いていた。
通信の秘密を保持するため、バイトではなく、正社員としての採用だった。(源泉徴収票には「勤労学生」と表示される)
欧州・米州は既に直接のダイヤル通話が行き渡っていて、時間が夕方から夜間と言うこともあり、台湾・韓国向けの指名通話・コレクトコールが中心であった。
入社後の研修で、中国語と韓国語の交換用語集の授業が15時間ずつあった。
「我是東京國際電話局」などと、練習していたのだ。
耳のわりと良かった学生Tは、発音が非常にネイティブに近かった。(交換用語しか覚えなかったが、発音はきれいだった。)
その東南アジア系顔つきから、中国語をやっていたときは「本当は中国人じゃないの?」と言われ、韓国語をやっていたときは「本当は韓国人じゃないの?」と言われた。
フランス語で取り次いだときは、「本当はフランス人じゃないの?」とは誰も言ってくれなかった。
(ベトナム系のフランス人も多いと思うが。)
2000年問題担当者の悲劇 23
at 1999 11/20 05:07 編集
当社のメッセンジャーは、最近では2000と書いてあると、郵便物でも、ファックスでも、たとえそれがM副社長宛てになっていようと、Q社長宛てになっていようと、全部僕のところに持ってくる。
「2000年を迎えるこの年末年始は、スイスでスキー」などという、ホリデーのパンフレットまで持ってくる。
行けるわけないじゃないか
妻Rの策略
at 1999 11/20 17:27 編集
妻Rに14年間おもちゃにされていたとわかったのは、今年の夏だった。
最初に出会ってからの14年間に、いろいろなことを決めるのにジャンケンをした。
寒い冬にクリーニング屋に行く人を決める場合とか、消し忘れた電気を消しに行くのは誰かとか、そういうたわいのないことを決めるのに、何度も二人でジャンケンをしたのだが、僕がほとんど負けていた。
夫T「本当に僕はジャンケンが弱い」
妻R「そうね、だから他の人とジャンケンで物事を決めようとしちゃだめよ」
そういうわけで、この14年間、家の外ではジャンケンをしないと言う教えを忠実に守り、その一方で、「今度は勝てるかもしれない」との誘惑に負けては妻Rに挑み、使いっ走りをする羽目になっていた。
今年の夏、妻Rに聞いた。
夫T「どうして僕はジャンケンに勝てないんだろう?」
妻R「だって、あなたは「ジャンケン」と振りかぶったときに、次に出す手の形が決まっていて、それがそのまま出てくるから、私はそれを見て勝てる手を出しているのよ」
夫T「それを知っていたのに教えてくれなかったの?」
妻R「だって、教えてあげたら私が勝てなくなるじゃないの」
夫T「......」
妻Rの策略 その2
at 1999 11/20 23:00 編集
そうは言っても、14年間には、僕が勝ったことも何度かあった。
そんな時、妻Rの反応は、
妻R「3回勝負!」(そして、だいたい僕は負ける)
或いは、
妻R「勝った人がクリーニング屋に行くか、負けた人が行くか、決めてなかった」(そして、仕切直しになって、だいたい僕はクリーニング屋に行くことになる)
種明かしをしてからは、妻Rは、昔ほどジャンケンをしようと言わなくなった。
2000年問題担当者の悲劇 24
at 1999 11/21 06:22 編集
いよいよ2000年が近づいてきた。
これまで、会社の人や、友人に、年末に向けて食料・水の備蓄をするようにと勧めてきた。
気がついたら、ロンドン市内日本人向けのお店から、カセット式ガスコンロが売り切れていた。
(ガスの供給が止まるかもしれないことから、調理用にカセット式ガスコンロを買っておくもの)
うちのアパートは、そもそもキッチンにガスコンロが無い(電気の調理器のみ)ことから、ちょっと焦っているが、ひょっとしたら、単に年末・年始の休みに、家族で鍋を囲もうと考えた人が殺到しただけかもしれない。
KDD その2
at 1999 11/21 23:20 編集
研修では、いろいろなことを教わった。世界地理や、通信技術も教わった。
通信技術の中では、NTTの交換機の種類なども習った。
通信回線には、主に衛星と、海底ケーブルがある。当時(17年前)、KDDの海底ケーブル敷設船はすごいということだった。
韓国向けの通話は、衛星でもケーブルでもなかった。
山口県だったかのアンテナ2台から、韓国向けに電波を送り、それが空中でぶつかって、跳ね返ったものが韓国に届くのだそうだ。
今でもこんなことやっているのだろうか。
KDD その3
at 1999 11/28 04:40 編集
電話交換手だから、当然電話応対の言葉遣いの研修を受けた。県人会の寮で生活していて福井弁漬けになっていて、かつ、学校では目立たない学生だった僕に、標準語を教えてくれたのはKDDだった。(感謝、感謝)
でも、当然言葉は丁寧語で、いわゆる学生言葉は教えてもらえない。いまだに妻Rとの会話は、どことなくよそよそしい標準語で交わされているのは、この為である。
お客様からの無理なお願いを断る際には、「XXXいたしかねます」などと言っていたが、普段の生活では決して使わない言葉だ。
回線が悪くて、お客様の声が聞こえにくい時は「お客様、お声が遠いようですが」
一緒に働いていたS君は「お客様、お耳が遠いようですが」と言ってしまって、「耳が遠いのはお前の方だ」と、怒られていた。(この話を書いても、通信の秘密の漏洩には当たらないだろう)
オペレーターは、つなぎ終わった後しばらくは、きちんと会話が為されているかどうかをモニターしなければならない。回線状況が悪いときなどは、割り込んで、接続し直さないといけないのだ。当然その間は、お客様の会話の内容が聞けてしまうので、それで通信の秘密保持の観点から、学生も正規採用とするのである。