メメント・モり
(死を想え)
この言葉は、ペストが蔓延り、生が刹那、享楽的になった中世末期のヨーロッパでさかんに使われたラテン語の宗教用語である。({メメント・モり」 藤原進也 著より)
死を真剣に想うことは、真剣に生きていることの証なのかもしれない。
末期ガンに冒された人を知っている。
彼は、自分のこころに整理をつけ、自分のことよりも残される家族のことばかり考えている。
はじめての入院先では、墓の広告ばかり眺めて退院するとすぐ墓を買う手続きをした。
一日3本の注射をしている。
それでも仕事を辞めることなど頭の片隅にもない。
立っている間は、精一杯生きる覚悟をしているのだろう。
その人を身近に見て想った。
生きよう
たとえ何があったとしても
這いつくばってでも
生きる決心をした
真剣に生きること。その資格があってこそ、死を言葉に出来るのではないだろうか?
こんにちは。
こんばんは。。かな?
なぜ こんなにも こころふるわす言の葉が、ここにあるのかなぁ。
たぶん 同じではないけれど、同じような きもちで、生きているからなのかしら。
おやすみなさい。
同じ方向を見て同じ風景を見ているのかも知れませんね。この記憶は僕の生き方を根本から変えました。今この瞬間にこの世界に存在している不思議。まるで魔法のようですね。
貴女は最近どんな風景を見ましたか?
僕は青い空を眺めて煙草を吹かしています。
虹のはじまりは どこなのだろう?と
ここがこころ落ち着くところだがら、まよいこんでも、お返事いただけて、とても嬉しいです。
最近は雨ばかりでなかなか青空はながめられないけれど、、そろそろ。
ありがとう。深夜2時に貴女が青い空を眺められる朝を願います。
まよいこんでいるのは僕です。
寂しいと
思うことは 恥ずかしいのなら、
私は なんとも恥ずかしい。。
でも たとえどんなに恥ずかしくとも、
生きて さえいれば。
きっと生きてさえいれば。
っていうか 生きなくちゃですよね。
生きる為に、
おやすみなさい。
それからだいぶ時間がたったけれども僕にも少しだけその意味が分かるような気がします。
知らないことを訊かないことが恥だ、と誰かがいっていましたよ。でも自意識が過剰でいまだに人に「何故?」と素直に訊けないんですよね、僕。
ぐっすり眠ってくださいね。
良い夢を・・・。
気がついたときには、
遅かったりするん
ですよね。
後悔なんて
しっぱなし
でも 今の自分は、
過去の自分が、
導いた 私
こんな 私を、
私が、好きにならなくちゃ…
誰も 好きになんて
なってくれない。
せめて、自分を好きで
いられる 私でありたい。
明日はきっと。
おやすみなさい。
あの時の夏の日も暑い日でした。
僕は僕でいられるのかな?
いつも仏壇の前で問いかけているんですよ。
無神論者で精神科医だった父に・・・。
自分が自分でいられるのかの 問いには 答えを得るコトは できるのでしょうか。
私はずっと 探し続けるだけ の 私のような 気がしてきました。。
そうして100万回生きて100万回生まれ変わる存在なのかもしれませんね。
世界と魂のことを忘れずに今日を過ごして生きたいです。