自分に都合の悪いことは書きたくない。でも書かなきゃブログじゃない。
読みたくない方は読まないでください。
もうニート1年になるってのに、こうして洵洵と悩む。石光真清の一連の後半みたいに、重く確実に生活の範囲が限られてくる。それが静かに着実にすすむ。 私くらいの年になってまだ親が就職先に意見するのはマトモだろうか。マトモじゃない。だからといって、その反対を押し切って自分で決めた就職先に勤め、そのご何かのトラブルに巻き込まれ、すぐにやめた場合は、私はその親に合わせる顔があるだろうか。
生きにくい。こういうときに中島義道を読みたくなるが、読めば読むほどその苦難に自分がはまり込んでいくようで読みたくない、と思う自分もいる。だから、読まなかった。
そう。自分は自分の内の声に忠実である、つもりなんですけど、自分のどこかに、他人には見えて自分には見えない落とし穴があるのではないか、と思う。
それは面接など受けると感じる。面接官の視線が、自分のどこかを照らして見抜くんですね。そして、話し続けているうちに、面接官の一人はもう、机の上に腕組んでじっとうつむいたままになっちゃう。そして、もう一人がずっとしゃべり続けてるんですが、その内容はとりとめない無駄話、って感じでそうやって面接が不合格になる。
じゃ、その落とし穴ってなに、ってなるとわからない。教えてくれる人もいない。
一方で、たとえ何かの仕事に就くことができたとしても、どこでも大体同じ、だと思ってしまう。こう捉えることが悪いのか。こう捉えることは素直な観察の結果じゃないのか。わからない。時間がすぎていく。
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