月のたび

日々の日記

年長者の「思いやり」はエゴの味

2015-09-27 21:37:42 | ひとこと言わせて!
人は自分の欠点が見えない。そこで、ある時、ある年長者がある若者を見て、自分の若い頃を思い出し、手助けのつもりで親切を施そうとするが、これは、多くの場合失敗に終わる。

なぜか?

人は自分の欠点が見えない。そして世間の年長者はより多くの尊敬を受けるたい欲望がある。その欲を満たすために、自分にごまかしをすることが往々にしてある。

人は心で接しなくてはならない。人である限り、相手の人柄を見抜くために、心で人を見抜く。

そうすると、なかなか年長者の中にはエゴイストが多い気がする。

こういうのは、思いやりや親切ではなく、おせっかい。

人として、お互いが、歳の差を越えて接するにはどうしたらいいだろう?

そう思って、年上の相手を見上げたとき、浅ましい心が見えてくる気がする。「教えてやる」っていう立場に居座って、見下す態度の不遜な感じ、そういう付き合い方、される方は、辛い。

具体的に言えないけど、そう思っている人多いと思う。

夜分書きました

2015-09-08 01:32:34 | 今日の出来事(重要性低)
東京五輪のエンブレム問題が気になってた今日このごろ。

私はデザインとかセンスには無頓着なので、よくわからないです。でも、そういうよくわかんないからこそ、芸術業界全体的によくわかんない空気みたいのが、どうもあるらしい。

有用無用で言うなら、服は着れればよいし、建物は最低限の用途を満たせれば私は満足。建築デザイナーさえ無用に思える。

そもそも、デザインや意匠みたいなのは、いわば、一応の機能を満たせた上で、カッコつけるための要求みたいなものだろう。

てことは、贅沢な人々のすることだろう。

そうだとしても、誰かの作品マネたとしても、その人の独創性がないとダメだな。正直、佐野さんのエンブレムはカッコいいと思わなかった。招致の時のエンブレムをなぜ使わんのか、結局よくわからないままだ。

一方で、今回の騒ぎで関係者が自殺しなくていまのところほっとしている。後味わるい印象は残したくないから。

それに、バッシングしすぎるのは、いつか自分らに返って来て何らかの形で仕返しを受けるものだ。それが怖い。

私も他人のこと、厳しく言えません。