月のたび

日々の日記

現実が大変なときほど、「いいことありそうだ」っていう前兆を、敏感に感じ取ろう

2018-02-26 22:02:54 | 裏路地(暗)

今日も大変な仕事だったな。例年2月は暇が多いので、仕事に恵まれでラッキーなことだが。

やっぱり、どんな仕事でも、準備と予習と復習をちゃんとやらないと出来が悪い。それが、今年に入ってはっきりわかってきた。今年の2月ごろから、自分の身の回りに予想外の災難がある。そういう変なこと信じないけれど、いままでの数年が上手く行き過ぎたのだろう、と思って、今年はそこそこの仕事の水準を保つ代わりに、じっくり仕事の準備と下調べをすることで、『深める年』にしていこうと、思い始めたころだ。

仕事中に「何でこんなに大変なんだろうな?」って自問することが何度もある。でも、よく考えてみると、単純な話で、準備が足りない、下調べが疎かなんだよ。

けど、大変なのは変わりないけど、どういう考えで仕事をするかって、とっても大事と思う。いままでだったら、勢いでやってこれた。けれど、仕事に慣れてくると、それが当たり前だったり、うまくいかないこともあるので、マンネリしてくる。でも、それがチャンスだ!っていう風に思えることが大事と思う。嘘でも、根拠がなくても、前向きな思考で自分を洗脳することが、本当に幸せを招きよせる。

大変であればあるほど、たとえ嘘でも、妄想を逞しくして幸せに縋り付く、これが私には足りないなあ。

すごくさめてる。冷たい現実を淡々と受け入れる、受け流すのが流儀みたいになっている。だから、そういう罠から抜け出せないんだ。

けれど、自分で仕事を始めて、一応ここまでやってこれた訳なので、無理なことじゃないので、自分の本当に好きなこと、の妄想でもいいので、しがみ付いて夢みながら頑張ればいいと思う。大変であればあるほど、これが、打開の切り札だと思うのよ。

それで、会話のほうは、今日は工事現場のガードマンと話した。「オレひとりだと、大変ですよー」って。そういう風に、することが、相手に対する気遣いや心配りになると思うし、人との上手な付き合いが特に大事なので。

今日はいろんないいことありすぎて、これじゃあ、これからが、楽しみだぜ、ってね。

暗黒の朝鮮半島の脅威

2017-09-18 20:20:30 | 裏路地(暗)

昨日は台風で、やっと仕事の忙しさが落ち着いて来たので、平河町の拉致問題の国民大集会に行ってきた。

初めての参加だったが、本当に行ってみてよかった。普段決してカンパしない私もこの時ばかりはしてよかった、と思った。

けれど、今時の普通の日本人は「拉致問題」と聞くと、政治的に微妙な問題だと捉えているようであり、拉致の被害者に心から同情しているやさしい心の日本人が多い一方で、いざ解決のためにどういう行動を起こすかということになると、「二の足をふむ」ようだ。

それを知って、私は自分の胸に問うたと同時に、どうしてそうなってしまうのか。日本人として、人として、どうしても譲ってはならないまでも失ってしまったかのような、今の日本の有様を思うと、心が痛んだ。

これが、日本人の弱点なのだ。

そして、朝鮮人はこういう日本人の弱点をよく知っている。だから、私たちが泣き寝入りをしなくちゃならないような、卑怯なやり方で、ゆすり、たかりをする。もちろんすべての朝鮮人がそうだとは限らない。けれど、かれらはそもそも外国人である。外国人であるからには、絶対に気を許してはならないと思う。付き合うにはそれなりのリスク覚悟で、自己責任で、ということ。

今の欧州を見ればいい。イスラム移民と難民に蚕食されて、レイプとテロが常態化してしまった。一度乱された治安を回復するには、その社会の意識を元にもどすのに大変な時間がかかる。朝鮮人の暴虐天国になってしまった終戦後の日本と全く同じことが、欧州の未来だというのはあまりに悲しい。

こういうことを見れば、人間を階級で区別するのはもっともな理由があると思う。それを差別と言ってただ非難するのはちょっと浅はかだ。人として当然備えるべきモラルさえ持たない民族や人はどこにでもいるので、彼らがそれなりに処遇されるのはしかたないこと。

今後の欧州の未来はあまりに暗い。

だから、今こういう世界情勢を見ると、朝鮮人のこれまでの暴虐を、日本人の連帯の力で食い止められなければ、いずれブーメランが自分たちに返ってくると思う。一人の日本人として、私はそう思う。同じ日本人が、朝鮮人の政府に拉致されたということを、今私たちは正面から受け止められないと、今後同じ目に自分が遭わされると思う。こういう危機意識がある。

だってそれだけ朝鮮半島は近くにあるから。

会場には安倍総理もいらした。この平和国家日本に危害を加える朝鮮人が存在することが不愉快だが、同時に私たちは日本人として、立派に社会のルールを守る国柄を捨てることはできない。だから、今の憲法がある以上、それをまもらなくてはならないのもよくわかる。本当なら、自衛隊の軍事力で解決できるという。けれど、国家のルールの憲法はやっぱり破ることはできない。これは辛い。

だから皆で憲法改正をしよう。私たちの将来を救うために。

「何もしたく無い」と言っていた中学生の姪

2017-06-07 20:04:53 | 裏路地(暗)
久しぶりにブログ書く。もう半年近く当ブログは更新していなかったので。

今は仕事で大繁盛。ただし、儲けていません。

でもいい。仕事をすれば、他の些細な悩みで悩む必要がないから。

仕事があるだけで満足だろ。

人生は短い。失敗は多い。

「テレビを見ていると人はバカになる。」というのは本当らしい。

今日も卓球とか将棋だのの少年少女が活躍するニュース。

ああいうのは、確かに結構なことだが、なぜか手ばなして喜べない気持ちがある。

なのに、テレビの中では必死に褒めちぎるのが、ちょっと見ていて、しんどい。

その理由はなぜかわからない。特に子役は好きになれない。台本通りにやらせてると思うと、人間らしく思えなくなってきて、冷めてしまう。

天皇陛下とかもそうかもしれない。無理することないのに、立場の求める役回りを、その方の人間としての自然な感性みたいなものを締め出すような、大変な事情があるのならば、すごく同情すべきと思う。雅子様とかに対しても同じに。幸せであってほしいものだと。

そういえば、眞子様の婚約の報道があって、その時もテレビのニュース嫌いだけど、見ちゃったんだが、小さいころの眞子様のエピソードを映像で見たとき、なぜか懐かしさが戻ってきて、よちよち歩きの眞子様みて、まるで、自分自身の思い出まで同時に思い出されたみたいに、遠く離れてしまった過去がきれいに蘇るんだよな。「あの時はああだった、こうだった」みたいなこと、当時だってそんなに興味や関心が強くなかったのにね。不思議だ。

だから、無理をするのじゃなくて、自然に、緊張感なく、皆が幸せであればいい。

どうせ世界的な選手みたいなものを目指している人達は、3歳4歳ごろから、一筋に何かを覚えさせられるわけでしょ。そりゃ天皇陛下だって同じわけだろうが。それが本人にとって本当に幸せかどうかは別だ。

そうである中で、途中ですべてをやめて、「何もしない時間」を持つことも大事である、ということに私はこのごろ気がついた。これがマイブーム。

そのときの自分はどういう自分だろうか。これが仏教というものかなと。


自分を信じることができるか、がコミュニケーションには重要

2016-11-09 20:09:17 | 裏路地(暗)
自分を信じることができるか、がコミュニケーションには重要。

このごろ、仕事がうまくいってない。

それは、コミュニケーションが足りない気がする。

その原因は今の自分を信じられず、誤魔化していて、その状態で人と接している為だと、気がついた。

だから、人を信用できないんだな。

自分を信じられない人間は、人を信じられない、ってこと。だから、付き合いがうまくないな。

これから、私はどうなるのだろう?不安は生きている限り、あります。

つづく

自分のコメント読まれるっていいものだ

2015-10-27 15:45:40 | 裏路地(暗)
最近毎晩ライブチャットに熱くなり、配信してる人たちも寝る間を惜しんで、ある意味必死で配信している、ということがわかってくると、私も俄然、『負けられない』って思う。競争じゃないけど。

単なる普通の女子のチャットでも、画面の向こうに「実際の人がいる」って思うと、『これは負けられないぞ』っていう気持ちになる。

人生は戦いだから。私はどうしたらいいのか。ボンヤリしてたらダメ人間になっちゃうから、だったら今から寝る間も削って仕事や勉強に精を出すんだ!と言い聞かせる。

そうして長時間でもないけど、勉強で疲れるし、夜も更けるのでチャットでも見て楽しむか、と思う。

そうするとなかなか話が楽しいし美しくて素晴らしくセクシーだったりすると、私の内なる本能的なものが目覚めてくるのが、それはそれで興奮してくる。

けれど、ある女の子の放送で、そこにはイジメで悪口コメントさんざん撒き散らして、それを楽しいことだと思い違いしてる者がいた時に、見ていて悲しい気持ちになった。

その女の子はちょうど、私が子供のころに、イジメたことがある女の子に似ていた。その時のちょっと困ったような顔つきが似ていた。そう思うと、どうしても、その女の子の味方をしなくちゃ気が済まなくて、でもどうしたかなあれから。

たとえ、相手の顔や人格がわからない匿名のインターネットだとしても、因果はその人にどこまでもつきまとうものです。だから、決して悪口はいけない。いずれ自分に返ってくるのだから。

あのいじめられてた女の子は、私にとってすごくかわいく見えた。それまで、ハイレベルな女子のチャットで楽しんでいた私なのに。というか、そもそも女の子はけなされるほどかわいくみえるものだ。何度も何度もけなされて、それでも努めて明るく前向きにいたい、泣き顔でも頑張ってる姿。自分自身を超えて輝き始めるものが必ずある。どんなに普通の平凡な女子だとしても。

だからがんばるんだ!負けるな!

思い通りにならなくても幸せそうな笑顔

2015-05-18 22:25:44 | 裏路地(暗)
今日いいことがあった。女子のお客さまがかわいかった。思わず雑談してしまった。そういう幸せがあった。

これには伏線があって、週末にたまたまインターネットでたどり着いた素人の無修正のエロ動画を喜んで閲覧したところ、その中の女の子があまりにも私の好みにピッタリで、その、「あまりにも美しすぎる」のに、「やることやってる」ために、かえってがっかりな気持ちになってしまった。

もう、リアルな真実をありのままに見せつけられた気がして、もう、やり場がない、というか、行き場がない、逃げ場がないような、そのように、私から遥かに違いすぎてる世の真実を。

こういう事実をどのように受け止めればいいのか。それから思考は停止して、立ち止まると、「真心はいつまでも輝く」みたいな有りがたい言葉が遠くに見えてくるようで、「今なすべき事をしよう」と思った。

そんな心理状態で今日を迎えてみると、お客さまの女の子の笑顔がかわいかった、その事だけでうれしい。

笑顔というと、昨日の住民投票で大阪の橋下さんは結局破れた。私にとっても残念な結果だった。橋下さんならいい政治ができるだろうと、現状を打ち破る、ぶち壊す政治改革を期待していたので、ちょっとガッカリでした。けれど、今朝のニュースで明るく朗らかな笑顔がとても印象的で、それを見たら私の考えも変わった。それに「政治家辞める」宣言もキッパリしててよかった。こういう笑顔を見習いたいものだ。自分の思い通りにならなくても、笑顔でいられるのは幸せだ。どうせなら、幸せな生き方をしたいもの。

今回の投票結果は、ガッカリではあるけれど、仮に橋下さんが独裁的に改革していい政治が出来た場合でも、民主政治にとってはマイナスでしょう。

なぜなら、有権者に危機感が無くなって、ますます政治に無関心になるに決まってます。だから悪い政治家に政治をさせればさせるほど、有権者は良い政治家を求めるために投票所へ行く。ということは、たとえば、桝添都知事でいいのか悪いのか関心を持つわけです。

そう考えると、いい住民投票でした。橋下さんお疲れさまです。残り僅かですが頑張ってください。

道徳教育

2014-03-15 07:25:18 | 裏路地(暗)
道徳の教科書を読んだ。

道徳教育の目的って、「この世に闇がある」ってのを生徒に教えることだと思うんです。

その闇とか深淵はこの世の、どこかわからぬ場所の話じゃなく、私たちのすぐ身近に、いつでもあるから、飲み込まれないように気をつけて生きましょう、って話を教育として行いましょうね、というのが道徳教育です。

私の力じゃそのあたりの理屈をうまく、論理的に説明するだけの能力ありません。けれど、そういう事だと思います。

たとえば、今の学校では、いじめは無いことになっているし、先生が生徒に暴力振るうのも許されない。子供たちは快適な環境で授業に集中出来るようになってる。けれど、実際のところ、どんな実感を以って、子供は日々生活しているんだろう。私の子供のころは、今から思うと、いいこともあれば、悪いこともあったし、一概には言えないけど、遠足で自分だけ一人でお弁当食べなきゃならない切なさとか、トイレで用を足せないような空気とか、どんなに頑張っても、友達を作れない辛さの、何と虚しく、苦しく切ないことか。そういう苦しさ、切なさを噛み締めた。

「そういうのって何だろう」と問うても教えてくれるものは無い。それって、とっても、辛いことだと思いませんか?

そういう時に、世間にはウラとオモテがあって、それにもかかわらず、「キレイゴトで、オモテの世界だけで生きなさい」みたいな、ムリを要求するのが、道徳教育を無くした今までの時代でしょう。

暗闇や深淵から逃れるために、ウラとオモテがあり、タテマエとしては、「仲良く楽しい学校生活」を演じる子供たちと、ウラの世界の事柄を、「見てみぬふりをする」私たち、では悲しいよ。でも実話。

ニセモノの平和を信じているフリをするモンスター陣営と、そのために葛藤して苦しみ自由に生きられない人々がいる。

悲しいけれど、「われは戦後民主主義の児ならずや。」今こそ終われこの時代。

パソコン完全故障

2014-02-18 21:37:16 | 裏路地(暗)
今日でパソコンが完全にダメになりました。

ところでダメになったって表現は森田童子僕たちの失敗の歌詞にありましたね。

あの曲を聴くと、昔、仲の良かった友達を思い出します。中野区の細い路地を入って行った先に、銭湯の大きい煙突が有り、その隣の半分崩れたような安アパートに彼は住んで居ました。そこで深夜の中央線の音を聞きながら、大好きな学問の話を暗い部屋で語り合ったのは懐かしい思い出です。今は今なりに生きている私と、彼の悲しいその後…。

今、私たちが生きている時代も、ある種の懐かしさ、叙情と共に思い出される日が来るでしょうね。その時は、どんなメロディーが私たちの中で流れているでしょうか。そういう歌は世につれ、世は歌につれではなくなっちまってる現代ですね。私たちは忙しいんだね。

明日はチラシ配るぜ!けど、パソコン壊れて、八方塞がりダメだこりゃと絶望と隣り合わせ。でも、希望を無理やり作ってでも、やってる!私の夢はデッカイよ!欲張りであれば有るほど、実現するのは大変なんだからね!だから人一倍苦労するのも仕方ない。けれど、周りを見回せば、みんなそれぞれ大変なんだよ、自分だけじゃない。未来は明るいがんばろうぜ

思い出

2009-04-12 21:11:44 | 裏路地(暗)
今日、亡き友の下宿のあった場所へ行きました。もう取り壊されて10年以上になります。中野区の狭い路地を通り抜けた先の、古い銭湯の巨大な煙突の向かいの中野キャッスルという建物でした。N君はそこに住んでいました。その3階の一室で、彼の好きな社会学や社会と環境問題の話や、身の回りのささいな事柄までも学問的な視点でとらえ、目を輝かせながら夜更けまで話し続ける彼の声は今でも懐かしく思い出されます。夜中の近所の雑踏や、電車の通る音や、窓に映る遠くのネオンの明滅を頬に受けて、じっと熱心に考えを述べる彼には神秘的な学問の魅力を感じました。それと同時に、ある事柄で互いの考えた結論がたまたま一致することがあると、そのことだけで電話で2,3時間も話ができるくらいの不思議な縁を感じ、偶然にばったり出くわして運命を変えていくような不思議な共通点が魅力でした。

もう会えないのは大変残念です。同時に、彼が亡くなったという実感があまりなく、ひょっとしたら偶然ある街角で出くわしそうな気がします。

本当にこれまでたくさんの貴重な思い出をありがとう。
わたしは君の事を忘れない。

予期せぬ悲しい出来事

2009-03-22 19:26:54 | 裏路地(暗)
先週、大学時代の親友が亡くなっていたのを知った。実家に戻ってクルマのディーラーに就職したとばかり聞いていた。でも彼じゃ大変そうな仕事だな、とも思っていた。こうなるなら電話で連絡とっておけばよかったのに。聞いた話では、もう亡くなって一年半になるそうだ。それでもご両親がそのことを伏せていたのには、彼の本心もあるのだろうか。

こんな春の夜中に都心の下町を歩き回ったり、ボロアパートで一晩中、なんでも分け隔てなく語り合った日々が懐かしい。

学の志を抱き、煩わしい日々に追われ、そうして互いに生きていた。

今、私一人思うに、今の時代って、生きるの大変だ。みんな、「大変だ」と思いつつ、それをあえて口に出さずに、大人しく生きている。

このブログで何度も問うてきたが、「なんのために」っていう、生きることに対する疑問が、今ではだんだん氷解しつつある。

自分探しは終着点に近づきつつあるのか。

不謹慎だが、もし、その親友が私の前に現れたとしたら、死ぬ時の心のありようを聞いてみたい。だが、もう彼とは話はできないわけで、その質問はできない。できないとわかると寂しく感じる。

出会って以来、いろんなことがあった。そして、彼は途中で倒れた。

突然だけど、森田童子の歌を聞いて、仲良かった大学時代を思い出した。私は大学紛争世代じゃないし、左翼学生でもなかった。その思想の人々にあまり同情を感じない。けれど、思想は違っても、共有する気風や空気はなぜか懐かしい。森田童子の歌にはそういう空気があると思う。そういうのって、伊藤桂一の軍事小説にもある。

自分探しって切ない。