月のたび

日々の日記

昨日の仕事のつづき

2015-04-29 21:08:20 | 今日の出来事(重要性低)
今日は昨日の仕事のつづきで、昨日あれだけ罵られただけあって、私は朝から気合い入りっぱなしで、現場を駆け回り、大活躍でお陰で名前も覚えてもらった。

最近このような勝ちパターンが定着しつつある。すなわち、最初は全く未経験の仕事の依頼があって、調べてやりはじめると、困難にぶつかり、ピンチになって、でもとにかく熱心に取り組む内に、予期しないところから解決の糸口が見つかる。

自分の捉え方が全て

2015-04-28 21:17:03 | しみじみ(滋)
今日いいことがあった。

今日はどぶ浚いと除草の仕事で、お客さんの一人が私の仕事の出来について「ふざけんじゃねえ」的なことを陰で言っているのを耳にした。そのお客さんは近所の評判は良くないという。そして、私が面と向かって対応した時には、別に悪いような人ではない印象の方だった。

けれど、その陰口が聞こえてくると、こっちもびっくりするよね。だって、予算と時間の関係、側溝がかなり汚れているということがあり、それなりの仕事で、なおかつ私にとっても、お客さん達にとっても両者が得をするような施工をこっちは心がけているわけです。

けれど、10軒のお宅の共用の側溝の掃除のため、一軒当たり3,000円の出費であり、こちらはもう、明日を含めると2日半もかけているのに、そんな風に悪しざまに言われてもね…。

けど、落ち着いて考えてみると、誰であれ、お金を払う以上は、少なくとも自宅に面する側溝は『よくきれいに掃除してもらいたい』と思うのは当然である。

なのに、私はその区域の側溝を全体としてきれいにするとしか考えていなかった。

『各家3,000円の負担は平等なのだから、平等にきれいにしないと不公平だ!』とお客さんが考えるのも当然だろう。そのあたりをお客さんの立場やものの見方を踏まえれば、『こういうこと注意しなくちゃね』と思えれば、次につながる。

こんな風にあけすけにブログに書いてるうちに、だんだん気にならなくなってきた。

「この世は全て修行である」という説が正しいならば、今日のその出来事は次につながるきっかけなんだろう。次に来るべき、私を待ち受けている何か、は何であれ、今を私がどのように受け入れるかで、未来は変わる、と信じている。

このような時に私は上祐史浩さんを思う。かつて、テレビに出て必死にオウムの弁解をしていた、という過去を、上祐さんは心底、悔やみ、恥じ入り、出来ることなら死んで詫びたいほどの消したい過去であると思う。そして今なお公然と「死んだ方がいい」くらいの罵倒のされ方をする。にもかかわらず、どうして彼は、あんなに立派に泰然と自分の主張ができるのか?そういう彼の逞しい根性、当然な自責の念を抱いてるはずなのに、静かで打たれ強い精神、を出来ることなら見習いたいものだ。そんな風に思いながら、彼の動画を見ていると、流れるように饒舌を楽しむように、心地よさげに人の生き方を説く上祐さんを見ていると、共感できるし、幸せな生き方ってのがわかるような気がして。

だって、「この世は全て修行である」ならば、今の私みたいに、辛い思いをしなくちゃならないものでしょ。ラクしてハッピーなことが向こうから自然に私のところへ寄ってくるわけないだろうよ!あるわけないよ!そんな自分だけに都合のよいこと!というのは正しいに決まってる。こういう意味で私は、村上春樹の小説は大嫌いです。好きな人もいるので考え方の違いにすぎませんが。逆に、「どこまで行っても恵まれないことのリアリズム」の末に見いだされる何かを掬い取れるような山本周五郎や下村湖人、山本有三みたいな作家には言葉では伝えられない輝きがあります。そういうものは今では流行らないでしょうけど。

でも、まだ私には明日がある!明日一日でしっかり掃除やれば、周りは評価してくれるかも。それに、30,000円の予算で2.5日かけるくらいなら、来年またその仕事の依頼があったとしても、断るだけのちゃんとした理由になる、と思う。だから、明日は一生懸命やらなくちゃならない。そうしてはじめて、自分の中で納得できる。てことは、来年またその仕事を依頼された時に、『請けるのか、断るのか』の判断を私が主体的にすることができる!これは大きいよ!だって、自分の中で「やり尽くした!」という実感を得られるならば、その後どんなことになろうと、後悔は無い。後悔のない人生こそ私の求める生き方で、そのためには、たとえゆっくりであれ、後悔せぬ仕事の仕方と生き方を少しずつでも積み重ねていくことだから。それこそ、「心の平和」ってものだろう。

このゴールデンウィークの後に私の友人のお父上にお会いしたいと思っていて、その友人は大学時代の親友で病気になって自殺してしまって、その友と以前、こんな春の晩に「心の平和ってどうしたらえられるのか」ってことについて夜半語らった思い出があって、その頃から私は精神的に何にも変わってない。けれど、今、心の平和への道のりは見えている。それは、いくら頭を働かせて考えても見つからなかった。自分が仕事をして、働いて、それに夢中になっているうちに見つかるはずのもの。それをその友に伝えたいと、仕事の都合で今まで長らくご無沙汰になってしまった遠方のお父上に、初対面で何話そうかなとか時折悩みながら、こんな仕事をしているんです。

明日は仕事だ

2015-04-15 22:40:28 | ひとこと(重要性無)
明日は久しぶりにまともな仕事があり、うれしい。

それだけじゃない。

まともな利益を取れる仕事だから、なおさらうれしい。

なぜかまともな利益を取れるかというと、仕事に慣れてきたため、自信がついたためだ。

だからこれは進歩した証拠だ。

でもまだ課題がある。

人の心をつかむのが苦手。

それは結局、自意識過剰だから、気安い付き合いが出来ない。だから人の輪ができない。

それを解決するきっかけやヒントを探してます。

ヒントはどこで見つかるかわからない。けれど、本気で探せば見つかるだろう。

ではおやすみ。

新しいこと始めるのって大変なんだね

2015-04-13 23:42:16 | 政治(・・・?)
昨日は統一地方選挙で、なんて低い投票率だろう。がっかりです。

日本中が現状の生活に満足なのかなあ?

変な政党や政治運動みたいなのがいて、政治の現場を混乱させてることに、無関心でいいのか。

いいわけないのに。選挙に行くひと少ないのは、私には理解できない。

けれど、政治とは別のところで、日本人の意識が、「社会における自分の在り方」みたいなのが、少しずつ変わってきてる気がする。たとえば、テレビカメラの前でちゃんと自分の意見をはっきり言える人が増えた。今回の選挙にしても、カメラの前で棄権した理由をちゃんと説明してた人がいた。

だからといって、今頑張ってる大阪の橋下さんに少しでも協力してやるくらいの温かさって無いのかなあ。それって、人として冷たい仕打ちだよ。

私が今の仕事をするに際して、大勢の人が協力してくれたことを思うと、「頑張ってる人がいれば、自ら進んで手を差しのべる」のが、本当に人間が人間らしく生きることではないか。ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために、って言うみたいに。

それがね、社会の無関心で潰されるのは見ていて悲しいわ。

美しい平成日本

2015-04-12 21:19:08 | しみじみ(滋)

先日、株価が久しぶりに20,000円を越えました。もう今年で平成27年だが、平成元年ころから株価が下がり始めて以来、やっと戻ってきたという感じですね。

平成以降に生まれた人たちは、好景気は未体験で、面白くない時代を生きてきたわけですが、今日私、ウォーキング中に気づきました。

平成を通して、日本が美しくなった。てこと。

昔のアダルトビデオなんて見てられないでしょ。正直言って悪いけど…。なのに、今のエッチな動画に出てくる女子たちのなんて美しいこと!エロアニメも同じことがいえる。エロが先駆けだったわけです。そして今なお、堂々先頭走者!既存のテレビに出てくる芸能人なんかより美しいし礼儀正しいって事実が大事な気がする。新しいところから、新しいものが始まるわけです。

なぜって、個人がどんなに頑張ろうと、給料が上がらないもの。日本国民全体が豊かになるために、一致団結できる時代ではなくなった、という事実を受け止めるならば、国家の景気を、自分ひとりの力で動かすことは辞めにして、自分ひとりの力で何とかして豊かに幸せになる道を考え、実行する方が効率的だろう。

そうするには、身の回りの小さなことから、「豊かさ」を追求することであって、その「豊かさ」ってのは、GDPみたいな数値では測れない、従来とは別の観点からの「豊かさ」に他ならない。そういうことを皆一人一人考えてきた時代がこの平成なんだろう。

というふうに考えると、この時代を象徴するのは、「不況」というよりは、「美しい日本」ってことだろう。

では、どういう風に「美しい」のか、というと、猥褻なビデオの中だけの話じゃなく、男も女も老いも若きも、自分ひとりで出来る程度の身の回りの「幸せ」を大事にする。具体的に言うと、男も女も「異性にもてたい」から格好良くする。そういう、自分ひとりでも実現できる欲望を大事にすることから始まり、外見だけカッコイイのでは、そのうち実際の性格の悪さがいつかバレるので、性格も良くしたい。性格を良くするには、普段から家族や友達にも親切に接する、というような普段の心がけが大事であり、そういう、平素の細かい行動の一つ一つを意識して自分を高める工夫を続けることによって、そのうち好い出会いもあるだろう、などなど…。そうなるともう、「人としての美しさ」の捉え方自体が変化してしまうくらいの力強い流れが社会全体に出来てきてしまって、最終的には「心」のあり方みたいなものを尊ぶ。そりゃそうだろう。社会情勢がどんなに辛くても、人はその中で強く幸せに生きてかなきゃ、そうやって幸せに生きるためにあらゆる事をやり尽くす奴が事実上、最も幸せに生きられるような時代が今だもの。ということは逆に経済成長することが本当に幸せなことなのかどうか、いや大事なんだろうけど、個人レベルで見た時、経営者と従業員、上司と部下、正社員と派遣社員、パートとか、内輪で限られたパイを分け合い、奪い合いをする。その時に同じ会社の中の人同士で、あまりカッコいいとは言えない陰湿な摩擦、上下関係を利用した力関係の政治みたいな醜い争いをするくらいなら、幸せじゃないでしょう。うまくいえないけど、ちょっと複雑なわけです。

まあでも、「自分の思い通りの人生って、あまりいいものではないかもね」と思う。なぜなら、人は満足すると、充足しちゃう。充足すると、それ以上の成長はなくなるでしょう。「今以上になってやろう!」ってガッツが生まれなくなる。だから、不満がちな今に満足して、静かに力強く、少しづつでいいから、努力を積み重ねる、ということが大事であるし、幸せへの道でしょう。

今夜はいろいろ書きましたけど、昼間は田舎道を歩いてきました。サクラが咲いてるかな、と思ったけど、もうほとんど散っており、そんななか、自由に、楽しく歩いてきました。自由に歩けば、普段思いつかないような面白いことを考えられます。写真もたくさん撮ってきました。


がっかりなニュース

2015-04-10 23:09:28 | ひとこと言わせて!
日本の高校生が韓国で集団窃盗したニュースにはがっかりですね。

早く退学して欲しいですね。いますぐ。

彼らの身勝手な行動のせいで、日本人が悪い印象もたれるのは確実なわけで、がっかりです。早い話が、日本人全体が窃盗集団にされちゃうの。そりゃ、誰にとっても悲しいことでしょ。

今すぐ私自身が問題の高校に出向いて、テレビカメラのまえで、国民に呼び掛けたいくらいですよ。どう責任取ってくれるのかってことを。

私は今まで日本人である、ってのを誇りにしてましたが、今日のニュースでその誇りを見事に潰されちゃったよ。

まあ、でも本当の愛って、相手に裏切られても、愛し続けることなので、こっちが好意を寄せていても、自分の思い通りにならないことは山ほどあるものなので、「仕方ない」とも思う。

国はもっと、道徳教育を教え込まないといけないでしょう。


楽しく生きろ!

2015-04-05 22:42:27 | 今日の出来事(重要性低)
今日は雨降りなので、家でパソコンの勉強してました。

わからないところ多いけど、悩みすぎると、先に進まないので、気合いと忍耐で、やり抜きました。

やってる間は、苦しみ悩み、ストレスを背負って、重たい荷物をいつまでも運んでるような気持ちでしたが、終わってみると、あら不思議!何か爽やかです。こんな雨の日なのに。

まるで、これまでのパソコンの疑問が氷解して、視野が開けたみたい。そういう、やり遂げた時の爽快感を大事にしたいです。

今夜はこのへんで。明日からがんばりましょう。

あと、一言、沖縄県はずるいですね。いつまでも被害者の立場を利用して有利に立ち回るところ、絶対に共感できませんし、そういう卑怯なやり方は、いつかその当人に跳ね返ってくるものでしょう。その取り巻きの運動屋さんも含めて、ニュースを見るたびにいやになる。

感謝のない幸せはない

2015-04-01 22:57:08 | 今日の出来事(重要性低)
今日は仕事があり、車での帰り道、ショッピングセンター近くで、小中学生らしき人達が楽しそうに歩いてた。おそらく、お気に入りの服や靴やカバンを持ち、髪型とかも意識して、友達連れて春休みの春風のなか、楽しそうだった。

私もそういう年頃だったときの思い出はあるけど、あまり楽しい思い出多くないかも。だから、今日見かけた小中学生も、普段の生活まで詳しく検証してみるならば、そんなに幸せと言えないかもね。

でも、「それは違うぞ!」と直感した。

なぜなら、私も本当は幸せだろう。他人から見れば。

気づいてないのは、自分だけ。

おそらく、現在の私も羨まれるくらいに幸せといえるだろう。

そして、自分からそのことに気づける人だけが幸せになれる。人の欲求にはきりがないため、どこまでも幸せを追求したくなるけれども、心が満たされるならば、幸せな気がする。それは結局本人の捉え方次第だと思います。

だから、事実は幸せなのかどうかわからないけど、でも、「幸せになるチャンス」は平等に与えられてると、思いませんか?