月のたび

日々の日記

ハローワークに行った時に降りたバス停の近くに遊廓をみつけた件について

2007-07-31 21:34:53 | 今日の出来事(重要性低)
水商売系でカネ稼ぐってのも、ちょっと気がすすまぬ。弱さが抜けきれないのか。

ただ、水商売にまみれる人々の来歴を第三者の私が知っているケースは、過去と現在のギャップがかなしい。夢が過ぎてしまった時の姿が。

心の叫びが聞こえる。

道徳の教科書

2007-07-30 20:20:17 | 読書(興)

戦後教育のなかで育った私には小中学校での道徳の記憶はほとんどありません。小学校一年のとき、今は亡き先生が教室を暗くしてスライドで物語を読み聞かせてくれたのを、静かにしながら聞いたのを覚えています。その時だけです。

 だから私たちは人としての正しいあり方や常識といったものを身につけないまま大きくなってしまった。それが今、いろんなトラブルに巻き込まれたり、逆に煽ってしまったりしてきたことを思い返すと、「道徳を習いたかった」と後悔を感じます。

 そして半年ほど前、偶然、書店に並べられていた森信三先生「修身教授録」を手にとって中を見、買いました。大変勉強になる本です。


参議院選挙結果は?

2007-07-29 22:25:55 | 政治(・・・?)

安倍さん今夜、負けるのでしょうか。

就職活動して気づかされるのは、何においても結果、成果を出せるかどうかです。それを私は学びました。社会の要求するのは、過程じゃなくて結果です。そして、それは当たり前なことだと思っています。私が見も知らぬ政治家に要求するのは結果以外ではありえない。

だから前の国会で安倍さんが会期延長して「強行採決」しても国民のために法律を通してくれたことは、成果を出した、一歩前に進めたことだと思っています。野党は何をしても反対するものです。それは今までの政治を見ていればわかる。それにもかかわらず、小泉さんの前までは、それでも「野党の顔」を立てて思い切った改革ができなかったわけです。政治の流れが野党やメディアから離れてゆき、新しい政治の時代がくると感じたのですが、どうかねえ。

選挙の争点がハッキリしてなかったのかもね。


星のない夜空

2007-07-27 21:09:42 | しみじみ(滋)

今日もハローワークへ行った。  

事務員(パート)

介護ヘルパー 

運転手 

○○オペレーター

こんな感じ。

その一方で、林業は依然として希望の糸。はじめは気にもならなかったが、このところ面接落ち続けてダメだと感じ始めたころから、急にその林業が、すばらしく見え始めた。

この「急に~し始めた」という感じは信頼できるのか。何事も最悪の事態を考えるようになってしまった結果、社会から孤立してしまい、真実を見抜くことが大切なのに、まず悪いパターンに結び付けてしまう。

ここは、なるべく多くの情報を集めて冷静に判断しよう。 


林業の面接対策

2007-07-26 21:30:35 | 今日の出来事(重要性低)
面接の心構え(これでいこう)

会話を人間関係をつなぐ手段だと捉えるより、純粋に人に話したい、っていう欲求から話したほうが、うまく話せるのではないか。

どうしても言わねばならぬことを意識して、必ず言うようにすること。

長く話そうとするな。伝えるべき要点を絞って、言う。

<例1>志望動機
林業には将来性があると思う。
     ↓
今は山林を管理する人が足りない。
     ↓
地球温暖化で森林の管理が必要になる。
     ↓
国内産の森林を有効に利用することが必要になってくる。
     ↓
山林を管理する人が足りない。
     ↓
林業には将来性があると思う。

<例2>志望動機
アルバイトで体を動かす仕事をした。
     ↓
体を動かして働くことが好きになった。
     ↓
自然に囲まれて働くのは、何にも代えがたいと思う。
     ↓
林業に興味を持った。

林業したしらべ

2007-07-25 20:52:38 | 今日の出来事(重要性低)

ハロワで見た林業求人を頼りに、バスで40分かけて山の中。

家から遠すぎ。やむなく戻って、林業労働力支援確保センターに行く。突然の訪問にもかかわらず、親切な応対でした。林業について詳しく知る手段がないので、いきなり係官の所に行って、話だけでも聞き、講習実施要項を貰ってきました。

刈り払い機とチェーンソー教育の重要性について、熱心に説かれていた。免許AT限定でもOKという。それがハロワの求人とは違いました。

情操ってわからない。よくわからないこと。

2007-07-25 11:37:14 | しみじみ(滋)
現代の生活を支配しているのは、事実の積み重ねです。そしてその事実は全く物質的欲求から生じています。死んだ。ハラヘッタ。クルマ欲しい。苦しい。キモチイ。それを唯物論の世界というのではないか。だって、本能の感覚だけだから。辛くても何かのためなら、心のどこかで安心できるのがたとえば、人間らしいってことだと思います。

中島義道さんの文章を読む時も、そのことを思います。彼の文章は事実を淡々と論理で組み合わせたものです。論理的であるが、それ以上ではない。苦悩が元にあって、放り出された自分の身体の処置に悩むっていうような、死体処理者の心境にも通じるような、事実そのままの世界。すごくナマの苦痛から発した悩みで、結論にはたどり着けそうにない。それは中島氏が、その程度の作家だからなのではなくて、私たちを取り巻く現実がそうであることを要求するからだと思います。

AMAZONの感想で、和辻哲郎とか、宮本常一とかについて、「何言いたいのかわからない」みたいなこと言っていた人いたように記憶しました。確かに彼らの書くことは論理的というより情感的であるが、にもかかわらず、昔の日本人や日本人のルーツに強い郷愁があるから、面白いのです。読者はユートピア(グリーンピアではありません注:戦後マスコミ)の存在を信じることがでるからではないかと思います。

私の仕事の適性とは

2007-07-24 20:43:39 | しみじみ(滋)

自分が何に向いているか。考えたが、結論はでていません。が、今のところ、「さすらい観」といったものがあるようです。自由にふらふらあてもなく一人歩きするのが、自分の底のほうにあるんじゃないか、はっきり断言できませんが、組織にせよ、考えにせよ、実際の行動にせよ。何かにとらわれずに、なんとなくさまよいたい。

一方、いったん居場所ができれば、そこにずっと留まるのも好きだ。一人暮らしの間、高くても同じ美容室しか使わなかったし、バイトしたときも定着するだけの人間関係を築いたと思う。

だが、贅沢な望みだろうが、ささいな望みというべきかもしれんが、働くことを通して、自分自身を受け入れてくれるような職場、存在理由を支えてくれる職場でありさえすれば、安い賃金でも精一杯働けるかもしれないと思います。居場所さえ与えてくれれば、それ以外のものは犠牲にできるって心構えができるからです。