ただ、水商売にまみれる人々の来歴を第三者の私が知っているケースは、過去と現在のギャップがかなしい。夢が過ぎてしまった時の姿が。
心の叫びが聞こえる。
戦後教育のなかで育った私には小中学校での道徳の記憶はほとんどありません。小学校一年のとき、今は亡き先生が教室を暗くしてスライドで物語を読み聞かせてくれたのを、静かにしながら聞いたのを覚えています。その時だけです。
だから私たちは人としての正しいあり方や常識といったものを身につけないまま大きくなってしまった。それが今、いろんなトラブルに巻き込まれたり、逆に煽ってしまったりしてきたことを思い返すと、「道徳を習いたかった」と後悔を感じます。
そして半年ほど前、偶然、書店に並べられていた森信三先生の「修身教授録」を手にとって中を見、買いました。大変勉強になる本です。
安倍さん今夜、負けるのでしょうか。
就職活動して気づかされるのは、何においても結果、成果を出せるかどうかです。それを私は学びました。社会の要求するのは、過程じゃなくて結果です。そして、それは当たり前なことだと思っています。私が見も知らぬ政治家に要求するのは結果以外ではありえない。
だから前の国会で安倍さんが会期延長して「強行採決」しても国民のために法律を通してくれたことは、成果を出した、一歩前に進めたことだと思っています。野党は何をしても反対するものです。それは今までの政治を見ていればわかる。それにもかかわらず、小泉さんの前までは、それでも「野党の顔」を立てて思い切った改革ができなかったわけです。政治の流れが野党やメディアから離れてゆき、新しい政治の時代がくると感じたのですが、どうかねえ。
選挙の争点がハッキリしてなかったのかもね。
今日もハローワークへ行った。
事務員(パート)
介護ヘルパー
運転手
○○オペレーター
こんな感じ。
その一方で、林業は依然として希望の糸。はじめは気にもならなかったが、このところ面接落ち続けてダメだと感じ始めたころから、急にその林業が、すばらしく見え始めた。
この「急に~し始めた」という感じは信頼できるのか。何事も最悪の事態を考えるようになってしまった結果、社会から孤立してしまい、真実を見抜くことが大切なのに、まず悪いパターンに結び付けてしまう。
ここは、なるべく多くの情報を集めて冷静に判断しよう。
自分が何に向いているか。考えたが、結論はでていません。が、今のところ、「さすらい観」といったものがあるようです。自由にふらふらあてもなく一人歩きするのが、自分の底のほうにあるんじゃないか、はっきり断言できませんが、組織にせよ、考えにせよ、実際の行動にせよ。何かにとらわれずに、なんとなくさまよいたい。
一方、いったん居場所ができれば、そこにずっと留まるのも好きだ。一人暮らしの間、高くても同じ美容室しか使わなかったし、バイトしたときも定着するだけの人間関係を築いたと思う。
だが、贅沢な望みだろうが、ささいな望みというべきかもしれんが、働くことを通して、自分自身を受け入れてくれるような職場、存在理由を支えてくれる職場でありさえすれば、安い賃金でも精一杯働けるかもしれないと思います。居場所さえ与えてくれれば、それ以外のものは犠牲にできるって心構えができるからです。