月のたび

日々の日記

本当にすばらしい一日

2018-10-29 23:12:15 | しみじみ(滋)
今日は午後から横浜へ。

横田めぐみさんの拉致の映画を見に行った。

行くかどうしようか、直前まで迷ったが、行ってみて良かった。

新幹線で他は寄らずに帰ってきただけだが。

主催者が言うには、今年の参加者は去年の5倍だという。寒川町の拉致の舞台の時も、平日なのに参加者が大勢いた。

草の根レベルで国民の意識が次第に確かに高まってきているのを感じた。しかも、昨年の5倍とは、もうすでに大ニュースではないか❗

こういう情報は自分で動かないと、掴めない。テレビや新聞のニュースが偏向著しいから。

今声を大きく言いたい。何の罪もない同胞が北朝鮮に拉致されているのは異常事態で、同じ日本人として目を覚まして、助けよう❗

明日はたのしみ

2018-10-28 21:49:14 | 政治(・・・?)
このごろ仕事がいそがしいが、明日だけは特別に横田めぐみさんの映画を見に行くことにしていて、着る服を特別に準備したり、夜の寒さに耐えられるよう厚着はどうしようか、電車の時刻を調べたり、翌日の仕事がスムーズにできるよう用意できるものを書き出したりした。

本当は仕事が忙しいので行くか行かないかで迷っていたが、新幹線利用で早く行き来する方法でなんとかする。

この拉致問題が今の自分にとって大事なもののような気がしている。

一人はみんなのために、みんなは一人のために

2018-10-23 20:55:39 | しみじみ(滋)
昨日言ったおばさんが亡くなった。

悲しい。

人はいつまでも幸せで仲良くいたいと思うけれど、幸せな時はいつまでも続かない。次第にみんなバラバラになってしまい、二度とくりかえすことのできない思い出だけが残り、そうして死んでしまう。

そういう時に、人として何が大事なのかと思う。

今思っているのは、直に声をかけて、相手のために何かすることだと思う。

そういえば、先日の北朝鮮による拉致問題の舞台公演に、なんとか出席して、そのうえ、舞台後に親族の方に、一言、「頑張ってください」ってこと言えた時は、ささやかだけど、いいものを感じた。

夕日の沈む相模の町に、いい風を頬に感じたよ。

よくわからんけど、自分に似合わず、淡い颯爽とした空気が心のなかに流れてきて、勢いで茅ヶ崎駅そばで牛タン定食にして、各駅停車で帰っていた。

人は助け合って生きていかなくてはならん。

悲しんでいる人があれば、そのひとのために、手を差し出すのが人間らしい生き方だろう。それ以上に大事なことがあるだろうか。

たとえ今は辛くても、明るい未来を信じるぜ。歌詞にありがちなフレーズだな。いや、ちょっと前のコピペ全盛の流行歌には飽き飽きですけど。

おばさん、ありがとう。

今あるしあわせ

2018-10-22 22:00:03 | 気遣い心配り思いやりのトレーニング
今日、大叔母がすい臓がんだというのを聞いた。それで苦しんでいるって。

幼いころから、面倒見てくれて、お正月にはお年玉をくれた大事な方だ。

そんな大変なことがわかってから、私は自分のことを考えてしまった。

今の日常生活にいろいろ不安不満があるけど、それでも自分はまだ幸せだと気が付いた。

幸せとは何か、このごろ思う。

幸せは、誰かに聞いてもらいたいことの中にあると、このごろ思う。それと、誰かに対する思いやりの気持ち。

誰かと話をしていて、いい気持になれるのは、いつも、過ぎた昔の話を聞いている時だ。

どこ出身だとか、どこに住んでいて、どうだったとか、そういう話ができる相手って、本当に大事だな。

もちろん、嫌なことは不満なことはそれぞれ、いろいろあるだろう。

幸せだったときがあって、それがいつまでも続いてほしいと誰でも思う。けれど、時間が過ぎていって、幸せじゃなくなったとしても、それからが勝負の分かれ目だと思うのよ。幸せじゃなくなっても、意識高めにして、自分で自分に洗脳して、幸せだと思い込むようにする。そういうの何よりも大事と思う。

わかってほしいこと

2018-10-09 22:35:44 | 気遣い心配り思いやりのトレーニング

久しぶりの投稿。

昨日の仕事は懐かしい方にお会いした。

5年くらい前に仕事をいただいて、見た目はおっかない、いかつい方だが、話してみると、何かしらいい感じ。

言ってみれば、『無心のこころ』を感じる相手だ。

○さんは、男性で70歳になったそうで、相撲が好きで、若いころは県内で何度も優勝したという。体を鍛えていて、70とは思えない恰幅のよい強そうな印象だった。

それでも、久々に会ってみると、懐かしさにこころ惹かれる。それが不思議だ。

5年ぶりに会うお客様なんて、ざらにあるのに、○さんに限って、いい印象を感じるのは、『こころ』のおかげで、しかも無心だからだろう。

あれから、温和だったお父様はなくなり、お母さまは施設に入ったという。

それで思い出したのが、過年亡くなった菅原文太さんの言葉だ。(若い頃は強くなりたいと思っていたけど、歳を取ってみると、弱くてもいい生き方はできることがわかった。)みたいなこと、言ってて、屈強な体躯の○さんが、私にはあんなに親切な言葉をかけて下さるのか、思うに、純粋な思いやりや親切心を大事にしているためだろうと。

そういうのは、とっても大事だと思う。

人はいくら強くなっても、台無しになってしまうようなことってあるよ。で、そうなった時に、もう元には戻らない過去を償うには、若い人たちに、いい言葉を与えたくなるだろう。

歳をとったら、もう若返りはできない。そのときに、若い人に代わりにわかってほしいことがある。そういうのがあるんだろうな、とかおもった。