昨日、祝賀パレード見に行った。
せっかくなので、大学時代、お世話になった方々の消息も訪ねるため、アポなし訪問してみた。
あれからもう20年が過ぎようとしている。一年生は、学生寮に入れられて、そこが二人部屋であったため、大変だった。寝不足で夜徘徊し、5キロ以上離れた友人のアパートのあたりをさまよった思い出もよみがえった。けれど、そこの寮母のおばさんは健在で、突然訪れた私の顔を見て、当時を思い出し、話をしてくれた。
あと、もう一人の大家さんがいて、電車に乗って郊外までいき、駅の建物も道も周囲の家並みまで大きく変わって、そこを歩いて、元のアパートまで行ったが、懐かしい建物はそのままでも、空き家になってた。どうしちゃったのか。5、6年前電話があったので、電話からかけてみると、その番号はもう使われなくなってた。
その時、何か悲しいような、寂しいような気がした。あの大家さんは、私がインフルエンザに罹った時、処方箋をもって、駅までわざわざ寒い夜中を歩いて薬を取りに行ってくれた方だった。あの学生寮の寮母さんだって、飲み会でおしっこが出なくなるというハプニングに見舞われたとき、救急車で病院まで行ってくれた。そういう大事な方に最後にお別れの言葉をかけられず、音信不通で縁が途絶えるのはさみしい。
それから祝賀パレードに行って、あまりにも大勢の人だかりにびっくりした。
誰もが新しい天皇皇后両陛下を見ようと集まって、手荷物検査のながい行列に並んでいる。その時の何とも言えないワクワク感はもう今後忘れることはない大切な体験だ。
新しい令和が始まる。この時を胸に刻みつけるために、なけなしのお金を使い果たして来た甲斐があった。なんというか、誰もがパレードを見ようと集まって、何かを期待しているのがとてもよく分かった。みんなは天皇陛下を愛していた。だから、一緒にその幸せを分かち合おうとここにやってきていた。みんなで祝福するために。いっぱい期待していた。
そしてそれは平成が終わる瞬間でもあった。いろんなことがあった平成の時代。私の胸にもいろんな思いがこみ上げて、過ぎ去っていった。今にして思うに、つらいことあったけど、それでも、幸せないい時代だったと思う。いつ私の命が終わるかわからないけれども、それでも安心できる何かを感じることができた。結局人が多すぎてパレードの車両さえ見えなかった。それでもよかった。大勢の人たちと共にこの感動の日を分け合うことができて満足だった。日本に生まれてほんとうによかった。
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